8月14日(火)
半年振りに日記を書く。
前回は立春だった。
春とは名ばかりの寒い日だった。
今は夏。
この半年の間に、何度も命が縮む思いをした。
今年の目標の『がんばりどころ』がどこかもわからないくらい、自分を見失い、自分を粗末にし、生き急ぐような毎日だったかもしれない。
最初の2ヶ月は、辛くて、苦しくて、歯を食いしばって、意地になってがんばりすぎて身体を壊してしまった。たぶん心もボロボロだった。
春になって環境が変わり、枯れ木のように見えていた木々に新芽が芽吹くように、徐々に息を吹き返した。
毎日が忙しくも充実した毎日と、家族や同僚たちの理解と助けがあって、心も身体も元気になっていった。
気持ちに余裕が持てるようになって、少し前の辛かった日々も、少しずつ懐かしく振り返ることができるようになってきた。そのときには見えていなかった、気付けなかったことも、今なら冷静にあの頃の自分の至らなさを反省することができる。
でも、心の傷口からは今も鮮血が噴出し、言葉よりも涙が先に出てくる。
本当に乗り越えるには、もう少し、時間と自分に自信が持てるような手ごたえが必要なのだろう。
まずは身体を休めて、自分の足元(生活)をよく見つめなければ・・・と思っていた矢先、事故にあった。
結果、今、私はこうして家族の下に戻り、五体満足な身体で生活している。
8月4日。私の人生はあの日に終わっていたかもしれない。
その瞬間、私の脳裏を駆け巡った思いは、『子供たちを遺しては逝けない』『親より先に逝ってはいけない』『クラスの子ども達はどうなるだろう』『6日には課題をやりに生徒が来るのに・・・』ということだった。
実際、もし、あの時、あのまま終わっていたらと思うと、恐怖というよりは、あれもこれもやりかけのままで、遺された家族や同僚たちに、さぞ迷惑をかけたのだろうなあ・・・ということだった。
私は、生かされたのだ。
まだ逝ってはいけないのだ。
私はまだこの世にとどまってなすべきことがあるのだ。
10日間、考えてみた。
私がなすべきことって・・・・。
親としての責任、子としての責任、社会人としての責任・・・。
去年、苦しくて苦しくて、自分は如何に生きるべきかを暗中模索していたとき、『前世』を見てもらった。
私はいくつかの前世の中で、『アウシュビッツで虐殺された少女』だったり、『南イタリアの小さな町で無名だがすばらしい仕事をした彫刻家』だった。
そして何より今生のすぐ前の前世では、『外の世界で多くの人と触れ合うことを切望し芸術を愛しながら、狭い世界で生きることを余儀なくされ、信じていた人に裏切られて人生を終えてしまった女性』だった。
私になる前の私だった人たち・・・。
「彼ら、彼女らは、たとえ、愛する人に裏切られ、志半ばで無念の死を遂げたとしても、試練を受け止め、乗り越えようとする前向きな姿勢はどの人にも共通している。だから、けしてひとりではないし、あなたの心と体の中には『答え』と『試練に打ち勝つだけの力』も備わって生まれてきている。自分を信じてあげなさい。」
自分の人生を全うすること。
私にできること、私でもできること、私にしかできないこと、私がしなければならないこと。
最近の私は、それらから逃げてはいなかっただろうか・・・。
自分自身と向き合うことを避けてはいなかっただろうか・・・。
12日の明け方、夢を見た。
目が覚めたとたん、内容は全部忘れてしまったのに、『ふるさとへ帰ってお墓参りをしなくては』という思いだけが鮮明に残っていた。
もしかしたら、自分の新盆になっていたかもしれなかった。
ずっと帰りたかったふるさとに生身の身体で帰れるという喜び。
まず、私がしなければならないことは、ご先祖様への供養だと思った。
魂たちは『千の風』になって、地球上を駆け巡っているかもしれない。
でも、『お盆』には自分の家に帰ってくるのだという・・・・。
私を守って生かしてくれた祖先の霊を慰め、お礼と祈りをささげるために、久々に帰省することにした。
そして、私を生まれる前から今まで慈しみ、育ててくれた両親に、元気な姿を見せに・・・。
故郷の風に吹かれ、海を眺め、水を飲み、ご飯を食べて、心と身体の充電器をいっぱいにして帰ってこよう。
