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朗読劇「この子たちの夏」の練習

2010-08-17 01:23:00 | 徒然なるままに
8月13日(金)

今日は日直。
午前中は何人か出勤の先生方がいたのだが、午後はまるっきり一人だった。

本当は、机上整理とか、職員室から一歩の出られないからこそやることがたくさんあったのだが、誰もいないことをいいことに、なんと私は朗読劇の練習をしていたのだった。

9月の体育祭が終わったら、国語科の先生方と司書の先生と演劇部の顧問の私の4人で、朗読劇「この子たちの夏」を全校生徒の前で読むことになっている。

まだ4人での練習はしていないのだが、今日、一人きりの職員室で朗読の練習をしてみた。

でも、2ページ目でもう、涙と鼻水で大変だった。
これを泣かずに読めるのだろうか。
気持ちを込めようとすれば、涙がこみ上げてくる。
吉永小百合さんや、先日の朗読劇の女優さんたちは、よく涙声や鼻声にならずに読めるなあと改めて感心した。

淡々と読むのではなく、かといって思い入れたっぷりに読むでもなく、そこに描かれている情景や心情を聞く人にちゃんと伝わるように読まなければならない。
これはやはり、何度も練習して、涙声にならず、鼻水もたらさないように気合いを入れて読まなければ。

でも、今日はまだ誰も見ていないから…。
思い切り、そこに書かれている原爆で亡くなった子どもたちや、子どもを亡くした母親の気持ちになって読んだ。
何回も鼻をかみながら、泣きながら読んだ。
子どもを呼ぶときや、呼びかけるときは、胸が締め付けられるようだった。
最後は、声をあげてオイオイ泣いた。
2時間ばかり練習していたら、もう、感極まって、鼻をかみすぎたせいか、泣きすぎたせいか頭が痛くなってきた。

当日、この『この子たちの夏』を聞いた生徒たちはどんなふうに感じてくれるだろうか?
自分たちと同じ年頃の子どもたちが、65年前にこんなふうに亡くなっていったことを。
こんな恐ろしい『戦争』が、本当に現実にあったのだということを。
この手記を書いた人たちがどんな思いでこれを書き、読む人、聞く人に何を伝えたかったのかということを。

それをまずは私が体感し、実感しなければ。
あの何もかもを焼きつくした光と爆風、熱、寒さ、乾き、痛み、苦しみ、無力感、喪失感、怒り、悲しみ、恐怖、不安、絶望、黒い雨…

最後まで、明瞭に、でも、書かれてある文字を音声にするのではなく、書いた人の心情が伝わるように心をこめて朗読しよう。

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