1月13日
今回の帰省で実現したかった目標の一つに金華山参詣があった。
三陸・牡鹿半島のその先に浮かぶ金華山。
その山頂から眺める360度の海を見たくて・・・。
金華山には切ない思い出がある。
小学3年生ごろ、大好きだった祖父と気まずくなった。
原因は些細なことだったが、ちょうどその頃、祖父が私と弟を金華山に連れて行ってくれることになっていた。
私はなんとなく素直になれず、意地を張って「行かない」と言い、祖父と弟だけで金華山に出かけて行った。
そのことはその後ずっと私の心の中に「しこり」となって残った。
中学校3年生のとき、祖父が癌になって入院し、高校受験の2日前に帰らぬ人となった。
私は祖父の死の直前、お見舞いに行ったとき、励ますつもりで、
「じいちゃんが治って、私が高校受かったら、一緒に金華山に行こう。あの時意地張って行かなかったのずっと後悔してたんだ。じいちゃんごめんね。今度は一緒に行こう。」
と言ったのだ。
じいちゃんはウン、ウンと頷いてくれていた。
じいちゃんが亡くなってから、ばあちゃんがその時のことを思い出してこう言った。「あんだが帰った後、じいさまは声立でねえでずっと泣いでだんだ。もう自分は治らない。金華山どころか家にも帰れないって、わかってたんだぁ。」
私は金華山のことで、二度もじいちゃんを傷つけてしまったことを後悔して泣いた。
じいちゃんとの約束。高校入学は果したが、金華山参詣はずっと保留だった。
去年、五体満足で生還できた時、いろいろなことを思った。
その中で、じいちゃんに会う前に金華山に行っておかないと・・・。という想いがあった。
今回、76歳の父と7歳下の妹と金華山詣でに行った。
鮎川から高速船で20分。
麓の黄金山神社の裏から山頂(海抜445m)まで登ること1時間。
毎年、燕岳の燕山荘でバイトをしている自称『山女』の妹は、ヒョイヒョイとカモシカのように駆け上っていく。
普段からジョギングで鍛えている父も、汗もかかずに息切れもしないで、淡々と登っていく。
私は、年末、寝不足がたたって2階の美術室への階段が上れないほどの、動悸・息切れ状態になってしまい、体力の衰えを痛感した。
船の上から金華山の頂上を見つけたとき、頂上まで登れるかどうか不安だった。
でも、妹に
「マチュピチュに行くなら、このぐらいの高さでへこたれていちゃいけないよ」
と励まされ、がんばる事にした。
20分ぐらい登ったところで、下山してきた老夫婦にすれ違った。
頂上まで後40分ぐらいかかると聞き、一瞬めまいを感じた私だったが、
「すごくいい眺めでしたよ~!がんばって!!」
と励まされ、心の中で『コンドルは飛んでゆく』を口ずさみながらがんばって登った。
8合目あたりで、視界が開け、牡鹿半島や江ノ島や網地島、田代島、石巻が見渡せる場所に立った。
お天気も良く、海の青、空の青が最高にきれいだった。吹く風の冷たさが、汗だくの私にはちょうど良かった。
頂上のお社にお参りを済ませ、展望台から見た景色の素晴しさは、それまでの疲れが吹き飛ぶようだった。
父が、田代島の方角を指して、
「あの水平線の向こうにオ一ストラリアがある。」
と言った。
オ一ストラリアは6年、前妹が3ヶ月ぐらい滞在した国だ。
雲の切れ間から差し込む陽光は、さながら天使のはしごのように美しかった。
このお天気も、絶景も、みんなの健康も、じいちゃんとばあちゃんが見守ってくれているのだろう。感謝!!
帰路、鮎川からちょっと寄り道して、今度は牡鹿半島の突端から金華山を見た。
夕日に照らされた島の全貌は、また絶景だった。
頂上を見ながら、あそこまで自分の足で登りきった達成感を噛みしめた。
コバルトラインを通りながら、満開の桜の頃や、紅葉の頃はどんなに美しいだろうと想いを馳せた。
金華山は、3年続けてお参りすると願いが叶い、金運も上がるのだとか。
来年は桜の頃、再来年は紅葉の頃にまた参詣したい。
それまでもっと体力作りをがんばろう。
今年の私の一文字は、
『叶』
夢を叶えるための年にしよう!