半年振りに日記を書く。
前回は立春だった。
春とは名ばかりの寒い日だった。
今は夏。
この半年の間に、何度も命が縮む思いをした。
今年の目標の『がんばりどころ』がどこかもわからないくらい、自分を見失い、自分を粗末にし、生き急ぐような毎日だったかもしれない。
最初の2ヶ月は、辛くて、苦しくて、歯を食いしばって、意地になってがんばりすぎて身体を壊してしまった。たぶん心もボロボロだった。
春になって環境が変わり、枯れ木のように見えていた木々に新芽が芽吹くように、徐々に息を吹き返した。
毎日が忙しくも充実した毎日と、家族や同僚たちの理解と助けがあって、心も身体も元気になっていった。
気持ちに余裕が持てるようになって、少し前の辛かった日々も、少しずつ懐かしく振り返ることができるようになってきた。そのときには見えていなかった、気付けなかったことも、今なら冷静にあの頃の自分の至らなさを反省することができる。
でも、心の傷口からは今も鮮血が噴出し、言葉よりも涙が先に出てくる。
本当に乗り越えるには、もう少し、時間と自分に自信が持てるような手ごたえが必要なのだろう。
まずは身体を休めて、自分の足元(生活)をよく見つめなければ・・・と思っていた矢先、事故にあった。
結果、今、私はこうして家族の下に戻り、五体満足な身体で生活している。
8月4日。私の人生はあの日に終わっていたかもしれない。
その瞬間、私の脳裏を駆け巡った思いは、『子供たちを遺しては逝けない』『親より先に逝ってはいけない』『クラスの子ども達はどうなるだろう』『6日には課題をやりに生徒が来るのに・・・』ということだった。
実際、もし、あの時、あのまま終わっていたらと思うと、恐怖というよりは、あれもこれもやりかけのままで、遺された家族や同僚たちに、さぞ迷惑をかけたのだろうなあ・・・ということだった。
私は、生かされたのだ。
まだ逝ってはいけないのだ。
私はまだこの世にとどまってなすべきことがあるのだ。
10日間、考えてみた。
私がなすべきことって・・・・。
親としての責任、子としての責任、社会人としての責任・・・。
去年、苦しくて苦しくて、自分は如何に生きるべきかを暗中模索していたとき、『前世』を見てもらった。
私はいくつかの前世の中で、『アウシュビッツで虐殺された少女』だったり、『南イタリアの小さな町で無名だがすばらしい仕事をした彫刻家』だった。
そして何より今生のすぐ前の前世では、『外の世界で多くの人と触れ合うことを切望し芸術を愛しながら、狭い世界で生きることを余儀なくされ、信じていた人に裏切られて人生を終えてしまった女性』だった。
私になる前の私だった人たち・・・。
「彼ら、彼女らは、たとえ、愛する人に裏切られ、志半ばで無念の死を遂げたとしても、試練を受け止め、乗り越えようとする前向きな姿勢はどの人にも共通している。だから、けしてひとりではないし、あなたの心と体の中には『答え』と『試練に打ち勝つだけの力』も備わって生まれてきている。自分を信じてあげなさい。」
自分の人生を全うすること。
私にできること、私でもできること、私にしかできないこと、私がしなければならないこと。
最近の私は、それらから逃げてはいなかっただろうか・・・。
自分自身と向き合うことを避けてはいなかっただろうか・・・。
12日の明け方、夢を見た。
目が覚めたとたん、内容は全部忘れてしまったのに、『ふるさとへ帰ってお墓参りをしなくては』という思いだけが鮮明に残っていた。
もしかしたら、自分の新盆になっていたかもしれなかった。
ずっと帰りたかったふるさとに生身の身体で帰れるという喜び。
まず、私がしなければならないことは、ご先祖様への供養だと思った。
魂たちは『千の風』になって、地球上を駆け巡っているかもしれない。
でも、『お盆』には自分の家に帰ってくるのだという・・・・。
私を守って生かしてくれた祖先の霊を慰め、お礼と祈りをささげるために、久々に帰省することにした。
そして、私を生まれる前から今まで慈しみ、育ててくれた両親に、元気な姿を見せに・・・。
故郷の風に吹かれ、海を眺め、水を飲み、ご飯を食べて、心と身体の充電器をいっぱいにして帰ってこよう。