仕事が早く終わったので定期圏内のよく知らない駅で途中下車。
日が伸びて夕暮れ時の繁華街には多くの下校途中の高校生たちが居た。
高校生の頃、自分はもう人として完成していたと思っていたりもしたが、
当然そんなことは無い。
老いることが完成への唯一の方法ならば死体になるまで完成出来ない。
高校生の頃の僕はもっとテンションが高く、
無意味にはしゃいで、よく飛んでいた。
体の使い方が全然自由だった。
そんなことをふと思い出させる下校途中の高校生たちの所作。
みんな動きが大きくてエネルギーを持て余している様子。
関節の動きもきっと自由そのものなのだろう、と思わせる。
きっと彼らの世界は大きな輝きがあちこちにあるのだろう。
ドキドキしてキラキラしてワクワクするのだろう。
不安や無力さや絶望も沢山あって。
いずれにせよ未だ登り坂の途中なんだと、
まざまざと見せてくれる。
電車で草臥れているサラリーマン達にも
確かにそんな時代があったのに
みんなあの頃感じていた世界の捉え方を忘れてしまう。
日が伸びて夕暮れ時の繁華街には多くの下校途中の高校生たちが居た。
高校生の頃、自分はもう人として完成していたと思っていたりもしたが、
当然そんなことは無い。
老いることが完成への唯一の方法ならば死体になるまで完成出来ない。
高校生の頃の僕はもっとテンションが高く、
無意味にはしゃいで、よく飛んでいた。
体の使い方が全然自由だった。
そんなことをふと思い出させる下校途中の高校生たちの所作。
みんな動きが大きくてエネルギーを持て余している様子。
関節の動きもきっと自由そのものなのだろう、と思わせる。
きっと彼らの世界は大きな輝きがあちこちにあるのだろう。
ドキドキしてキラキラしてワクワクするのだろう。
不安や無力さや絶望も沢山あって。
いずれにせよ未だ登り坂の途中なんだと、
まざまざと見せてくれる。
電車で草臥れているサラリーマン達にも
確かにそんな時代があったのに
みんなあの頃感じていた世界の捉え方を忘れてしまう。