金華山登山はその第一歩だ。
金華山の画像や情報はこちら
http://www3.ic-net.or.jp/~kuronao/
今回の帰省で実現したかった目標の一つに金華山参詣があった。
三陸・牡鹿半島のその先に浮かぶ金華山。
その山頂から眺める360度の海を見たくて・・・。
金華山には切ない思い出がある。
小学3年生ごろ、大好きだった祖父と気まずくなった。
原因は些細なことだったが、ちょうどその頃、祖父が私と弟を金華山に連れて行ってくれることになっていた。
私はなんとなく素直になれず、意地を張って「行かない」と言い、祖父と弟だけで金華山に出かけて行った。
そのことはその後ずっと私の心の中に「しこり」となって残った。
中学校3年生のとき、祖父が癌になって入院し、高校受験の2日前に帰らぬ人となった。
私は祖父の死の直前、お見舞いに行ったとき、励ますつもりで、
「じいちゃんが治って、私が高校受かったら、一緒に金華山に行こう。あの時意地張って行かなかったのずっと後悔してたんだ。じいちゃんごめんね。今度は一緒に行こう。」
と言ったのだ。
じいちゃんはウン、ウンと頷いてくれていた。
じいちゃんが亡くなってから、ばあちゃんがその時のことを思い出してこう言った。「あんだが帰った後、じいさまは声立でねえでずっと泣いでだんだ。もう自分は治らない。金華山どころか家にも帰れないって、わかってたんだぁ。」
私は金華山のことで、二度もじいちゃんを傷つけてしまったことを後悔して泣いた。
じいちゃんとの約束。高校入学は果したが、金華山参詣はずっと保留だった。
去年、五体満足で生還できた時、いろいろなことを思った。
その中で、じいちゃんに会う前に金華山に行っておかないと・・・。という想いがあった。
今回、76歳の父と7歳下の妹と金華山詣でに行った。
鮎川から高速船で20分。
麓の黄金山神社の裏から山頂(海抜445m)まで登ること1時間。
毎年、燕岳の燕山荘でバイトをしている自称『山女』の妹は、ヒョイヒョイとカモシカのように駆け上っていく。
普段からジョギングで鍛えている父も、汗もかかずに息切れもしないで、淡々と登っていく。
私は、年末、寝不足がたたって2階の美術室への階段が上れないほどの、動悸・息切れ状態になってしまい、体力の衰えを痛感した。
船の上から金華山の頂上を見つけたとき、頂上まで登れるかどうか不安だった。
でも、妹に
「マチュピチュに行くなら、このぐらいの高さでへこたれていちゃいけないよ」
と励まされ、がんばる事にした。
20分ぐらい登ったところで、下山してきた老夫婦にすれ違った。
頂上まで後40分ぐらいかかると聞き、一瞬めまいを感じた私だったが、
「すごくいい眺めでしたよ~!がんばって!!」
と励まされ、心の中で『コンドルは飛んでゆく』を口ずさみながらがんばって登った。
8合目あたりで、視界が開け、牡鹿半島や江ノ島や網地島、田代島、石巻が見渡せる場所に立った。
お天気も良く、海の青、空の青が最高にきれいだった。吹く風の冷たさが、汗だくの私にはちょうど良かった。
頂上のお社にお参りを済ませ、展望台から見た景色の素晴しさは、それまでの疲れが吹き飛ぶようだった。
父が、田代島の方角を指して、
「あの水平線の向こうにオ一ストラリアがある。」
と言った。
オ一ストラリアは6年、前妹が3ヶ月ぐらい滞在した国だ。
雲の切れ間から差し込む陽光は、さながら天使のはしごのように美しかった。
このお天気も、絶景も、みんなの健康も、じいちゃんとばあちゃんが見守ってくれているのだろう。感謝!!
帰路、鮎川からちょっと寄り道して、今度は牡鹿半島の突端から金華山を見た。
夕日に照らされた島の全貌は、また絶景だった。
頂上を見ながら、あそこまで自分の足で登りきった達成感を噛みしめた。
コバルトラインを通りながら、満開の桜の頃や、紅葉の頃はどんなに美しいだろうと想いを馳せた。
金華山は、3年続けてお参りすると願いが叶い、金運も上がるのだとか。
来年は桜の頃、再来年は紅葉の頃にまた参詣したい。
それまでもっと体力作りをがんばろう。
今年の私の一文字は、
『叶』
夢を叶えるための年にしよう!
金華山登山はその第一歩だ。
金華山の画像や情報はこちら
http://www3.ic-net.or.jp/~kuronao/
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