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交流

不思議な帽子

2009-11-07 21:17:00 | 徒然なるままに
11月7日(土)

今日は子ども達が通った幼稚園の作品展を見に行った。
作品展の日は、私が10年間所属した人形劇団『不思議な帽子』の11月公演の日でもある。
今年は久々の新作『ピノキオ』の初演と言うことで、楽しみにしていた。
音楽劇はおなじみ『ネコバスGO!GO!』(写真)と不朽の名作『ホネホネロック』。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

あの園に行くと、時間が止まったようだ。
子ども達はとっくに卒園してみんな大きくなっていると言うのに、園庭で遊ぶ子ども達を見ていると、鉄棒やジャングルジム、アリスのお部屋やウサギ小屋、お相撲やこま回しをしている子ども達の中に我が子の姿を探してしまう・・・。

息子が高学年のときに始まった反抗期に、子育てに自信を無くし,末娘を送りに来たものの、園庭まで行けず、桃の木の下で泣いていた時、園長先生に「きっとあの子は大丈夫」と勇気付けられたこと。
その息子が家出をした時に、園長先生の奥様に「○○君は、大冒険をしてきたのですね」と励まされたことで、どんなに救われたことだろう。

長女が学校に行けなくなったとき、不思議な帽子の公演に連れて行った。
娘は、率先して会場作りや片づけを手伝っていた。お世話になった先生方と笑顔で話していた。毎日泣いてばかりいた娘に笑顔が戻った瞬間だった。
帰りの車の中で「ママ、本当の私はあそこにいたよ」と言いながら、「ママの好きな、『島歌』をダウンロードしておいたからね」と言って、携帯にダウンロードした『島歌』をBGMに、二人で歌いながら帰ったっけ・・・。

末娘が生まれる2ヶ月前、赤頭巾ちゃんの狩人役をやっていたのだが、出っぱったお腹の上に人形を立たせて演じた。
出産予定日の日も園で人形を作っていた。いつ産気づいても、誰かが産院に車で運んでくれると言ってくれていたので。
その後、引っ越して園から遠くなってしまったのだが、末娘はどうしてもお兄ちゃんお姉ちゃんと同じ幼稚園に通いたいと言い、私はそのために、免許を取り、車を買った。

卒園式で、園長先生が必ず卒園児とお母さん方に言う言葉がある。
『道に迷ったら、ポプラの木を探しなさい。あなた達の原点はここにあるよ』
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

私も、子育てで自信をなくした時、人生に迷った時、車で出かけて行って、誰もまだ来ていない夏休みの早朝の園庭で、あのポプラの木にすがって泣いたことがある。
声を上げて子どものように泣きじゃくり、どんどん涙が出て来て涙は止まらないのに、不思議に心が洗われるようにスッキリして行ったのを覚えている。

ああ、私達母子の原風景はここにある。
あのかけがえの無い日々を共有した思い出は、私達の絆をしっかりと結び付けていてくれる。
きっと、あの子達は大丈夫。そして、私も必ず乗り越えて強くなれる。
そんな確信が体中に湧き上がってくるような気がした。

今日、久々に園に来て、たくさんの元気をもらった。
そして、私の元気がみんなの元気の素になっていることも感じた。

不思議な帽子のみんな、また来年、『黒豆』煮て持って来るね!
これからも素敵な人形劇作り、頑張って!
私も、皆に負けないくらい頑張るね!
ああ、でもやっぱり私もまた人形劇をやりたい!!!!!
月曜日、パペット人形を使って授業やってみようかしら?(半分本気)

市民文化祭作品展出品作品搬入完了!

2009-11-07 02:06:00 | 徒然なるままに
11月6日(金)

昨日は、さすがに疲れた。病み上がりとはこういうことを言うのだと思い知った。
夏休みやG.W明けの仕事とは違うと思った。

取り合えず、授業と作品展への搬入の準備作業はこなしたが、もう、咳き込みはひどく、咳をするたびに先週打った頭や首や腰に響いて、よほど顔色が悪かったのか同僚や生徒達にずいぶん心配をかけてしまった。

家にたどり着くなり、立てなくなって横になった。末娘が暖めてくれたシチューを少し頂いて咳止めを飲み、そのまま床についてしまった。


今朝は、多少咳は残るものの、たっぷり寝たせいか大分回復し、何とか仕事はこなせたと思う。

今日は、市民文化祭の作品搬入の日。
本当はたくさん展示してあげたいし、少しでも良い作品に仕上げさせたくて、夏休み明けから頑張ってきたのに、最後の詰めで私がインフルエンザで1週間も授業を休んでしまい、生徒達には迷惑をかけてしまった。全体で3分の1ぐらいの生徒しか仕上げて提出することが出来なかった。

3年生は成績や内申点もかかっているので必死だ。
昨日は2年生も残って仕上げていたが、今朝は登校時間から家で頑張って仕上げてきた生徒に、追いかけられ続きだった。
搬入に出かける30分前は、美術室は『ブザー・ビート』を決めようと、皆で必死に仕上げに来ていた生徒でごった返していた。

今日の提出に間に合わなかった生徒は、土日に持ち帰り9日の放課後提出。翌10日の市内図工美術作品展への出品を目指して頑張って仕上げてくるように言った。
今まで『締め切り』や『全員提出』と言う意識があまり無かったのか、なかなかエンジンがかからなかった生徒達が、次々に出来上がってきたクラスメイト達の作品を見て、ようやくお尻に火がついたという感じだ。

私は、どうしても、期日で切って、
「後は自分で仕上げなさい。今の時点での仕上がりで成績は付けておくから」
と言うふうには出来ないのだ。
たとえ、成績を付ける期日は過ぎてしまったとしても、必ず全員完成させ、提出させる。
そして、全員で全員の作品を鑑賞する。
と言うスタンスを崩さずにきた。

