1月14日(木)
今日、QU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)の研修を受けた。
【QUについて】http://www.pajapan.com/topics/topics20qu.html
前期にも1度受けているのだが、それを受けての今回の研修だった。
前回、初めてQUを知ったのだが、その時には未だ生徒達と知り合って間もない頃だし、出た結果についての分析もあまりピンと来なかった。
今回は、その出た結果とそれに対しての分析のリアルさと、浮き彫りにされた問題点に対してのフォローの仕方や留意点は、大変参考になった。
アンケートに基づく、生徒達の回答の座標点が示す位置は、生徒の満足度でありSOSでもある。
『QU』はいじめや不登校、学級崩壊に至る前の予防策として、大変有効なアンケート分析だと思う。
しかし、100%本音が出ているわけではない。
記名をして提出する物である以上、担任が目を通すことを意識しての回答をしている生徒もいるはずだ。
また、問題の内容を勘違いして回答している可能性もある。
そのためにも、同じ問題をその生徒の立場や気持になって回答し、出た結果と実際のその生徒の結果を照らし合わせ、その『ズレ』について検討しなければならないと思う。
『支援を要するエリア』に属する生徒に対しては、担任だけでは無理で、学年、学校体制でその生徒を支援していかなくてはならない。
その生徒の『底上げ』と言うか、自己肯定感・達成感が持てるよう、教科ごと、立場ごとに、具体的に声をかけること。
私の場合、副担任と言う立場、全学年を担当する美術と言う技能教科であるというのは、私にしかできない、私だからこその支援の役割がある。
また、3人の子育てを経験し、その家庭環境的にも、他の先生方とは違う視点でその生徒や親子関係、家庭環境を見ること、理解することが出来ると自負している。
講師と言う不安定な立場だが、この7年間と言う間に、たくさんの学校に所属し、何千人と言う生徒達や保護者の方々と関わってきた経験もある。
更に、教職以外の職業やボランティア活動を通しての、たくさんのネットワークタツールを持っている。
今まで、仕事でも、子育てでも、家庭のことでも、けして楽なことはなく、常に逆境に近い状態で、それでもたくさんの出会いと仲間達、子ども達に助けられてきた。
『これって何のための修行?いつまでつづくの??』
と思いながら、潰されても歯を食いしばって立ち上がり、歩き続けて来た後ろを振り返り、
『ああ、この時のためにあの時があったんだなあ・・・』
というように、その経験はいろいろな場面で生かされている。
まるで、あの頃の我が子が抱えていた問題にぶつかっている生徒や、あの頃の私のように悩んで苦しんでいる保護者、一歩が踏み出せないでいる後輩達を見ていると、何とか力になって、背中を押してあげたり、『ガス抜き』をしてあげたくなる。
私も、そうしてたくさんの人たちに支えられ、励まされてきたから・・・。
どんなに苦しい時も、けして、私一人ではなかったこと。
どんなに分厚く高い壁も、いつも誰かが踏み台になってくれたり、重たいお尻を持ち上げてくれ、引き上げてくれて、乗り越えるのを応援してくれた。
自信がなくて、踏み出せなくても、私が自分から踏み出そうとするまで、根気良く付き合ってくれ、怖がる私の背中をそっと押してくれたりした。
今、改めて当時お世話になった方々に、心から感謝する。
『QU』の結果を見ながら、生徒達はもちろん、その生徒達を受け持つ担任たちの気持になって考えてみた。
『声掛け』が必要なのは、生徒や保護者たちだけではない。
『担任』たちへの支援も必要なのだ。
かつて、担任になって2ヶ月にもならないうちに『鬱』になって学校に来られなくなった先生のピンチヒッターとして担任を務めたことがあった。
初めての担任で、それも何の申し送りも打ち合わせもないまま、もう、私がやるしかない状態での無謀な挑戦だった。
でも、その時は、同僚達や、生徒達、お母さん方にもたくさん支えられて、何とか1日も休むことなく、離任するまで勤め上げることが出来た。
