1月3日(月)
今日は、午前中に、末娘と一緒に初詣に出かけた。
別名だるま寺と呼ばれるそのお寺は、現勤務校の学区にあり、総合学習の地域調査の時におじゃまし、初詣には受験生の娘を連れて来ることを、ご住職の奥様に告げてあったのだ。
賽銭箱の隣に、初詣記念プレゼント用のだるまが置いてあったのだが、黙って持ち帰るのも気が引けて、ご自宅の方に声を掛けさせてもらったら、奥様が出ていらして、だるまのプレゼントはもちろん、本堂の中まで案内していただいた。
満願叶って、両目の開いただるまさんがたくさん祀ってある部屋を見せられて、娘もびっくりしていた。
来年は、満願叶って目を開けただるまを奉納しにまた訪れる約束をしてお寺を後にした。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
*(桜)* *(桜)* *(桜)* *(桜)* *(桜)* 桜咲け!
昼は、卒論を書くためにアパートに帰るという息子と、末娘と、夫と4人で久しぶりに食事をした。
息子の就職内定祝いを兼ねて、中華料理店でささやかなお祝いをした。
昼には帰省するはずだった長女は、仕事の宿題が終わらないからという理由で昼食には間に合わなかった。
夜は、予約していたイタリアンレストランで、今度は長女と末娘、そして夫の4人で、ちょっと早い長女の成人のお祝いをした。
2月19日の長女の二十歳のお誕生日には全員そろってお祝いができるといいなあ…。
その後、昨日のカラオケ大会に参加できなかったことをしきりに残念がる長女を連れ、途中、仕事帰りの妹を乗せて、今年3連チャンめのカラオケに行った。
時間も遅かったので1時間コース。主に歌っていたのは娘たちで、長女は私のリクエストに応えて『残酷な天使のテーゼ』を透明感があるのにパンチの利いた美声で歌ってくれた。
今日の私は、娘たち&妹へのメッセージとして、植村花奈の『トイレの神様』と中島みゆきの『時代』を歌った。
中島みゆきの『時代』は、中3時代の私の応援歌だった。
たしか、当時、ラジオの大石吾郎の『コッキーポップ』という番組でよくかかっていた歌だ。
そのころの我が家は、祖父が末期ガンになり、両親は仙台の大学病院に看病のために泊まりに行っていたりして、電話が鳴るたびに悪い知らせではないかどうかドキドキして心配ばかりしていた。
周りの必死の看護の甲斐もなく、祖父は私の受験の2日前に亡くなった。
最後の模擬テストの日の朝、訃報の電話を聞き、私は1時間目の国語のテストだけ受けて、雪深い駅への道を急いだ。
祖父との思い出を書きだすと明日の朝までかかりそうだから、それはまた別の機会に小出しで…という事で。
霊安室を出た時、親戚の人たちから
「受検がんばってね。じいちゃんが必ず守ってくれるから、きっと大丈夫」
と言われるたび、うれしい反面、プレッシャーを感じていた。
そんなとき、いつも聞いていた中島みゆきの『時代』の歌が、頭の中でずっと流れていた・・・。
今はこんなに悲しくて
涙も枯れ果てて
もう、二度と笑顔には
なれそうもないけれど・・・・
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって巡り会うよ
時を経て、3人の母となり、長女の15歳の時は、私も長女もまさに試練の時代だった。
5年前、誰が今の彼女の姿や活躍を想像することができただろう。
でも、私は信じていた。きっと、この『さなぎ』の時代を乗り越えることができたら、彼女は自分でその殻を破って、自分にしかない色の羽をもって羽ばたいていくことができるだろうということを。
