昨夜、フジTVで『ミヨリの森』と言うアニメを見た。http://www.fujitv.co.jp/miyori/index2.html
劇場公開したものをTVで見るというのではなく、昨日1晩のためだけのTV放映作品だった。
小学校6年生のミヨリという名前の少女が主人公の物語。
現代の子ども達が抱える様々な問題(いじめ、複雑な家庭環境)や、環境問題を下敷きに、ミヨリの父の実家がある飛騨の自然の中で成長していく物語。
1時間半の中でよくまとまった作品だと思った。
美術監督があの山本二三氏なだけあって、見ごたえのある背景だった。
自然の表現だけでなく、飛騨の民家の外観も内部も、細かいところまで生活観あふれる描き方だった。
これこそ、劇場の大画面でじっくり見たいほどの書き込みの細かさ、リアルさだった。
ストーリーを楽しむと言うより、職業柄か、『このたった2,3秒のために、何時間かけて描いたのだろう』と、背景ばかりに目が行ってしまった。
一番印象に残ったのは、ミヨリが、男に捨てられて自殺した女性の幽霊と戦うシーン。
『何でも人のせいにして、誰かを恨んでひどいことをする弱いやつは嫌いだ』
と言って、戦いながら、自分が今置かれている状況を、両親や自分をいじめていた子、田舎のせいにして、誰かや環境や社会のせいにして、ひねくれていた自分を思い起こす。
幽霊と戦いながら、弱い自分と対峙して全身でぶつかっていく。
その瞬間、夜叉のようになっていた幽霊は、優しい顔になって、
「ありがとう、ミヨリちゃん」
と微笑んで、浄化され、『オコジョ』に変化して森に帰っていく。
その後姿に
「今日からあなたも森の仲間よ」
と声をかけるミヨリ。
もうひとつ。
自分を迎えに来た母親をバス停で見送るシーン。
「お父さんとお母さんが一緒のところには戻るけれど、そうじゃないなら私はここで暮らす」
とミヨリ言われ、
「お父さんはどう思っているかしら」
と言う母に、
「お父さんの気持ちはお父さんに聞いてよ」
と言う。すると母は、
「そうね。しばらくお父さんと話をしていなかったからね。話してみる。」
と言って、バスに乗って去っていくシーン。
それを見送るミヨリの顔は、親に捨てられて、不安で自暴自棄になっていた頃の顔ではない。
守られる立場の子どもが、自分の意思で自分の居場所を守り、仲間を思い、自分をはぐくんでくれる人を思いやることができるようになっていく。
同級生の男子が、学校の友達に、敵対していたミヨリのことを
「ミヨリは本当に強いんだぞ」
というシーンがあるが、
喧嘩やスポーツが強いだけでなく、優しくて勇気があることを言っているのだ。
守るべきもののために、自分の弱さを認め、それに打ち勝とうと言う気持ちを「強さ」を言う言葉で表した少年の気持ちがうれしかった。
この物語でちょっと物足りなかったのは、森の精霊がいろいろいっぱい出ていたわりに、なんだか見た目のわりには個性が出ていなかったこと。
主要なキャラクターはそこそこ個性は出ていたが。
何の精霊かわからない。でも、いちいち紹介していたらきりがないからか・・・。
なんだかその他十把一からげみたいでもの足りなかった。
私が小学校6年生のときに、NHK少年ドラマシリーズで『ユタと不思議な仲間たち』と言うドラマを見た。
都会から転校してきたユウタ少年と座敷童たちの友情の物語。
座敷童たちがオムツをしているのを不思議に思ったユタに、「座敷童は間引きされた水子の幽霊だ」とリーダー格の座敷童が話すシーンには子ども心に泣けた。
森の精霊たちにはそんな過去も事情も無いかもしれないけれど、あまりインパクトが感じられなかった。
それにしても、昨年劇場アニメ映画化された『ブレイブストーリー』もそうだったが、主人公がいろいろ複雑な家庭所事情を持っていると言う設定の物語が多いように思う。
今までにもそういう物語が無かったわけではないし、むしろ、童話や昔話の世界にも古今東西たくさんある。
ただ、いわゆる『大人の事情、言い分』と言うのはあまりリアルに取り上げられていなかったように思う。
子どもの成長と対極に設定される『大人の事情、言い訳』は、身に詰まされるほど現実的でこっけいで、大人気ない。
つくづく、子どもたちにとって、一番いい環境というのは、物や交通事情、設備に恵まれていることではなく、両親をはじめ、子どもと関わる大人たちの生き様なのだと思う。
『はだしのゲン』の両親のような、ゆるぎない信念と、愛情深さ。
