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交流

『皇室の名宝展第二期』

2009-11-22 21:06:00 | 徒然なるままに
11月21日(土)

今日は妹と上野の国立博物館に、『皇室の名宝展第二期』http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=6890
を見に行った。

まずは、その前に腹ごしらえをしてからと言うことで、息子お奨めのラーメンを食べに行った。
東十条北口にある『燦燦斗』(さんさんと)だ。
http://www.01ch.com/ramen/sansanto.html
改札口で駅員さんに場所を聞いたら、親切に地図を出して説明してくださり、
「美味しくて有名なラーメン屋さんですよ」
と教えてくださった。
チャーシューがやわらかく、味玉が絶品だった。
太目の自家製麺は、ラーメンでも付け麺でも美味しく、ボリュームがあった。

これが後々祟ることになるのだが・・・。

さて、展覧会場に着いたら長蛇の列。でも、30分待ち程度で、『阿修羅展』の時の1時間半待ちに比べれば楽勝だ。
でも会場内は混雑していて、なかなか前に進めなかった。
じっくりじっくり見ながら進んでいると、さっきのラーメンの満腹感からか、だんだん睡魔が襲ってきて、細かい書や絵巻物をじっくり見ることが出来なくなってきてしまった。
立ち止まったままいつの間にか眠っていて、気が付くと私で渋滞していたり、音声ガイドの説明が終わっていたりした。
屏風のコーナーにたどり着いたときには眠気もピークになっていて、仕方なくスツールで仮眠を取った。

やっと頭もすっきりしてじっくり見始めた頃には、そろそろ閉館時間が近づいていた。

見終わってみて、一期と二期を比べてみると、私的には一期のほうが見応えがあったかなぁ・・・。特に、伊藤若冲はいまだに感動が覚めやらない。本当は会期中にもう一度見に行きたかったのだが、インフルエンザになってしまい、治る前に会期が終わってしまって残念だった。
二期にも素晴しい名作・名品はたくさんあった。特に『書』や『刀剣』に興味のある人にはたまらないお宝がたくさんあった。

それにしても、日本人の美意識や美学って、すごいなあと思った。
『皇室の名宝』と言うのは、世が世なら現人神からの勅命を受けた当代一の名工達が、命がけで取り組んだ作品だ。
後世に伝わる名作を伝統の技と己のオリジナリティを精魂こめて作り上げた気概が、見るものの胸を打ち、感嘆の声を上げさせる。
維新や震災、戦争で数多くの名作、名品が失われてしまったが、奈良時代のものなど完全な形で今に伝わることが出来たのは、宮中の人々が細心の注意を払って保管し、後世に伝えるという大役を必死で守り、果たして来た人たちのおかげだと思う。名宝の素晴しさに見入ると同時に、影の人たちの努力に頭が下がる思いだ。

私たちはこういう類まれな展示会を、意識的に見に行って、日本の美を再認識する必要があると思う。
去年の3年生に、『ジャポニズム』の授業をしたとき、つくづく感じた。

それにしても、日本美術を見るときには日本史や、日本文学をもっと勉強する必要があると思った。
たとえば『源氏物語』を読んでいるかどうかで、その作品の素晴しさの感じ方はだいぶ違うと思う。
絵巻物にしても、屏風絵にしても、『源氏物語』をモチーフにしたものや、有名な場面を見ても、何が描かれているのか分かった上で見たほうがずっと興味深く見ることが出来るのだ。
またいつかこういう展示会を見る時には、名工たちがその作品にこめた思いをもっと感じ取れるよう、勉強しておこうと思う。
それと、展示会を見る前にはあまりお腹いっぱいになるまで食べないでおこうっと・・・*(シャイ)**(汗)*

『ラピスラズリ』の歌に癒されて・・・

2009-11-22 19:10:00 | 徒然なるままに
11月21日(金)

