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やっぱりこどもが主役!でも負けてないお母さん達の「本気」のソーラン!

2003-11-03 12:57:00 | 徒然なるままに
10月26日(日)

今日は、公民館祭りの本番。
昨日の『来てくん祭』の翌日と言うのに、午前中からやる気満々の子ども達。
ところが、うちの末娘は昨日の元気はどこへやら、「今日は踊らない!」と言い張り、「でも、お祭りには行く」といって衣装を待たずに出かけた。

立ち位置も段取りも決まってみんなが待機している時でも、娘は頑として仲間に入らない。
でも、いよいよ本番になってみると、娘は一番前の席に座ってみんなの踊りを見ていた。

最初は子ども達のソーラン。
お客様は年配の方が多く、子ども達の元気なソーランにたくさん掛け声をかけてくださった。
二部は大人のソーラン。
間近かで知り合いの人たちが見守る中、まだ覚えたてのソーランを見せるわけには行かないと、当日の出演を辞退された方達も見にいらしていた。
お母さん達の「本気」のソーランは、いつも以上に気合いが入っていた。
お母さんから離れない幼児も一緒に踊っていたのだが、いつもはお母さんの後ろに隠れている2歳の子が、手拍子を送ってくれるおじいちゃんやおばあちゃんたちの前でポーズを決めるたび、やんややんやの拍手と歓声が湧き上がる。
そうすると、どんどんお母さんから離れて、前のほうのお客さんの前で、堂々とその気になって踊りだすのだ。
もうそうなると、観客の視線は、子ども達に釘付け!
お母さん達はバックダンサーと言うか、「背景」に近かったかも?
子どもの力には本当にかないません?!

3曲踊り終わったあとのみんなの爽快感溢れる顔は、見ていて本当に清清しい。
公民館の方からも、他団体やお客様方からもお褒めと感謝のお声をかけていただき、何とか無事終了。

娘はみんなの踊りをどんな思いで見ていたのだろう。


今日は、実はもうひとつ大切な行事があった。
息子のピアノの発表会。
公民館の本番終了後、間に合う予定で駆けつけたのだが、行く途中で、交通事故渋滞にはまり、お祭りで交通規制があって迂回してやっと会場に到着した時には終了直後だった。
お友だちのお父様から、
「上手に落ち着いて立派にトリを勤めていらっしゃいましたよ」
と言っていただき、ほっとするやら、息子に申し訳ないやら、自分が情けないやら・・・。
でも、もう、私がついていなくても、自分の役目はきっちり果たせるようになった息子の成長を喜ぶべきなのであろう。
でも、やっぱり、見届けてあげたかったな・・・。
帰り、「腹減った~!」を連発する息子のリクエストに応えて、「元気いっぱい活力ラーメン」を食べて帰った。

29日は息子達の中学校の文化祭。
午後の部の合唱コンクールで息子は自由曲のピアノ伴奏を担当する。3年連続のピアノ伴奏。去年の最優秀伴奏者賞のプライドと、クラス優勝2連覇をかけての伴奏。
今度はしっかり見届けてあげよう。
最高のお誕生日になることを祈りながら。

来てくん祭、本番!

2003-11-03 12:11:00 | 徒然なるままに
10月25日(土)

