TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

『ミヨリの森』 考

2007-08-26 19:30:42 | 徒然なるままに
昨夜、フジTVで『ミヨリの森』と言うアニメを見た。http://www.fujitv.co.jp/miyori/index2.html

劇場公開したものをTVで見るというのではなく、昨日1晩のためだけのTV放映作品だった。

小学校6年生のミヨリという名前の少女が主人公の物語。
現代の子ども達が抱える様々な問題(いじめ、複雑な家庭環境)や、環境問題を下敷きに、ミヨリの父の実家がある飛騨の自然の中で成長していく物語。

1時間半の中でよくまとまった作品だと思った。
美術監督があの山本二三氏なだけあって、見ごたえのある背景だった。
自然の表現だけでなく、飛騨の民家の外観も内部も、細かいところまで生活観あふれる描き方だった。
これこそ、劇場の大画面でじっくり見たいほどの書き込みの細かさ、リアルさだった。

ストーリーを楽しむと言うより、職業柄か、『このたった2,3秒のために、何時間かけて描いたのだろう』と、背景ばかりに目が行ってしまった。

一番印象に残ったのは、ミヨリが、男に捨てられて自殺した女性の幽霊と戦うシーン。
『何でも人のせいにして、誰かを恨んでひどいことをする弱いやつは嫌いだ』
と言って、戦いながら、自分が今置かれている状況を、両親や自分をいじめていた子、田舎のせいにして、誰かや環境や社会のせいにして、ひねくれていた自分を思い起こす。
幽霊と戦いながら、弱い自分と対峙して全身でぶつかっていく。
その瞬間、夜叉のようになっていた幽霊は、優しい顔になって、
「ありがとう、ミヨリちゃん」
と微笑んで、浄化され、『オコジョ』に変化して森に帰っていく。
その後姿に
「今日からあなたも森の仲間よ」
と声をかけるミヨリ。

もうひとつ。
自分を迎えに来た母親をバス停で見送るシーン。
「お父さんとお母さんが一緒のところには戻るけれど、そうじゃないなら私はここで暮らす」
とミヨリ言われ、
「お父さんはどう思っているかしら」
と言う母に、
「お父さんの気持ちはお父さんに聞いてよ」
と言う。すると母は、
「そうね。しばらくお父さんと話をしていなかったからね。話してみる。」
と言って、バスに乗って去っていくシーン。
それを見送るミヨリの顔は、親に捨てられて、不安で自暴自棄になっていた頃の顔ではない。

守られる立場の子どもが、自分の意思で自分の居場所を守り、仲間を思い、自分をはぐくんでくれる人を思いやることができるようになっていく。

同級生の男子が、学校の友達に、敵対していたミヨリのことを
「ミヨリは本当に強いんだぞ」
というシーンがあるが、
喧嘩やスポーツが強いだけでなく、優しくて勇気があることを言っているのだ。
守るべきもののために、自分の弱さを認め、それに打ち勝とうと言う気持ちを「強さ」を言う言葉で表した少年の気持ちがうれしかった。

この物語でちょっと物足りなかったのは、森の精霊がいろいろいっぱい出ていたわりに、なんだか見た目のわりには個性が出ていなかったこと。
主要なキャラクターはそこそこ個性は出ていたが。
何の精霊かわからない。でも、いちいち紹介していたらきりがないからか・・・。
なんだかその他十把一からげみたいでもの足りなかった。

私が小学校6年生のときに、NHK少年ドラマシリーズで『ユタと不思議な仲間たち』と言うドラマを見た。
都会から転校してきたユウタ少年と座敷童たちの友情の物語。
座敷童たちがオムツをしているのを不思議に思ったユタに、「座敷童は間引きされた水子の幽霊だ」とリーダー格の座敷童が話すシーンには子ども心に泣けた。

森の精霊たちにはそんな過去も事情も無いかもしれないけれど、あまりインパクトが感じられなかった。


それにしても、昨年劇場アニメ映画化された『ブレイブストーリー』もそうだったが、主人公がいろいろ複雑な家庭所事情を持っていると言う設定の物語が多いように思う。
今までにもそういう物語が無かったわけではないし、むしろ、童話や昔話の世界にも古今東西たくさんある。
ただ、いわゆる『大人の事情、言い分』と言うのはあまりリアルに取り上げられていなかったように思う。
子どもの成長と対極に設定される『大人の事情、言い訳』は、身に詰まされるほど現実的でこっけいで、大人気ない。
つくづく、子どもたちにとって、一番いい環境というのは、物や交通事情、設備に恵まれていることではなく、両親をはじめ、子どもと関わる大人たちの生き様なのだと思う。
『はだしのゲン』の両親のような、ゆるぎない信念と、愛情深さ。
 