今日は、早めに退勤し、佐倉のSUN RISEというライブハウスに『ラピスラズリ』(私の『リンク集』から飛べます)のライブコンサートを聴きに行った。

久々に前任校先生と会い、今回はご主人やご友人の方とも同席させていただき、楽しく食事をしながらのライブだった。

前回聴きに行ったのは8月の結成3周年記念コンサートで、その時にCDを買い、今も時々通勤中の車で聞いているので、知っている歌は自然と口ずさむことも出来た。

聴きに来ている人たちの年齢は私前後ぐらいの人が多く、私たちの青春時代に流行った歌のカバー曲が流れると自然に体が動いた。

今回、印象に残ったのは、広田三枝子の『人形の家』。
小さい頃によく聞いていた歌だ。
内容は良く分からなかったけれど、とても印象に残っている。
この年齢になって改めて聴くとまさに名曲だ。
広田三枝子のように朗々とした歌声も良いが、印南さんのハスキーボイスで切なく歌われると歌の内容とあいまって、ジワ~ッと染み入る歌だ。

オリジナル曲の『忘れ雪』はやはり夏に聞くよりは今から春にかけてがぴったりだなあ。すごくしっとりと聴き入ってしまった。

オープニングの松田聖子の『瑠璃色の地球』も良かった。
数年前、この歌のCDジャケットを描いていた生徒のことを思い出しながら聴いていた。

前田さんのアコースティックなギターの音色と甘い歌声も素敵だった。

このところ、公私共に、かなり気の休まらない多忙な毎日を送っていたので、なんだかほっとして、心がホッコリする時間を過ごせたような気がする。

九星気学の視点で見る中学生の気質の違い

2009-11-22 15:10:00 | 徒然なるままに
11月20日(木)

今日はとても興味深い話を聞いた。
同じ地域の同じ学校の生徒達でも、学年によってカラーがあり、教える側と教えられる側との相性がある。
それが、干支や九星気学の視点で見ると、分かりやすいと言うのだ。
もちろん、個人的には個々の性格や生育暦、家庭環境などでまた違っては来るだろうが、大まかな見方として。

今の中学1年生は、『四緑木星』で『木』だから、ピンピンいろんなところから枝葉が伸びてくるので、時々ちゃんと剪定してあげないと、根っこが弱るのだと言う。しっかりした幹が出来て、上へ上へと伸び続ける若木達とどう向き合っていくのか。方向性を示してあげたり、間違った方向に伸びてきたらばっさりと切ったり、傷口からばい菌が入らないように、害虫や病気に負けないように、ある程度の『管理』は必要だと言うことだ。

2年生は『五黄土星』で『土』。バランスを見る学年なのだそうだ。
14歳の思春期反抗期真っ只中、いろいろ悩みも多いお年頃。
家でも母子バトルを繰り広げ、部活ではレギュラー争いに気力体力を使い果たし、受験なんて遠い先のことは意識外で、未提出や赤点があっても屁とも思わないふてぶてしさ。
教師にはたてつき、生意気な口を利くくせに、同級生達には繊細なまでに気を使い、人目を人一倍気にする。
みんなに合わすか、他を切り捨てて自分の優位を守り抜くか、常に微妙なバランス感覚を保って、疲弊している感じ。
本当は『正しいものは正しい』『おかしいものはおかしい』と言いたいのに、自分にまだ自信が無いので、言いたいことも言えず心の中に何かマグマをくすぶらせている感じを受ける。

でも、今回、CDジャケットをデザインさせて、とにかく全員完成を目指して居残りまでさせて一人ひとりと向き合ってみると、彼らはとても雄弁なのが分かってきた。
自分なりのイメージを誰のまねでもなく、表現したがっている。そこに一緒に入り込んで背中を押してあげたり、突破口を探してあげると驚くほどの感性と根性を見せてくれる。
どうしてその歌がすきなのか、どのフレーズやメロディーをどんな風に表現したいのか、一歩も譲らないこだわりまで見せてくれるし、私のだめ出しに、何度でも書き直して納得いく作品を仕上げようと努力する姿は感動ものだ。
「今まで、美術の作品なんて最後まで仕上げたことが無かった。いっつも時間切れで・・・」
と言っていた生徒が、ちゃんと仕上げて提出をして帰るときの「ありがとうございました!」はとても爽やかだった。
また、いい加減な仕上げをして、一晩で家でやり直しになった女子生徒が、朝一番でやり直してきたときには思わず抱きしめてしまった。

周りを気にしながら、いろんなことを我慢して、自分を思い切り出せない、自己肯定感を持てないでいる2年生たち。
次のアニメではじけようぜ!

