1月26日(火)
今、1年生の授業では『ゴッホ』の鑑賞をしている。
今回は2回目。
ゴッホが夢に描いた芸術家のユートピア「黄色い家」に招いた絵の仲間13人のうち、たった一人応えてくれて友人がいた。
ポール・ゴーギャンだ。
彼との2年間の共同生活、耳きり事件、共同生活の破綻、失意のうちに自らラオーヴェールの精神病院に入院し、たくさんの人に支えながら、なかなか売れなくても絵を描き続け、麦畑で37歳の生涯を閉じる・・・。
生徒達は、食い入るようにビデオを鑑賞していた。。
終わってから、私は補足した。
*(ひまわり)*ゴッホの耳切り事件は、当時、ジャポニズム(日本趣味)に影響を受け、『武士道』読んだゴッホは、ゴーギャンに対する謝罪の意味で、体の中で一番痛くなさそうな耳たぶを切って渡したのではないか?
でも、自殺は大罪だとするキリスト教徒であるゴーギャンにとっては、体の一部分を謝罪の証として渡されても、これ以上共同生活を続ける気持にはならなかったのだろう。
二人はその後2度と会うことはできなくなるのだが、ゴーギャンとゴッホは文通を続けている。ゴーギャンが楽園を求めて渡り、そこで命尽きたタヒチにはひまわりは咲かないのだが、ゴーギャンは死の何日か前に、その時点では亡くなっているゴッホのために『ひまわり』の絵を描いている。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
*(ひまわり)*ゴッホは自殺説が多いが、私はそうではないと思う。
ゴッホは、死の直前、自分と同じ名前をつけてもらった可愛い甥っ子のために、麦畑で見つけた鳥の巣を持って弟宅を訪ねている。
当時、ゴッホは弟テオの全面的経済援助を受けながら、1枚も絵が売れていなかった。
年間300万円を越す兄への仕送りは、景気が悪くなった上、小さい子どもを育てる夫婦にとってはかなりの負担だったのだろう。
そのことについて弟夫婦が話し合っているのを立ち聞きしてしまうのだ。
そして、ゴッホはその後、精力的に絵を描いている。何とか売れる絵を描こうと思っていたのに違いない。
これは、ゴッホが甥っ子フィンセントのために描かれたと言われている「アーモンドの花咲く木」の絵だ。
日本に憧れたゴッホは桜の花が好きだった。
桜の木に似ているこの木をどんな思いで描いたのだろう…。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
ところが、いつものように麦畑で描いている時に、カラスを脅かすために持っていっていた銃が何かの拍子に暴発し、ゴッホの腹を直撃したのだろう。
もし、ゴッホが本気で自殺を考えていたなら、急所をはずすことなく打っていただろう。
でも、ゴッホは麦畑で気を失い、血を流し続け、何時間か後、気がついたゴッホは傷ついた身体で自力で病院に帰って来ているのだ。
手当ての甲斐も無く亡くなる前に、知らせを聞いて駆けつけた弟テオにこう言い残している。
「またしくじっちゃったよ・・・」
*(ひまわり)*ゴッホが亡くなって1ヵ月後、まるで兄の後を追うようにテオは病気で亡くなってしまう。
幼子を抱えて残されたテオの妻ヨハンナは、義兄ゴッホの美術館を立て、夫の墓を義兄の隣に立てた。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
今も、ゴッホ好きな日本人の中には、
「自分が死んだら、遺灰を一つまみゴッホの墓の前に撒いてくれ」
と言い残して亡くなる人もいるという。
日本に憧れ続けたゴッホは、そのゴッホの生涯と作品を愛するたくさんの日本人と相思相愛なのだ。
生徒達の鑑賞後の感想カードは、読んでいてなかなかグッと来るものが多いが、やはり、耳きり事件や自殺行為のインパクトが強すぎるような感想も多い。
でも、多くは
「売れなくても、自分の信じた描き方でたくさんの絵を描き続けたのはすごい。弟にお金を返そうと頑張って描いたのに、当時は売れなくて残念だ。」
「テオは本当に兄思いの弟だ。弟が助けてくれたおかげでゴッホはたくさんの絵を描くことができた」
「テオの分も入れて15本のひまわりを描いたゴッホも、弟思いの優しい人だと思う」
と、ファン・ゴッホ兄弟の絆の深さを書いていた。
「いつか本物を見る機会があったら絶対見に行く!」
と書いてくれた生徒もたくさんいて、とてもうれしかった。
今、1年生の授業では『ゴッホ』の鑑賞をしている。
今回は2回目。
ゴッホが夢に描いた芸術家のユートピア「黄色い家」に招いた絵の仲間13人のうち、たった一人応えてくれて友人がいた。
ポール・ゴーギャンだ。
彼との2年間の共同生活、耳きり事件、共同生活の破綻、失意のうちに自らラオーヴェールの精神病院に入院し、たくさんの人に支えながら、なかなか売れなくても絵を描き続け、麦畑で37歳の生涯を閉じる・・・。
生徒達は、食い入るようにビデオを鑑賞していた。。
終わってから、私は補足した。
*(ひまわり)*ゴッホの耳切り事件は、当時、ジャポニズム(日本趣味)に影響を受け、『武士道』読んだゴッホは、ゴーギャンに対する謝罪の意味で、体の中で一番痛くなさそうな耳たぶを切って渡したのではないか?