今日は、いよいよ子ども達の小学校のPTAバザー『きてくん祭』当日。
今年は、体育館のステージでのソーランの発表だ。
昨日の夕方、中央公園でソーラン隊だけのリハーサルはやったが、ステージを使っての全体のリハーサルはやっていない。
今回は、『プチコンサート』と称して、去年好評だった、子ども達の得意なことをみんなの前で発表してみよう!という企画だ。
そこで、3曲別々のチームを作り、より自分達らしいソーランを発表しようと、振り付けも衣装も子ども達の自由な発想やアイディアを活かした舞台を目指して、夏休みから企画・練習してきた。
ところが、蓋を開けてみると、参加希望チームが多かった。
仕方なく、ソーラン隊として一まとめのチームとして出場。曲も2曲でエントリーすることとなった。
そうなると、みんな一律の参加費を払っていながら、舞台に全員は乗れない上に、入れ替えの時間も取れないとなると、その舞台構成、人数構成をどうするかで、散々もめてしまった。
その上、時間が押したら1曲だけしか踊れないかもしれない。順調に行けば2曲。でも、もしも時間が余ったら3曲踊れるかもしれない・・・。
そんな状況で迎えた本番。いつもの本番と違って、大人も子どももいろんな悲喜こもごもがあった末に迎えた本番。
せっかくの自分達の学校での晴れの舞台。
子ども達は頑張った。
私は舞台袖で、キューを出しながら、子ども達の気迫に目が潤んでしまった。
1曲終わるたびに、リーダーが私の顔を見る。
「2曲目行くよ。鳴子を出してかまえて!」
あの激しい『南中ソーラン』を踊り終えた直後と言うのに、すぐに『どっこいしょ』のかまえ。でも、太鼓の音が鳴り出し「どっこいしょ!」の掛け声で、子ども達ははじけた!
会場の子どもたちも、一緒に踊り出し、あちこちのクラスメイトから掛け声がかかった。
踊り終えて、リーダーが私を見る。
時計はまだ1曲を踊って退場するだけの時間は残っていた。
でも、3曲連続で踊ることはきついはず。でも、舞台の皆は次の曲のキューを待っている。
音出しの先生に3曲目をお願いして、みんなに見えるように3本指を見せた。
構えの姿勢でじっと音を待っていた子ども達は、音が聞こえ出したとたん、生き生きと踊りだした。
あの真剣な、でも、嬉しそうな、美しい踊りを私は忘れない。

最後のポーズが決まると、会場中が大喝采。
私の後ろで見ていた卒業生の中3の子たちが、当時の担任の先生に
「ソーラン変わったね」
と言っていたのを聞いて、わたしが、
「あなた達に憧れた後輩達が、しっかり引き継いでいるんだよ。あなた達も今度は中学校で、今、自分達が踊るソーランを踊ってごらんよ。あなた達の「中3のソーラン」を見てみたいな」
と言ったら、「元祖」達は黙って頷いていた。
当時、「金八先生」の最終回に感動した担任の先生達が、この踊りを春の運動会に6年生の出し物として取り組んだ。その踊りに感動した後輩達や父兄で立ち上げたソーラン隊だ。
「元祖」たちは2つの中学校にそれぞれ進学し、いろいろな場面でソーランを踊ってきたが、「中3」になってからはどちらの学校でもまだ踊ってはいない。
「受験」と言う大きな現実を前にいろんな思いで毎日を送っているであろう「元祖」達。
当時作った「長半天」はもうとっくに小さくなって着られなくなっただろう。
踊り方もほとんど忘れてしまったかもしれない。
あの頃想像していた「中3」のイメージとは違う「中3」の現実を生きている「元祖」たち。
彼らの目に今日の「ソーラン」はどんな風に映っていたのだろうか・・・。

お母さん達からは、
「いつもは一緒に踊っているから、自分の子がどんな風に本番踊っているか見られなかったけれど、みんなはもちろん、自分の子の踊りに感動したわ~!」
と言ってもらった。

あんなにいろいろな問題があったのに、子ども達の頑張りが、全部一掃してくれたようだ。
いや、逆に、
「この子達の思いを大切に、いい練習、いい本番を重ねていけるよう、私達がしっかりサポートしていかねば」
という気持ちにさせられた。

帰り道や、帰宅後家にかかってきた電話で、いろんな人たちから、
「うちの子、クラブが忙しくて練習に行けなくなっていたんだけど、『続けていればよかったなあ』なんて言ってましたよ」
「下の子が、『お姉ちゃんの着られなくなった長判天出して!私もソーラン踊ってみたい!』って言ってるんですけど、今度の練習はいつですか?」
と声をかけられた。

明日は、公民館祭り。
子ども達の踊りに触発された、お母さん達の「本気」の踊りが楽しみだ。

自分を好きになる。自分を大切にする。

2003-11-03 00:46:00 | 徒然なるままに
10月23日(木)

今日、学校カウンセリングの後、図書室に本を借りに行った。
お目当ての青木和雄さんの本は全部貸し出し中だった。
図書の先生に、長女のことを話し、そういう子が、そういう時に読むのにお薦めの本はありませんかと尋ねたところ、何冊か本を選んでくださった。
その中に、「自分を好きになる本」(パット・パルマー著・eqPress訳)というのがあり、帰宅後、私は娘より先にそのページを繰って見た。