3年生は『六白金星』で『金』。プライドの高い学年なのだそうだ。
個人個人が強すぎ、まとまりが無いように見えながら、泣きながらでも諦めない強さがあり、根拠の無い自信もある。
誰よりも早く、良い作品を作って認めてほしいと頑張る生徒も多いし、どうすれば成績が上がるかを常に意識している生徒もいる。
出来ないことを指摘するよりも、出来ている生徒を褒める方が効果的な気がする学年だ。
自分にもやれば出来る。努力すれば結果となって現れ、認めてもらえる。
だから、いい加減な取り組みや姿勢をバッチリ怒った後、出来たら褒めるとすごく伸びる生徒が多い。
その代わり、みんなの前で見せしめのように怒るのは逆効果。
後で個人的に、
「次回、リベンジ期待しているから」
と言ってあげたほうが素直に聞いてくれる。
生徒によっては、みんなの前で褒めるより、通りすがりに、
「この間の、良かったよ。やったじゃん!]
と言ってあげたほうがうれしい子もいるようだ。
プライドが高いだけに傷つきやすく、自信は無いけれど、誰よりも認めてもらいたい、そんな自分と向き合うのは正直苦しい。でも、努力が認められれば更に上を目指すことが出来る生徒達だ。いかにやる気を引き出し、持続させ、更なる意欲を呼び起こせられるか、教師の腕の見せ所だ。

まさに、生徒は、教師のスキルアップのために縁があって回り逢わせられた『問題集』だと思う。
それは、生徒にとってもそうなのだ。
大変な子を受け持つのも、問題のある学級を担当するのも、やる気の無い学年に美術を教えるのも、私が『一人前』の教師になるために回り逢わされた必然的な出逢いなのだろう。

『一期一会』

この学校のでの任期も後4ヶ月あまり。
今日教えてもらった九星気学の視点を参考に、後期の授業の展開を見直してみよう。
その人は
「どうしてもうまが合わない時は、自分とその学年との『相性』を見ると良いよ。同じ学年でも、去年の子達と今年の子達とでは全く気質が違うんだから。同じ課題をやられても、同じやり方は通じないときがあるから。」
と教えてくれた。

なんだか、明日、生徒たちに会うのがすごく楽しみになってきた。


種まく人

2009-11-22 10:57:00 | 徒然なるままに
11月19日(水)

今日は、1年生に読み聞かせをした。
星新一の『おーい出でてこい』と『干支の始まり』

星新一のショートショートは、短いストーリーの中に、映像化できそうな強いインパクトと、社会風刺的なブラックユーモアが盛り込まれている。そのラストの意外などんでん返しは、その物語の始まりやちりばめられた伏線に一瞬にして戻る一方で、物語に描かれていないその後の展開を想像させる。

『おーい出てこい』は、まさにそういう話だった。
生徒は、途中で、
「あ、分かった、こういう結末なんだろう」
と想像し、それを口に出しそうになりながらも、息をひそめて物語に聞き入っていた。
ラストシーンが終わっても、しばらくは黙って、何事かを考えていた。
「この後、どうなったと思う?」
彼は物語をもう一度思い返す。
そして、本には書かれていない未来を想像してゾッとするのだ。
「先生、もっと他のお話も読んで!」
「このお話、なんていう本に載っているの?」
「10分位で読みきれる短いお話ばかりだから、朝読書の時に読んでごらん。『おーい出てこい』は『ボッコちゃん』という本の中にあるお話なんだけど、その中の『プレゼント』という話もおもしろいよ」

 
『干支の始まり』は、日本の話の本が無かったので、中国の話を読んだ。
日本の話同様、ねずみの賢さで干支の1番目を獲得する話だが、中国の話には猫の話は出てこなかった。
今の1年生達は『子年』なので、ねずみの賢さに感心していたようだ。


さて、今日のお話が、『読書感想画』につながるかどうかは分からないが、普段、自分では選ばない本、読んだことがないジャンルのお話を耳から聞いて、どんなイメージを持ったことだろう。

