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交流

コーラスって、人生論だね。

2003-10-16 23:41:00 | 徒然なるままに
10月15日(水)

いよいよ2日後に迫った合唱コンクール。
先週の土曜日の練習は、ソーランの練習と重なり欠席。
その時に、先生が、
「いつもと感じが違うと思ったら、あの方がいらっしゃらないからなのね~」
とおっしゃたそうだ。
「あの方」とは、そう、私のことである。
そう教えてくれた友達には、
「だからといって、今度の練習ではがんばり過ぎなくていいからねえ」
と、しっかり釘をさされた。

今日の練習はそこのところを意識して歌ったつもりだが・・・。
でも、先日のソーランで張り切りすぎて、肝心の声はガラガラだった。

私の長所は「頑張りや」。
私の短所も「頑張りすぎ」。
で、その境目が微妙に難しいのだ。

コーラスを始めて、その辺が、少し分かるようになってきた。

ただでさえ地声が大きく、響くというか通る声の私は、そのまま歌うと他の人とハモらない。
いつも、「米良さんで歌って」と注文が来る。

米良さん・・・喉の奥を開けて、ファルセット歌う歌い方。
この発声法でも、私のアルト1に対してソプラノ5人は必要なぐらいの声量が出てしまう。

先日、久し振りに練習に出てきたアルトの人に、パートの歌を教えながら、彼女の歌を聞きながら歌った時、皆ともすごく綺麗にハモることができた。

一人で何人分もの声を出さねばと頑張りすぎず、周りの声を聞きながら、自分の音程と合っているかどうか気をつけがら声を出す。

妹に話したら、
「コーラスって、人生論だね。コーラスになぞらえて、お姉ちゃんは自分に必要ないいことをたくさん教わっているんじゃない。」
と言われた。

確かに、1つの歌を歌う時、山場を生かすためにはどういう出だしで行くか、最後のクライマックスに盛り上げるために休む時と、落とす時、助走をつける時など、メリハリが大切になって来る。
そして、歌はハートで歌うものだけど、感情を入れすぎて、自分に酔ってしまってはダメ。かえって聴いている人が引いてしまう。
音譜にとらわれてばかりで、歌詞をおろそかにしていると何も感じない、気持ちや歌詞の意味の通じない歌になってしまう。

私がいなくても、コーラスは成り立つと思う。
でも、私が入ったら入った分だけ、音声が豊かになる。
自分がいないとダメと頑張ったり、使命感に燃えるのではなく、自分がいたなりにその時できる自分の「分」をちゃんと歌えればいいのだと思う。

今、「脱力系」の女性が注目されているとか。
肩の力を抜きながらも、「その時」がきたらキメるところはピシッとキメられる女性。
「力み系」の私の努力目標である。

17日まで、日曜日のソーランで潰した声を何とか元に戻さなくっちゃ!(汗汗)

ハッピーバースディ ~命かがやく瞬間~

2003-10-16 23:40:00 | 徒然なるままに
10月14日(火)

今日、隣町の小学校で、PTA主催・家庭教育学級と全校視聴覚教室として、長編アニメーション「ハッピーバースディ ~命かがやく瞬間~」を見ました。(AnimeとBookのページ参照)

「おまえ、生まれてこなきゃよかったよな。」十一歳の誕生日、母と兄のひと言から、あすかは声を失してしまいます。
そんな衝撃シーンから始まるストーリー。

一見、子供の問題のように思われますが、実は、少女の母親が、何事にもひいでた姉と比較されることにより、傷ついてきたという過去があります。

大人の抱える問題の反映なのです。適切な洞察を怠ると、虐待は代々受け継がれます。なんて恐ろしいことでしょう。

いじめもそうです。
クラスの子のいじめについて話し合う時に、自殺した中学生の遺書の朗読のシーンがありました。
そのあとで、みんながいじめた子に謝る中で、一人、
「私は転校前の学校で、いじめられていました。今度の学校ではいじめられる前にいじめれば、いじめられないだろうと思っていじめていました。○○さんごめんなさい」
と言った子がいました。
その時、いじめの主犯格の子は、「このぐらいのことで大騒ぎしやがって」と反省の色もありませんでしたが、後に、あすかに、母親に殴られない日はないことを打ち明けます。

でも、そんな登場人物たちが、あすかが声と元気を取り戻し、いじめに立ち向かう勇気に刺激されて変わって行くのです。
家でも、いじめていた兄が、あすかの心の成長を通して自分を道を歩みだし、自分もまた成長していきます。母も、自分のトラウマに気付き、葛藤し母の心を取り戻していきます。

最後は物語的にはまとまっていきますが、多くの問題提起を投げかけているアニメでした。

 作者は横浜市で、教育カウンセラーをする元小学校長の青木和雄さん。 この物語の主人公あすかのモデルは、六年前に青木さんのもとに相談にやってきた、言葉のでない四歳の女の子とその母親でした。「おまえを見ているとイライラする」「お兄ちゃんと比べてのろい」と母親がいうと、少女はのどをしきりにつまみ、声を失いました。この面談で、母親も子ども時代、親にかわいがられず傷つき、その思いを我が子にぶつけていたことがわかりました。 物語の中では、声を失った少女あすかを、あふれる愛情でいやしてくれるじいちゃんや、あたたかくじっと見守ってくれるばあちゃんがでてきます。 じいちゃんはあすかに心の底から愛情をこめて、こう語りかけます。
 「怒るときは思いっきり怒れ。悲しいときは思いっきり泣け。感情を殺すことは生きるエネルギーをなくすことだよ。受けとめてやるから、本当のあすかをさがしてごらん。」
 じいちゃんやばあちゃんはあすかを信じ、わかろうとしました。あすかの声にならない『ハートボイス』を、あたたかく、自分のこととして受けとめました。その結果、あすかは心から愛されていると感じ、自分を取り戻していきます。

子どもは子どもらしく愛されて育つことの大切さと、その難しさとを考えさせられる作品でした。
この世からいじめをなくすのはできないかもしれない。
でも、その連鎖をどこかで誰かが断ち切る努力は、皆で取り組んでしていかなければならないと思います。

そして、
「あなたが生まれてきてくれてよかった」
「私は生まれてきてよかった」
と心から思い、言い合える幸せを皆でかみ締めあえる世の中にしていきたいと思います。