先生方の中には、
「苦手な生徒には苦痛を与えるだけだから、ある程度で切って、課題から開放させてあげるべきだ。」
「5教科ならまだしも、美術でそこまでやらせる必要はあるのか」
「早くできた上手な生徒の作品だけ展示したほうが見栄えが良い」
挙句の果てに
「あまり、美術にはまらせないで。美術に逃げて勉強しない生徒もいるから」
「美術なんていらない教科だよね。大体、他人に絵が上手いだのと評価されること自体、大きなお世話だし」
と言う人たちもいる。

これらは、かつての上司や同僚達から直接言われた言葉だ。
そのたびに凹み、潰されて、自身を失いかけ、自分は教師に適していないのではないかと追い詰められて来たが、捨てる神あれば拾う神もいて、励まし、私のやり方を理解し、協力してくださる上司や同僚もたくさんいた。
何より、生徒達自身や、保護者、生徒達の作品を見た多くの方達からもたくさん励まされてきた。

ただ、賛成意見ばかりに耳を貸すのではなく、反対意見の中にも私に足りない配慮や課題があることは確かなのだ。
耳障りの良い言葉だけを聴くのではなく、辛口のアドバイスにも耳を傾けるようにしたいと思っている。

今回、自分がインフルエンザにかかって作品提出に影響が出てしまったことは、大いに反省しなければならない。
カッターやはさみを使う作業を自習に出来ない以上、普段からの刃物の取り扱いについての指導と、私自身の体調管理をもっと徹底しないといけないと言うことを反省した。

特に3年生は次回から『篆刻』に入る。
印刀を使わせるからには、こちらも、首をかけ、体を張るぐらいの覚悟で臨まねばならない。
去年の生徒達からは
「篆刻での刃物の扱い方のご指導は、これから生きていく上でもとても大切なことを学ばせていただき、ありがとうございました。ぜひ、来年の3年生にも、篆刻の授業をさせてあげてください」
と言うメッセージをもらった。
本当にありがたいことである。
さあ、今年の3年生は、どんな『一生物のはんこ』を作ってくれるか、楽しみだ。


今日は、遅れた息子の誕生祝と、私の快気祝い、市民文化祭作品搬入完了を祝しに、回転寿司に食べに行った*(ウニ)**(トロ)*。

長女は今日から仕事で沖縄。いいなあぁ~*(椰子)*

生涯の友

2009-11-07 00:55:00 | 徒然なるままに
11月4日(水)

インフルエンザの自宅謹慎1週間は、長いと思っていたけれど終わってしまえばあっという間。
どこにも出かけられないのにはほとほと困ったが、逆に、日ごろ片付けようと思っていながら後回しにしてそれっきりのところを片付けられたのは、自宅謹慎のおかげだと思うようにしよう。
それでも、あれもこれもやろうと思っていたわりには片付かなかったが・・・。

熱が下がった翌日にあまり張り切りすぎて、疲れが出てしまい、変な咳が残って、咳き込みがひどくなると、吐いてしまうほどの咳が出る。
夕方、診察を受けて、インフルエンザは治ったものの、咳止めの薬を追加された。
明日から職場復帰できるとは言え、ちょっと万全とはいえないかなあ・・・。
でも、何としてでも出勤して、明日提出の市民文化祭の作品チェックをしなくては・・・。
毎晩、授業のことや生徒のことが夢にまで出てきて、ちっとも気が休まらない。


今日は、大学時代の友人と久々に電話で話した。
一昨日が誕生日と言うことで、これで彼女も私と同い年だ。
でも、電話から流れてくる声は、学生時代と全く変わらない、都会的で涼やかな、若々しい声だ。
田舎から出てきたばかりの私にとっては、そのイントネーションや発音の明快さ、都会的な語り口、何より見た目の都会っぽさに反する純な人柄のギャップににすごく憧れた。
初めて彼女のお家に泊まったとき、今は亡きお母様が、
「今日はね、彼女がジェフなのよ」
とウィンクしながら言った時、
「なんて、都会的なの*(シャイ)*?!娘のことを娘の友人に話す時『彼女』って、言うなんて*(ハート目)*
それも、『シェフ』だなんて!え?『シェフ』?何だっけ?犬の名前?」
なんて、わけも分からず感動してしまったものだった。

彼女とは、見た目も育ちも性格も全く正反対なのに、同じ演劇サークルに所属し、『海のトリトン』と『銀河鉄道999』のファンだと言う共通項で、あっという間に仲良くなったのだった。

以来、31年間の付き合いだ。
彼女は油絵科出身で、ライフワークの首都高を題材にした絵を描き溜めては個展を開いている。
彼女のその視点の確かさとダイナミックで迫力のある画風にはいつも触発される。
来年の個展を目指して頑張っている話を聞き、またまた触発されたのだった。

私には、今は何年かに1度会えるか会えないかになったけれど(年賀状は毎年交換している)、お互いの頑張りがすごく励みになったり、触発されるような友人がたくさんいる。
それだけ一緒に過ごしていた時間が濃くて充実した、宝物のような青春時代を共に過ごせたからだと思う。
同士であり、親友であり、好敵手でもある。
今日の彼女も、その中の一人ではあるが、私も、彼女にとって、いつも、これからもそういう存在であり続けたいと思う。

槙原敬之の『遠く遠く』と言う歌にあるように、
♪遠く、遠く離れていても、僕のことが分かるように
 力いっぱい輝ける日を この町で迎えたい

明日から、また仕事が始まるぞ!
彼女に負けないように、私も頑張ろう*(笑顔)*