読んでいる私も、物語の展開にワクワクしながらも、聞いてくれている生徒の表情や反応を見ながら読むのはすごく楽しかった。

以前、私は学習塾のインストラクターをしていた。その教室には、いろいろな学区や学校の生徒が集まっていた。
ある時、教科書準拠の課題に取り組ませていたとき、違う教科書の課題をやっていた生徒が、
「このお話、どんなお話なの?」
と聞いてきたので、
「ああ、このお話、あなたの教科書には載っていないものね。じゃあ、そのプリントが終わったら、授業の最後に、そのお話、読んであげるね」
と言って読んであげたのが『泣いた赤鬼』だった。
小学校3年生のかなりやんちゃなクラスだったが、子ども達はそのお話を知っている子も知らない子も、黙って聞いていた。
読み終わると口々に感想を言い、中には
「赤鬼も、青鬼もかわいそう」
と涙する子もいた。
次の日には印象に残った場面を絵に描いて来た子もいた。
以来、国語の時間は10分早くプリントを仕上げて、教科書だけでなく、いろいろな短いお話を読んであげたものだった。

小学校で図工を教えたときは、『花咲き山』や『モチモチの木』など斉藤隆介の民話をよく読んであげた。
最初は素話で。2回目は滝平二郎の絵を見せながら。
中学校で美術を教えるようになってからずっと読んでいるのが、『あらしのよるに』と『葉っぱのフレディ』。
生徒達は習った手法を生かして、結構感性豊かな絵を描いてくる。
何年も前に教えた生徒が、久々に会ったときに
「紅葉の季節になると、先生に読んでもらった『葉っぱのフレディ』を思い出します」
と言ってくれたのがうれしかった。
「みんなは同じ紺色の制服を着ているけれど、中学時代、どんなことをどんな風に頑張ったかで、フレディたちのように一人ひとり違う色に『紅葉』するんだよ」
「『変化』することは怖いことじゃないんだよ」
私は、新しい学校に赴任すると必ず確認するのが楓の木があるかどうか。
今年も、見事な紅葉が始まっている。

美術の先生が読み聞かせなんて、ちょっとミスマッチなのかもしれない。
でも、私は、本を読んでも、音楽を聴いても、それを絵に表したくなってくるので。
自分の中では、国語科、音楽科、美術科なんて線引きは無い。美術史は社会科の歴史に連結し、幾何学デザインやパースの書きかたは数学の図形の力が必要で、残像現象を利用した作品には理科の原理の理解と応用が役に立ち、技術・家庭科は、双方の技術や知識が関連し合える教科だ。体育関係はダンスや部活動の衣装やユニホーム作りに、色の知識は欠かせない。
そんなことを意識しながら、また生徒達にも意識させながら、上手・下手だけではない、『役に立つ教科』としての美術を実感してほしいと思っている。

読み聞かせの話からあちこち飛んでしまった*(汗)*
私は『種まく人』だ。
どんな芽がいつ頃芽吹くか、どんな花を咲かせ、身をつけるか、その種がまたどんなところに飛んでいくか、想像するだけでもワクワクする。
私はまた、美術の『水先案内人』だ。
美術世界の入り口までは連れて行ってあげるが、どの扉を開けて、どの道を進んでいくのかはその生徒次第。
色の世界に進む子、形の世界に進む子、美術史や鑑賞の世界に進む子・・・

私の使命は『美術嫌い』を作らないこと。
下手でも、苦手でも良いから『美術って面白い』『役に立つ』と実感してほしい。『完成させることが出来た』と言う達成感を持ってもらいたい。
その理想にはまだまだ遠く、いくつもの壁があるけれど、10のうち、9は報われないことが多いけれど、今すぐに結果は出なくても、5年後、10年後、人生の中で、ふっとああ、中学生の時、美術の授業で作ったなあ、習ったなあと思い出してもらえる授業を目指して行きたい。

来週は紅葉がきれいなうちに、『葉っぱのフレディ』を読んであげようかなあ・・・
まずは最後まで読みきれるように、早く『咳き込み』を治さないと。