娘が自暴自棄になるたびに、私は彼女が大好きな『はらぺこあおむし』の話を持ち出しては、励まし続けた。
あれから5年…。今や夢を叶えた長女はさらに大きな夢に向かって、日本中、さらには世界に羽ばたこうとしている。
その活躍と夢を語る娘を、レストランのテ-ブルを挟んで目を細めて聴く両親と、尊敬と憧れと、彼女のつらい時代をまじかで見てきただけに、心から「良かったね」と涙ぐんで聞く妹…。
こんな幸せなシュチュエーション・・・。本当に、新年早々、理想的な家族の図だった。
「がんばれば夢は叶う」
長女の話は、高校受験直前の末娘には、何よりものエールだ。
去年の妹は、秋から体調を崩し始め、12月には心も体も限界に来ていて、私と弟で、実家に強制送還してのお正月だった。
実家に戻って少しふっくらとはなったものの、両親もどう言葉をかけてよいものかわからず、妹もため息ばかりで何も手に付かない様子だった。
そんな妹が、今年の春から我が家に来て、就職活動や、お見合い、車の合宿免許で免許を取得し、秋には『整体』という、今までとは全く違うジャンルの仕事の研修にチャレンジしている。
元気に声を張って倖田來未の歌を歌う妹を見て、まさに、『時代』の歌の通りだなあと思った。でも、治ったわけではない。日々を一生懸命、具体的に行動することでしか、前進はできないのだ。
そして何より私自身。
今日、昼の部と夜の部に別れはしたけれど、家族差し向かいで食事をするその和やかさを思い出す。
『睦月』仲睦まじく、新年を迎える月にふさわしい、今年のスタートだった。
『時代』を歌いながら、この9年間を振り返っていた。
そして、一番苦しい時に私を励ましたこの歌のことも・・・。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ
作者/歌人名:, 崇徳院(すとくいん)
私はまだ人生という大きな川の中流で、まだまだ流れは早く、障害物も支流も多いけれどけれど、いつか大海に流れ着く前の穏やかな流れになったころには、もう一度向き合って同じ歩調で歩むことができたら…
その域に達するまでは、まだまだやるべきことややりたいことが山ほどある。
これからも淀むことなく、いろんな景色を見ながら、いろんなものを受け止め、役に立つ『大河』となれるように『海』を目指して、流れ続けて行こう。
年頭にあたり、去年はやたらと目標を掲げたけれど、今年はシンプルに。
日々精進!前進あるのみ。*(グー)*
まわるまわるよ時代はまわる
別れと出逢いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
今日は、午前中に、末娘と一緒に初詣に出かけた。
別名だるま寺と呼ばれるそのお寺は、現勤務校の学区にあり、総合学習の地域調査の時におじゃまし、初詣には受験生の娘を連れて来ることを、ご住職の奥様に告げてあったのだ。
賽銭箱の隣に、初詣記念プレゼント用のだるまが置いてあったのだが、黙って持ち帰るのも気が引けて、ご自宅の方に声を掛けさせてもらったら、奥様が出ていらして、だるまのプレゼントはもちろん、本堂の中まで案内していただいた。
満願叶って、両目の開いただるまさんがたくさん祀ってある部屋を見せられて、娘もびっくりしていた。
来年は、満願叶って目を開けただるまを奉納しにまた訪れる約束をしてお寺を後にした。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
*(桜)* *(桜)* *(桜)* *(桜)* *(桜)* 桜咲け!