あの貴重な経験と出逢いは、どんな大金をはたいても得ることができない、私の大切な宝物だ。
自分自身、この先、どんな大変なことがあっても、あれを乗り越えられた私に乗り越えられないわけがないという(変な)自信にもつながっている。
それを裏付けてくれるように、かつての教え子達が、いつでも、どこで会っても、私を見つけると声をかけてくれたり、会いたがってくれるのがうれしい。
それも、当時はやんちゃで手がかかった生徒ほど。
今、生徒だけでなく、現場の教師の中にも、老若男女問わず、ともするとベテランの先生ほど『鬱』になって登校拒否や、辞めてしまう先生が増えている。
現場の先生方用のカンセリング体制を敷くことは急務と思う。
そのためにも、管理職は『目標申告』や『モラル&モラールアップのためのレポート』などを提出させるだけでなく、先生方用のQU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)を取って、現場の教師が意欲を失わずに教育に情熱を注ぎ続けられるような支援を考えてほしいと思う。
職場は『チームプレー』だ。
いろんな職場にはいろんな価値観や経験を持つ人間がいることだろう。
でも、縁があって出逢った『仲間』だ。
起きている間、家族よりも長い時間を共有し、一緒に行動したり会話する『戦友』なのだ。
考え方ややり方は違っても、『よりよいものを作り上げたい』と言う『志』が一緒なら、いい意見を出し合い、検討し合い、目標に向かって協力し合い、認め合い、尊敬し合い、励まし合う『同志』として活動して行きたいと思う。
そのために一番大切で、誰でも出来ることは、『挨拶』だと思う。
前日にどんなに喧嘩していても、翌日には大きな声で『おはようございます』と挨拶を交し合うことが大切だと思う。
出来れば、『笑顔』で。
自分を自己正当化し、自分の主張ばかりを押し付けるのは『北風』だ。
『太陽』のような明るい笑顔と元気な挨拶は、相手も周りも暖かい優しい気持ちにするのではないだろうか。
今日、QU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)の研修を受けた。
【QUについて】http://www.pajapan.com/topics/topics20qu.html
前期にも1度受けているのだが、それを受けての今回の研修だった。
前回、初めてQUを知ったのだが、その時には未だ生徒達と知り合って間もない頃だし、出た結果についての分析もあまりピンと来なかった。
今回は、その出た結果とそれに対しての分析のリアルさと、浮き彫りにされた問題点に対してのフォローの仕方や留意点は、大変参考になった。
アンケートに基づく、生徒達の回答の座標点が示す位置は、生徒の満足度でありSOSでもある。
『QU』はいじめや不登校、学級崩壊に至る前の予防策として、大変有効なアンケート分析だと思う。
しかし、100%本音が出ているわけではない。
記名をして提出する物である以上、担任が目を通すことを意識しての回答をしている生徒もいるはずだ。
また、問題の内容を勘違いして回答している可能性もある。
そのためにも、同じ問題をその生徒の立場や気持になって回答し、出た結果と実際のその生徒の結果を照らし合わせ、その『ズレ』について検討しなければならないと思う。
『支援を要するエリア』に属する生徒に対しては、担任だけでは無理で、学年、学校体制でその生徒を支援していかなくてはならない。
その生徒の『底上げ』と言うか、自己肯定感・達成感が持てるよう、教科ごと、立場ごとに、具体的に声をかけること。
私の場合、副担任と言う立場、全学年を担当する美術と言う技能教科であるというのは、私にしかできない、私だからこその支援の役割がある。
また、3人の子育てを経験し、その家庭環境的にも、他の先生方とは違う視点でその生徒や親子関係、家庭環境を見ること、理解することが出来ると自負している。
講師と言う不安定な立場だが、この7年間と言う間に、たくさんの学校に所属し、何千人と言う生徒達や保護者の方々と関わってきた経験もある。