子どもたちの『受難の時代』を繰り返さないためにも、かつて子どもだった大人たちにもぜひ、見てほしい作品だと思った。
劇場公開したものをTVで見るというのではなく、昨日1晩のためだけのTV放映作品だった。
小学校6年生のミヨリという名前の少女が主人公の物語。
現代の子ども達が抱える様々な問題(いじめ、複雑な家庭環境)や、環境問題を下敷きに、ミヨリの父の実家がある飛騨の自然の中で成長していく物語。
1時間半の中でよくまとまった作品だと思った。
美術監督があの山本二三氏なだけあって、見ごたえのある背景だった。
自然の表現だけでなく、飛騨の民家の外観も内部も、細かいところまで生活観あふれる描き方だった。
これこそ、劇場の大画面でじっくり見たいほどの書き込みの細かさ、リアルさだった。
ストーリーを楽しむと言うより、職業柄か、『このたった2,3秒のために、何時間かけて描いたのだろう』と、背景ばかりに目が行ってしまった。
一番印象に残ったのは、ミヨリが、男に捨てられて自殺した女性の幽霊と戦うシーン。
『何でも人のせいにして、誰かを恨んでひどいことをする弱いやつは嫌いだ』
と言って、戦いながら、自分が今置かれている状況を、両親や自分をいじめていた子、田舎のせいにして、誰かや環境や社会のせいにして、ひねくれていた自分を思い起こす。
幽霊と戦いながら、弱い自分と対峙して全身でぶつかっていく。
その瞬間、夜叉のようになっていた幽霊は、優しい顔になって、
「ありがとう、ミヨリちゃん」
と微笑んで、浄化され、『オコジョ』に変化して森に帰っていく。
その後姿に
「今日からあなたも森の仲間よ」
と声をかけるミヨリ。
もうひとつ。
自分を迎えに来た母親をバス停で見送るシーン。
「お父さんとお母さんが一緒のところには戻るけれど、そうじゃないなら私はここで暮らす」
とミヨリ言われ、
「お父さんはどう思っているかしら」
と言う母に、
「お父さんの気持ちはお父さんに聞いてよ」
と言う。すると母は、
「そうね。しばらくお父さんと話をしていなかったからね。話してみる。」
と言って、バスに乗って去っていくシーン。
それを見送るミヨリの顔は、親に捨てられて、不安で自暴自棄になっていた頃の顔ではない。
守られる立場の子どもが、自分の意思で自分の居場所を守り、仲間を思い、自分をはぐくんでくれる人を思いやることができるようになっていく。
同級生の男子が、学校の友達に、敵対していたミヨリのことを
「ミヨリは本当に強いんだぞ」
というシーンがあるが、
喧嘩やスポーツが強いだけでなく、優しくて勇気があることを言っているのだ。
守るべきもののために、自分の弱さを認め、それに打ち勝とうと言う気持ちを「強さ」を言う言葉で表した少年の気持ちがうれしかった。
この物語でちょっと物足りなかったのは、森の精霊がいろいろいっぱい出ていたわりに、なんだか見た目のわりには個性が出ていなかったこと。
主要なキャラクターはそこそこ個性は出ていたが。
何の精霊かわからない。でも、いちいち紹介していたらきりがないからか・・・。
なんだかその他十把一からげみたいでもの足りなかった。
私が小学校6年生のときに、NHK少年ドラマシリーズで『ユタと不思議な仲間たち』と言うドラマを見た。
都会から転校してきたユウタ少年と座敷童たちの友情の物語。
座敷童たちがオムツをしているのを不思議に思ったユタに、「座敷童は間引きされた水子の幽霊だ」とリーダー格の座敷童が話すシーンには子ども心に泣けた。
森の精霊たちにはそんな過去も事情も無いかもしれないけれど、あまりインパクトが感じられなかった。
それにしても、昨年劇場アニメ映画化された『ブレイブストーリー』もそうだったが、主人公がいろいろ複雑な家庭所事情を持っていると言う設定の物語が多いように思う。
今までにもそういう物語が無かったわけではないし、むしろ、童話や昔話の世界にも古今東西たくさんある。
ただ、いわゆる『大人の事情、言い分』と言うのはあまりリアルに取り上げられていなかったように思う。
子どもの成長と対極に設定される『大人の事情、言い訳』は、身に詰まされるほど現実的でこっけいで、大人気ない。
つくづく、子どもたちにとって、一番いい環境というのは、物や交通事情、設備に恵まれていることではなく、両親をはじめ、子どもと関わる大人たちの生き様なのだと思う。
『はだしのゲン』の両親のような、ゆるぎない信念と、愛情深さ。
子どもたちの『受難の時代』を繰り返さないためにも、かつて子どもだった大人たちにもぜひ、見てほしい作品だと思った。