昼は、卒論を書くためにアパートに帰るという息子と、末娘と、夫と4人で久しぶりに食事をした。
息子の就職内定祝いを兼ねて、中華料理店でささやかなお祝いをした。
昼には帰省するはずだった長女は、仕事の宿題が終わらないからという理由で昼食には間に合わなかった。
夜は、予約していたイタリアンレストランで、今度は長女と末娘、そして夫の4人で、ちょっと早い長女の成人のお祝いをした。
2月19日の長女の二十歳のお誕生日には全員そろってお祝いができるといいなあ…。
その後、昨日のカラオケ大会に参加できなかったことをしきりに残念がる長女を連れ、途中、仕事帰りの妹を乗せて、今年3連チャンめのカラオケに行った。
時間も遅かったので1時間コース。主に歌っていたのは娘たちで、長女は私のリクエストに応えて『残酷な天使のテーゼ』を透明感があるのにパンチの利いた美声で歌ってくれた。
今日の私は、娘たち&妹へのメッセージとして、植村花奈の『トイレの神様』と中島みゆきの『時代』を歌った。
中島みゆきの『時代』は、中3時代の私の応援歌だった。
たしか、当時、ラジオの大石吾郎の『コッキーポップ』という番組でよくかかっていた歌だ。
そのころの我が家は、祖父が末期ガンになり、両親は仙台の大学病院に看病のために泊まりに行っていたりして、電話が鳴るたびに悪い知らせではないかどうかドキドキして心配ばかりしていた。
周りの必死の看護の甲斐もなく、祖父は私の受験の2日前に亡くなった。
最後の模擬テストの日の朝、訃報の電話を聞き、私は1時間目の国語のテストだけ受けて、雪深い駅への道を急いだ。
祖父との思い出を書きだすと明日の朝までかかりそうだから、それはまた別の機会に小出しで…という事で。
霊安室を出た時、親戚の人たちから
「受検がんばってね。じいちゃんが必ず守ってくれるから、きっと大丈夫」
と言われるたび、うれしい反面、プレッシャーを感じていた。
そんなとき、いつも聞いていた中島みゆきの『時代』の歌が、頭の中でずっと流れていた・・・。
今はこんなに悲しくて
涙も枯れ果てて
もう、二度と笑顔には
なれそうもないけれど・・・・
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって巡り会うよ
時を経て、3人の母となり、長女の15歳の時は、私も長女もまさに試練の時代だった。
5年前、誰が今の彼女の姿や活躍を想像することができただろう。
でも、私は信じていた。きっと、この『さなぎ』の時代を乗り越えることができたら、彼女は自分でその殻を破って、自分にしかない色の羽をもって羽ばたいていくことができるだろうということを。
娘が自暴自棄になるたびに、私は彼女が大好きな『はらぺこあおむし』の話を持ち出しては、励まし続けた。
あれから5年…。今や夢を叶えた長女はさらに大きな夢に向かって、日本中、さらには世界に羽ばたこうとしている。
その活躍と夢を語る娘を、レストランのテ-ブルを挟んで目を細めて聴く両親と、尊敬と憧れと、彼女のつらい時代をまじかで見てきただけに、心から「良かったね」と涙ぐんで聞く妹…。
こんな幸せなシュチュエーション・・・。本当に、新年早々、理想的な家族の図だった。
「がんばれば夢は叶う」
長女の話は、高校受験直前の末娘には、何よりものエールだ。
去年の妹は、秋から体調を崩し始め、12月には心も体も限界に来ていて、私と弟で、実家に強制送還してのお正月だった。
実家に戻って少しふっくらとはなったものの、両親もどう言葉をかけてよいものかわからず、妹もため息ばかりで何も手に付かない様子だった。
そんな妹が、今年の春から我が家に来て、就職活動や、お見合い、車の合宿免許で免許を取得し、秋には『整体』という、今までとは全く違うジャンルの仕事の研修にチャレンジしている。
元気に声を張って倖田來未の歌を歌う妹を見て、まさに、『時代』の歌の通りだなあと思った。でも、治ったわけではない。日々を一生懸命、具体的に行動することでしか、前進はできないのだ。
そして何より私自身。
今日、昼の部と夜の部に別れはしたけれど、家族差し向かいで食事をするその和やかさを思い出す。
『睦月』仲睦まじく、新年を迎える月にふさわしい、今年のスタートだった。
『時代』を歌いながら、この9年間を振り返っていた。
そして、一番苦しい時に私を励ましたこの歌のことも・・・。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ
作者/歌人名:, 崇徳院(すとくいん)
私はまだ人生という大きな川の中流で、まだまだ流れは早く、障害物も支流も多いけれどけれど、いつか大海に流れ着く前の穏やかな流れになったころには、もう一度向き合って同じ歩調で歩むことができたら…
その域に達するまでは、まだまだやるべきことややりたいことが山ほどある。
これからも淀むことなく、いろんな景色を見ながら、いろんなものを受け止め、役に立つ『大河』となれるように『海』を目指して、流れ続けて行こう。
年頭にあたり、去年はやたらと目標を掲げたけれど、今年はシンプルに。
日々精進!前進あるのみ。*(グー)*
まわるまわるよ時代はまわる
別れと出逢いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
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