子どもたちの『受難の時代』を繰り返さないためにも、かつて子どもだった大人たちにもぜひ、見てほしい作品だと思った。

『精霊の守り人』を目指して

2007-08-26 19:28:32 | アニメ


毎週土曜日のお楽しみ。
現在、BS11のNHK衛星アニメ劇場で放映中の
『精霊の守り人』http://weekly.yahoo.co.jp/25/moribito/index.html
『彩雲国物語』http://www.kadokawa.co.jp/saiunkoku/index.php

ストーリーの面白さ、登場人物の魅力、絵の上手さ・動き、表情の描き方は他のアニメの群を抜いている。
特に、背景の質の高さは圧巻だ。
『精霊の守り人』の背景画は、あのまま劇場用としても申し分ないほどの密度と表現力 だと思う。一枚一枚が『絵画』になっている。
毎回毎回、ため息が出るほどだ。

かつて、劇場で『もののけ姫』を見たとき、あの背景を見て、血がざわめき、逆流して、まさにかのアシタカの如くに右腕が暴れだしそうになるのを拳を握り締め、唇を噛んで我慢し、泣きながら画面に釘付けになっていた。

帰宅するなり、何かにとりつかれたようになってスケッチブックに描きなぐっていた。
悔しくて、悔しくて・・・・。
自分だけ取り残されたような気持ちになって・・・。
イメージはあるのに思うように描けなくなっている自分の腕に情けなくなって、不安になって・・・。
私は何をしているのだろう・・・。
筆を置いて、何年たったのか・・・。
描かなくなってどれだけ過ぎてしまったのか・・・。

あんなに描く事が苦しかったのに・・・。

何枚も描きなぐった絵は、下手くそだった。
思うように描けなかった。
すごく焦った。
でも、腕は覚えていた。
紙に水張する絶妙なタイミングを。
絵の具同士の相性を。
絵の具と水分の微妙な表現を・・・。

人形劇団に入ってすぐ、『ジャックと豆の木』のジャックのキャラクターデザインを描いていたときに、先輩に
「本当に絵を描くのが好きなのねぇ」
と言われてハッとした。

忘れていたのだ。
いや、自分で封印してしまっていたのだ。
絵を描く喜びを。
描きたいという意欲を。


「絵の上手いお前を選んだんじゃない」
と言われた時、
「美術っていらない教科だよね」
と言われた時、
自分の存在を全否定されたような傷つき方をした。

自分を見失ってもがき苦しんだ。


今、いろいろとしんどいことはある。
けれど、誰にも遠慮せずに絵が描け、今までやってきたことを生かせ、必要とされたり、誰かの役に立てることがすごくうれしい。
もっと上手に描けるようになりたいと意欲を持つ生徒に教え、その子の上達を見守ることや、美術を苦手に思ったり、嫌いだった子達が、少しでも好きになって、興味を持ってくれることがうれしい。

今、『精霊の守り人』の背景を見て、悔しさと言うのはない。素直に感動し、逆に創作意欲が掻き立てられる。

『もののけ姫』との出会いは、私の封印を解いた。

人形劇との出会いは、舞台芸術としての立体・空間表現の面白さを教えてくれた。

そして、図工・美術の授業を通して、教える立場でありながら、子ども達から教わることや刺激を受けることのほうがはるかに多い。

私は、今、アニメの世界からも、舞台の世界からも離れたところに身を置いている。

でもどんな環境や立場であれ、一人の表現者として、自分自身を封印することなく、貪欲に絵を描いていきたいと思う。

『精霊の守り人』のサイトを見たら、原作本があることを知った。
現在、1話~4話まで無料配信している。
自分自身に渇を入れ、活性化させることができる作品に出会えたことに感謝する。

『スラムダンク』にハマって1年

2007-08-26 19:25:42 | アニメ


1年前、バスケ部の教え子から『スラムダンク』の面白さを教えられ、夏休みにDVDでアニメを見、その続きが見たくてコミックを買い、すっかりハマって、完全版を読破した。