更に、教職以外の職業やボランティア活動を通しての、たくさんのネットワークタツールを持っている。
今まで、仕事でも、子育てでも、家庭のことでも、けして楽なことはなく、常に逆境に近い状態で、それでもたくさんの出会いと仲間達、子ども達に助けられてきた。
『これって何のための修行?いつまでつづくの??』
と思いながら、潰されても歯を食いしばって立ち上がり、歩き続けて来た後ろを振り返り、
『ああ、この時のためにあの時があったんだなあ・・・』
というように、その経験はいろいろな場面で生かされている。
まるで、あの頃の我が子が抱えていた問題にぶつかっている生徒や、あの頃の私のように悩んで苦しんでいる保護者、一歩が踏み出せないでいる後輩達を見ていると、何とか力になって、背中を押してあげたり、『ガス抜き』をしてあげたくなる。
私も、そうしてたくさんの人たちに支えられ、励まされてきたから・・・。
どんなに苦しい時も、けして、私一人ではなかったこと。
どんなに分厚く高い壁も、いつも誰かが踏み台になってくれたり、重たいお尻を持ち上げてくれ、引き上げてくれて、乗り越えるのを応援してくれた。
自信がなくて、踏み出せなくても、私が自分から踏み出そうとするまで、根気良く付き合ってくれ、怖がる私の背中をそっと押してくれたりした。
今、改めて当時お世話になった方々に、心から感謝する。
『QU』の結果を見ながら、生徒達はもちろん、その生徒達を受け持つ担任たちの気持になって考えてみた。
『声掛け』が必要なのは、生徒や保護者たちだけではない。
『担任』たちへの支援も必要なのだ。
かつて、担任になって2ヶ月にもならないうちに『鬱』になって学校に来られなくなった先生のピンチヒッターとして担任を務めたことがあった。
初めての担任で、それも何の申し送りも打ち合わせもないまま、もう、私がやるしかない状態での無謀な挑戦だった。
でも、その時は、同僚達や、生徒達、お母さん方にもたくさん支えられて、何とか1日も休むことなく、離任するまで勤め上げることが出来た。
あの貴重な経験と出逢いは、どんな大金をはたいても得ることができない、私の大切な宝物だ。
自分自身、この先、どんな大変なことがあっても、あれを乗り越えられた私に乗り越えられないわけがないという(変な)自信にもつながっている。
それを裏付けてくれるように、かつての教え子達が、いつでも、どこで会っても、私を見つけると声をかけてくれたり、会いたがってくれるのがうれしい。
それも、当時はやんちゃで手がかかった生徒ほど。
今、生徒だけでなく、現場の教師の中にも、老若男女問わず、ともするとベテランの先生ほど『鬱』になって登校拒否や、辞めてしまう先生が増えている。
現場の先生方用のカンセリング体制を敷くことは急務と思う。
そのためにも、管理職は『目標申告』や『モラル&モラールアップのためのレポート』などを提出させるだけでなく、先生方用のQU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)を取って、現場の教師が意欲を失わずに教育に情熱を注ぎ続けられるような支援を考えてほしいと思う。
職場は『チームプレー』だ。
いろんな職場にはいろんな価値観や経験を持つ人間がいることだろう。
でも、縁があって出逢った『仲間』だ。
起きている間、家族よりも長い時間を共有し、一緒に行動したり会話する『戦友』なのだ。
考え方ややり方は違っても、『よりよいものを作り上げたい』と言う『志』が一緒なら、いい意見を出し合い、検討し合い、目標に向かって協力し合い、認め合い、尊敬し合い、励まし合う『同志』として活動して行きたいと思う。
そのために一番大切で、誰でも出来ることは、『挨拶』だと思う。
前日にどんなに喧嘩していても、翌日には大きな声で『おはようございます』と挨拶を交し合うことが大切だと思う。
出来れば、『笑顔』で。
自分を自己正当化し、自分の主張ばかりを押し付けるのは『北風』だ。
『太陽』のような明るい笑顔と元気な挨拶は、相手も周りも暖かい優しい気持ちにするのではないだろうか。