『自分を好きになるということは、大人にとっても、こどもにとっても、難しいことです。』
『自分を好きになり、自分をかけがえのないものと感じることを英語ではSelf-esteemといいます。しかし私たちはSelf-esteemを感じることもないまま、Powerlessness(無力感)の中に放り出され、自分の価値がわからなくなってしまうことが多いのです。』
『この本は、アメリカの子供たちのためにかかれた本で、相手を傷つけることなく、自分を主張する「アサ―ティブ・トレーニング」の中から生まれました。
「アサ―ティブ・トレーニング」とは、ありのままの自分や他人を認め、自分の中にあるPower(力)を信じて、一つ一つの出来事に対処していくための方法論です。』(訳者あとがきより)

「自分の気持ち」に向き合ってみる。
実は、私が一番苦手とするところなのである。
でも、このところ、どういうわけか、そうしなくてはならない状況が、いろんなスチュエーションで次から次へと私の前に立ちはだかってくる。
まるで、何かの試練というか、解答のない問題集のようだ。
その度に、「私はどう思っているの?」
     「本当はどうしたいの?」
という本音の部分が、自分の置かれている立場や建前や義理とか相手の気持ちとかを優先しているうちに二の次三の次になって、そのうちどこに行っちゃったんだかわからなくなってしまう・・・。
それが何とか上手く行っている時は問題はないのだが、だんだんに無理がたたってくると、どこかで何かが滞って、自分の中に「負荷」がかかってくる。ストレスが溜まってくる。
自分を責めたり、自己嫌悪に陥っていったり、自虐的になっていったり、身体を壊したり・・・。

「自分を好きになる」
簡単なようで、これがなかなか難しい。
コンプレックスの方が断然強いのに、どうやって自分に自信をつけたり、自分を好きになれるんだろう?
「自分が好きなことをやる。」
「こう言うことをやっている時の自分が好きと思えるようなことをする。」
「今、出来る小さなことから始めて、できたら自分で自分を褒めてあげる」   
方法はいくらでもあるのだろう。他人にアドバイスをする場合だったら。

「自分を大切にできない人は、本当の意味で他人を大切にすることはできない。」
「自分を大切にできる人は、他人の価値観や、世界観だって大切にできる人。」

自分の気持ちと向き合うことは、本当に難しい。
それを言ってしまったら、終わってしまうことや、失くしてしまうことがあるかもしれない。
それが怖くて言えないでいたり、実行に移せずにいることって誰にでもあると思う。
でも、人には、失くしたくないもの、拘り、これだけは譲れないという「思い」がある。
たとえ、結果は目に見えていたとしても、その「思い」を封じ込めておきたくない。
長いものに巻かれたくない。周りに流されたくない。「自分の本当の気持ち」・・・。

「自分の本当の気持ち」に気付いてしまったら、それにちゃんと向き合わなくてはいけないと思う。そういうときが必ずやってくる。
いっぱい、いっぱい「自分の気持ち」と話をして、「自分の気持ち」に耳を傾けてみよう。
そして、その上で、自分にとって「一番大切なこと」と「一番いい方法」を納得のいくまで自問自答する。
そうして出てきた結論こそ、「本当に自分で選んだ道」なのだ。
辛い決断をしなければならないときもあるかもしれない。
でも、誰のせいにもできない、「自分が選んだ道」なのだ。
その「自己決定」をできた自分をほめてあげよう。
そこから、「自分の選んだ道」への第一歩が始まる。
その選択は間違う時もあるかもしれない。そしたら、その間違いに気付いた時点で間違いを認め、軌道修正をしていけばいいんだ。
人間は、何度でもその時点からやり直しはきくんだ。
「無理な無駄な努力は結果的には、プラスの結果は生み出さない」

高校受験の長男。第二歩目が踏み出せなくている長女。「自我」に目覚めつつある末娘。
そして、人生の折り返し地点に立つ私自身・・・。

「自分を好きになる」
「自分を大切にする」
その意味をそれぞれに考えながら、この秋から冬を過ごしていきたい。
明るい「春」を迎える準備として・・・。