制作に6年もかかったという作品を一気に読み終えた後、作者に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
と同時に、連載当時、リアルタイムで読まなかった残念さ・・・。

遅ればせながらのファンではあるが、以来、すっかりハマってその熱は冷めるどころか、周りを巻き込むほど。
同時に今までさほど興味も無かったバスケが好きになり、自分ではできないけれど、生徒の試合を応援にいったり、バスケ部の生徒とは自分の学校の生徒だけでなく、他校の生徒でも、卒業生とでも、誰とでも仲良くなることができる。
いわゆる『スラムダンク世代』といわれる大人の人とでもすぐ打ち解けられるのだ。
スラムダンク効果はすごい!

当初、そんな私のハマリぶりを笑って見ていた娘(小6)もいつの間にかハマり、『スラムダンク』は今や彼女のバイブルとなり、中学に進学したら、女バスに入部するのを夢見て、毎日基礎練習に励んでいる。

昨年、3年生の副担任だったこともあり、テストや試合のたびに『諦めたらそこで試合終了ですよ』の名言を紹介し、入試直前にはバスケットボールの水墨画にその言葉を書いて貼り出し、皆にエールを送った。

そんな小さなきっかけでも、たくさんの『スラムダンク』ファンが生まれた。
最初は「何それ?先生、本貸してよ」
といっていた生徒たちも、卒業する頃にはいっぱしの論客ぞろいだった。
受験で引退したバスケット部の連中も、『先生、バスケがしたいです(涙)』とコメントを送ってよこしながら、高校受験を突破して行った。

今度の赴任先でも、『スラムダンク』ファンとバスケット人口を増やすべく、私の『スラムダンク』『布教』は続けている。


作品についてのキャラクター、ストーリー構成の良し悪しは、様々な人が書いている。
同感!と思うコメントもあるし、そういう視点で見るとなるほどと思うもの、いろんな先入観や表面的なことにこだわって、本質を見ていない人など、読んでいてなかなか面白い。

6年がかりで書かれた物語は、主人公たちだけでなく、作者自身の成長振りも目覚しい。
1億人突破記念に発表された新聞各紙の一面に描かれた湘北メンバーのイラストとコメント。桜木花道の『1番楽しんだのは自分かもしれない』というのはそのまま、作者の本音だと思う。

この夏、再度読み直して、更に新たな感動を覚えた。
この物語のすべてはの、あのハイタッチシーンのためであり、山王戦のの勝敗を分けたシュートが、ダンクではなく、あの『合宿シュート』だったことは最高だった。
ラストシーンの終わり方は、多くの『自称小説家』を生み出したことだろう。
それだけ創作意欲を掻き立てる登場人物たちだった。
名作は名作を生む。
あの物語を読んでバスケットを始めた人たちと同じように、今も、あの物語は自分自身の中で現在進行形なのだ。

それほどの影響力を持つほどすごい作品だと思う。
まだ読んだことのない人はぜひ、読んでみてほしい。
時代設定は古いかもしれないが、たとえ、更に10年、20年たっても色あせることの無い名作だと思う。

もし、私が作者であれば、連載終了10年を経た今、第2部を書くとすれば、登場人物も、時代もまったく新しい設定で書くだろう。ただ、物語の中で、回想シーンやエピソード、近況報告として第1部の登場人物に触れることはあるだろう。
設定としては、高校教師として赴任し、人気の停滞したバスケを復活させ、部顧問として再び全国を目指す小暮君の視点で見た物語として。
でも、桜木花道や流川楓を越すぐらい魅力的なキャラクターを活躍させるのは、至難のわざだなぁ・・・。

『ミヨリの森』 考

2007-08-26 09:27:00 | 徒然なるままに
昨夜、フジTVで『ミヨリの森』と言うアニメを見た。http://www.fujitv.co.jp/miyori/index2.html

劇場公開したものをTVで見るというのではなく、昨日1晩のためだけのTV放映作品だった。

小学校6年生のミヨリという名前の少女が主人公の物語。
現代の子ども達が抱える様々な問題(いじめ、複雑な家庭環境)や、環境問題を下敷きに、ミヨリの父の実家がある飛騨の自然の中で成長していく物語。

