8月15日(水)
今勤務の中学校には、卒業生が描いた大きな『ゲルニカ』が中央廊下に掲げてある。
ここ何年かは、生徒数の減少に伴い、美術の専任教師のいない学校だったということで、『鑑賞』の授業は行われていなかったのだという。
実際、この絵を見ても、生徒たちは興味を示さないばかりか、『変な絵』だと思っている生徒が多い。
赴任して始めてこの壁画を見たとき、
「ああ、今年はピカソと向き合う年なんだ」
と思った。
大学1年生になった息子に、中学校でピカソとゲルニカについて学習したかと聞いたら、
「授業ではやらなかったけど、高校の世界史ではちょっとだけ触れた。中学校の美術でもうちょっとちゃんと習っておけばよかったと思った」
と言った。
私自身も、ちゃんとどころか学習した記憶は無い。が、今まで、様々な機会でピカソやゲルニカについて触れるうちに、美術の教師をやっていく以上、これはいつかはじっくり取り掛からなくてはならない「課題」だとは思っていた。
ピカソの生涯とその作品、作風について。
『ゲルニカ』と言う作品が生まれた背景とその意義について。
2年前、『ゴッホとジャポニズム』について取り組み、授業を展開した。
私自身、ゴッホについてすごく好きになり、『浮世絵』についての認識が変わった。
それ以上に、その授業を受けた生徒たちの反応に、逆にたくさんのことを教えられた。
子どもたちの感性は本当にすばらしい。
『鑑賞』の授業は、私にとっても、生徒たちにとっても、本当に運命や価値観を変えるぐらいの『出会い』をもたらす授業だ。
夏休みに入って、PCの研修が続いている。
この文明の利器を使って、私が思い描いてきた以上の効果が期待できそうだ。
でも、『鑑賞』の授業に本当に必要なのは、見せる技術でも、知識でもない。
教える側の情熱と、その作者、作品に対しての愛着だと思う。
それは時として教える側の『主観』が色濃く出てしまうと言う危険性も伴うが、嫌いな作家や、理解できない作品については『説明』だけで終わってしまい、生徒の記憶には残らない授業になってしまうだろう。
『出会い』はきっかけだ。
そのきっかけが、後にどんな『芽』を出すか・・・。
ゴッホの授業の後、生徒が
「今まで何気なく見ていた絵が、何かを語りかけてくるように見えるようになった」
「本物の絵を見てみたい」
「ゴッホが「浮世絵」が好きで、一生懸命模写までしたと聞いて、うれしくなった。自分も浮世絵に興味が出てきた」
などなど、きらめくような、私の涙腺を刺激するようなコメントを送ってくれた。
『ピカソとゲルニカ』で、私は子どもたち何を伝えることができるだろう。
それ以前に、私は何を会得しなければならないだろう。
折りしも今日は終戦記念日。
『時』は来た。
今勤務の中学校には、卒業生が描いた大きな『ゲルニカ』が中央廊下に掲げてある。
ここ何年かは、生徒数の減少に伴い、美術の専任教師のいない学校だったということで、『鑑賞』の授業は行われていなかったのだという。
実際、この絵を見ても、生徒たちは興味を示さないばかりか、『変な絵』だと思っている生徒が多い。
赴任して始めてこの壁画を見たとき、
「ああ、今年はピカソと向き合う年なんだ」
と思った。
大学1年生になった息子に、中学校でピカソとゲルニカについて学習したかと聞いたら、
「授業ではやらなかったけど、高校の世界史ではちょっとだけ触れた。中学校の美術でもうちょっとちゃんと習っておけばよかったと思った」
と言った。
私自身も、ちゃんとどころか学習した記憶は無い。が、今まで、様々な機会でピカソやゲルニカについて触れるうちに、美術の教師をやっていく以上、これはいつかはじっくり取り掛からなくてはならない「課題」だとは思っていた。
ピカソの生涯とその作品、作風について。
『ゲルニカ』と言う作品が生まれた背景とその意義について。
2年前、『ゴッホとジャポニズム』について取り組み、授業を展開した。
私自身、ゴッホについてすごく好きになり、『浮世絵』についての認識が変わった。
それ以上に、その授業を受けた生徒たちの反応に、逆にたくさんのことを教えられた。
子どもたちの感性は本当にすばらしい。
『鑑賞』の授業は、私にとっても、生徒たちにとっても、本当に運命や価値観を変えるぐらいの『出会い』をもたらす授業だ。
夏休みに入って、PCの研修が続いている。
この文明の利器を使って、私が思い描いてきた以上の効果が期待できそうだ。
でも、『鑑賞』の授業に本当に必要なのは、見せる技術でも、知識でもない。
教える側の情熱と、その作者、作品に対しての愛着だと思う。
それは時として教える側の『主観』が色濃く出てしまうと言う危険性も伴うが、嫌いな作家や、理解できない作品については『説明』だけで終わってしまい、生徒の記憶には残らない授業になってしまうだろう。
『出会い』はきっかけだ。
そのきっかけが、後にどんな『芽』を出すか・・・。
ゴッホの授業の後、生徒が
「今まで何気なく見ていた絵が、何かを語りかけてくるように見えるようになった」
「本物の絵を見てみたい」
「ゴッホが「浮世絵」が好きで、一生懸命模写までしたと聞いて、うれしくなった。自分も浮世絵に興味が出てきた」
などなど、きらめくような、私の涙腺を刺激するようなコメントを送ってくれた。
『ピカソとゲルニカ』で、私は子どもたち何を伝えることができるだろう。
それ以前に、私は何を会得しなければならないだろう。
折りしも今日は終戦記念日。
『時』は来た。