でも、自殺は大罪だとするキリスト教徒であるゴーギャンにとっては、体の一部分を謝罪の証として渡されても、これ以上共同生活を続ける気持にはならなかったのだろう。
二人はその後2度と会うことはできなくなるのだが、ゴーギャンとゴッホは文通を続けている。ゴーギャンが楽園を求めて渡り、そこで命尽きたタヒチにはひまわりは咲かないのだが、ゴーギャンは死の何日か前に、その時点では亡くなっているゴッホのために『ひまわり』の絵を描いている。
![](http://photofriend.jp/u/57834/d1121e9b18958dab679526decca0c47b50000000000001248771.jpg)
*(ひまわり)*ゴッホは自殺説が多いが、私はそうではないと思う。
ゴッホは、死の直前、自分と同じ名前をつけてもらった可愛い甥っ子のために、麦畑で見つけた鳥の巣を持って弟宅を訪ねている。
当時、ゴッホは弟テオの全面的経済援助を受けながら、1枚も絵が売れていなかった。
年間300万円を越す兄への仕送りは、景気が悪くなった上、小さい子どもを育てる夫婦にとってはかなりの負担だったのだろう。
そのことについて弟夫婦が話し合っているのを立ち聞きしてしまうのだ。
そして、ゴッホはその後、精力的に絵を描いている。何とか売れる絵を描こうと思っていたのに違いない。
これは、ゴッホが甥っ子フィンセントのために描かれたと言われている「アーモンドの花咲く木」の絵だ。
日本に憧れたゴッホは桜の花が好きだった。
桜の木に似ているこの木をどんな思いで描いたのだろう…。
![](http://photofriend.jp/u/57834/dac09e200a7a7cc7beffc9d3576583ada0000000000001248772.jpg)
ところが、いつものように麦畑で描いている時に、カラスを脅かすために持っていっていた銃が何かの拍子に暴発し、ゴッホの腹を直撃したのだろう。
もし、ゴッホが本気で自殺を考えていたなら、急所をはずすことなく打っていただろう。
でも、ゴッホは麦畑で気を失い、血を流し続け、何時間か後、気がついたゴッホは傷ついた身体で自力で病院に帰って来ているのだ。
手当ての甲斐も無く亡くなる前に、知らせを聞いて駆けつけた弟テオにこう言い残している。
「またしくじっちゃったよ・・・」
*(ひまわり)*ゴッホが亡くなって1ヵ月後、まるで兄の後を追うようにテオは病気で亡くなってしまう。
幼子を抱えて残されたテオの妻ヨハンナは、義兄ゴッホの美術館を立て、夫の墓を義兄の隣に立てた。
![](http://photofriend.jp/u/57834/d98c82887716b37c09359c8c83fee42d30000000000001248778.jpg)
今も、ゴッホ好きな日本人の中には、
「自分が死んだら、遺灰を一つまみゴッホの墓の前に撒いてくれ」
と言い残して亡くなる人もいるという。
日本に憧れ続けたゴッホは、そのゴッホの生涯と作品を愛するたくさんの日本人と相思相愛なのだ。
生徒達の鑑賞後の感想カードは、読んでいてなかなかグッと来るものが多いが、やはり、耳きり事件や自殺行為のインパクトが強すぎるような感想も多い。
でも、多くは
「売れなくても、自分の信じた描き方でたくさんの絵を描き続けたのはすごい。弟にお金を返そうと頑張って描いたのに、当時は売れなくて残念だ。」
「テオは本当に兄思いの弟だ。弟が助けてくれたおかげでゴッホはたくさんの絵を描くことができた」
「テオの分も入れて15本のひまわりを描いたゴッホも、弟思いの優しい人だと思う」
と、ファン・ゴッホ兄弟の絆の深さを書いていた。
「いつか本物を見る機会があったら絶対見に行く!」
と書いてくれた生徒もたくさんいて、とてもうれしかった。