1時間半の中でよくまとまった作品だと思った。
美術監督があの山本二三氏なだけあって、見ごたえのある背景だった。
自然の表現だけでなく、飛騨の民家の外観も内部も、細かいところまで生活観あふれる描き方だった。
これこそ、劇場の大画面でじっくり見たいほどの書き込みの細かさ、リアルさだった。

ストーリーを楽しむと言うより、職業柄か、『このたった2,3秒のために、何時間かけて描いたのだろう』と、背景ばかりに目が行ってしまった。

一番印象に残ったのは、ミヨリが、男に捨てられて自殺した女性の幽霊と戦うシーン。
『何でも人のせいにして、誰かを恨んでひどいことをする弱いやつは嫌いだ』
と言って、戦いながら、自分が今置かれている状況を、両親や自分をいじめていた子、田舎のせいにして、誰かや環境や社会のせいにして、ひねくれていた自分を思い起こす。
幽霊と戦いながら、弱い自分と対峙して全身でぶつかっていく。
その瞬間、夜叉のようになっていた幽霊は、優しい顔になって、
「ありがとう、ミヨリちゃん」
と微笑んで、浄化され、『オコジョ』に変化して森に帰っていく。
その後姿に
「今日からあなたも森の仲間よ」
と声をかけるミヨリ。

もうひとつ。
自分を迎えに来た母親をバス停で見送るシーン。
「お父さんとお母さんが一緒のところには戻るけれど、そうじゃないなら私はここで暮らす」
とミヨリ言われ、
「お父さんはどう思っているかしら」
と言う母に、
「お父さんの気持ちはお父さんに聞いてよ」
と言う。すると母は、
「そうね。しばらくお父さんと話をしていなかったからね。話してみる。」
と言って、バスに乗って去っていくシーン。
それを見送るミヨリの顔は、親に捨てられて、不安で自暴自棄になっていた頃の顔ではない。

守られる立場の子どもが、自分の意思で自分の居場所を守り、仲間を思い、自分をはぐくんでくれる人を思いやることができるようになっていく。

同級生の男子が、学校の友達に、敵対していたミヨリのことを
「ミヨリは本当に強いんだぞ」
というシーンがあるが、
喧嘩やスポーツが強いだけでなく、優しくて勇気があることを言っているのだ。
守るべきもののために、自分の弱さを認め、それに打ち勝とうと言う気持ちを「強さ」を言う言葉で表した少年の気持ちがうれしかった。

この物語でちょっと物足りなかったのは、森の精霊がいろいろいっぱい出ていたわりに、なんだか見た目のわりには個性が出ていなかったこと。
主要なキャラクターはそこそこ個性は出ていたが。
何の精霊かわからない。でも、いちいち紹介していたらきりがないからか・・・。
なんだかその他十把一からげみたいでもの足りなかった。

私が小学校6年生のときに、NHK少年ドラマシリーズで『ユタと不思議な仲間たち』と言うドラマを見た。
都会から転校してきたユウタ少年と座敷童たちの友情の物語。
座敷童たちがオムツをしているのを不思議に思ったユタに、「座敷童は間引きされた水子の幽霊だ」とリーダー格の座敷童が話すシーンには子ども心に泣けた。

森の精霊たちにはそんな過去も事情も無いかもしれないけれど、あまりインパクトが感じられなかった。


それにしても、昨年劇場アニメ映画化された『ブレイブストーリー』もそうだったが、主人公がいろいろ複雑な家庭所事情を持っていると言う設定の物語が多いように思う。
今までにもそういう物語が無かったわけではないし、むしろ、童話や昔話の世界にも古今東西たくさんある。
ただ、いわゆる『大人の事情、言い分』と言うのはあまりリアルに取り上げられていなかったように思う。
子どもの成長と対極に設定される『大人の事情、言い訳』は、身に詰まされるほど現実的でこっけいで、大人気ない。
つくづく、子どもたちにとって、一番いい環境というのは、物や交通事情、設備に恵まれていることではなく、両親をはじめ、子どもと関わる大人たちの生き様なのだと思う。
『はだしのゲン』の両親のような、ゆるぎない信念と、愛情深さ。
 
子どもたちの『受難の時代』を繰り返さないためにも、かつて子どもだった大人たちにもぜひ、見てほしい作品だと思った。