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交流

はじめの一歩

2007-08-24 23:13:00 | 徒然なるままに
夏休みもあと残すところ10日。
本当に波乱万丈で、濃い夏休みだった。
たぶん、今年の夏は一生忘れない。
ここが私のターニングポイント。


この夏は、『命』について深く考えさせられた。
自分はこれから先、如何に生きるべきかを考えた。
みなが幸せに生きるには、何が大切かを考えるようになった。


父には、「帰郷を歓迎する」と言ってもらえた。

母には、「帰って来なくてもいいから、マチュピチュに行くでも、東京で芝居やるでも絵を描くでも、今までできなかったことをやって、今までやってきたことを生かしなさい。」と言われた。

大1の息子には、「好きなように生きていいよ。でも、俺と妹(高2)はもう大きいからいいけれど、小6の妹に一番いい選択をしてあげて」と言われた。

高2の娘は、まだしばらくは私のサポートが必要だろう。

小6の娘は自分はここに残って高校進学をすると言い、「いつでも会いに行けるから、おじいちゃんおばあちゃんのところに帰ってあげて。」と言った。

3年後、私にとっての、また、家族にとってのライフスタイルが変わる。
そのときに向かって、1日1日を大切に精一杯生き、かけがえの無い思い出を作りながら、良いスタートを切れるように、心の準備と身の回りの整理を始めなくては。


♪今日から一歩。
 明日へ一歩。
 生まれ変わって大きく、一歩歩き出せ。

まずは、10日後に始まる新学期に向かって、はじめの一歩を踏み出そう。

『スラムダンク』にハマって1年

2007-08-22 23:40:00 | 徒然なるままに
1年前、バスケ部の教え子から『スラムダンク』の面白さを教えられ、夏休みにDVDでアニメを見、その続きが見たくてコミックを買い、すっかりハマって、完全版を読破した。

制作に6年もかかったという作品を一気に読み終えた後、作者に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
と同時に、連載当時、リアルタイムで読まなかった残念さ・・・。

遅ればせながらのファンではあるが、以来、すっかりハマってその熱は冷めるどころか、周りを巻き込むほど。
同時に今までさほど興味も無かったバスケが好きになり、自分ではできないけれど、生徒の試合を応援にいったり、バスケ部の生徒とは自分の学校の生徒だけでなく、他校の生徒でも、卒業生とでも、誰とでも仲良くなることができる。
いわゆる『スラムダンク世代』といわれる大人の人とでもすぐ打ち解けられるのだ。
スラムダンク効果はすごい!

当初、そんな私のハマリぶりを笑って見ていた娘(小6)もいつの間にかハマり、『スラムダンク』は今や彼女のバイブルとなり、中学に進学したら、女バスに入部するのを夢見て、毎日基礎練習に励んでいる。

昨年、3年生の副担任だったこともあり、テストや試合のたびに『諦めたらそこで試合終了ですよ』の名言を紹介し、入試直前にはバスケットボールの水墨画にその言葉を書いて貼り出し、皆にエールを送った。

そんな小さなきっかけでも、たくさんの『スラムダンク』ファンが生まれた。
最初は「何それ?先生、本貸してよ」
といっていた生徒たちも、卒業する頃にはいっぱしの論客ぞろいだった。
受験で引退したバスケット部の連中も、『先生、バスケがしたいです(涙)』とコメントを送ってよこしながら、高校受験を突破して行った。

今度の赴任先でも、『スラムダンク』ファンとバスケット人口を増やすべく、私の『スラムダンク』『布教』は続けている。


作品についてのキャラクター、ストーリー構成の良し悪しは、様々な人が書いている。
同感!と思うコメントもあるし、そういう視点で見るとなるほどと思うもの、いろんな先入観や表面的なことにこだわって、本質を見ていない人など、読んでいてなかなか面白い。

6年がかりで書かれた物語は、主人公たちだけでなく、作者自身の成長振りも目覚しい。
1億人突破記念に発表された新聞各紙の一面に描かれた湘北メンバーのイラストとコメント。桜木花道の『1番楽しんだのは自分かもしれない』というのはそのまま、作者の本音だと思う。

この夏、再度読み直して、更に新たな感動を覚えた。
この物語のすべてはの、あのハイタッチシーンのためであり、山王戦のの勝敗を分けたシュートが、ダンクではなく、あの『合宿シュート』だったことは最高だった。
ラストシーンの終わり方は、多くの『自称小説家』を生み出したことだろう。
それだけ創作意欲を掻き立てる登場人物たちだった。
名作は名作を生む。
あの物語を読んでバスケットを始めた人たちと同じように、今も、あの物語は自分自身の中で現在進行形なのだ。

それほどの影響力を持つほどすごい作品だと思う。
まだ読んだことのない人はぜひ、読んでみてほしい。
時代設定は古いかもしれないが、たとえ、更に10年、20年たっても色あせることの無い名作だと思う。

もし、私が作者であれば、連載終了10年を経た今、第2部を書くとすれば、登場人物も、時代もまったく新しい設定で書くだろう。ただ、物語の中で、回想シーンやエピソード、近況報告として第1部の登場人物に触れることはあるだろう。
設定としては、高校教師として赴任し、人気の停滞したバスケを復活させ、部顧問として再び全国を目指す小暮君の視点で見た物語として。
でも、桜木花道や流川楓を越すぐらい魅力的なキャラクターを活躍させるのは、至難のわざだなぁ・・・。


帰省1  墓参り~命のバトン~

2007-08-22 23:38:00 | 徒然なるままに
8月19日(日)

久々の帰省から帰宅。
17日の夕方発って、8時にはなつかしの実家に到着している予定だったが、その日は松島の花火大会で、特別ダイヤだった。
結局家にたどり着いたの9時過ぎになってしまったけれど、ま、松島海岸駅で10分間も停車している間、駅のホームからばっちり花火も見えたしラッキー!ということにしよう。

前日までは猛暑だったというのがうそのように、肌寒いほど涼しかった。

3日間、墓参りが中心だったが、今回の帰省はいつもとはずいぶん違う印象を持った。
もしかしたら、二度とは見ることができなかったかもしれない故郷の景色や、懐かしい人々との再会、何年も帰省していないうちにすっかり変わってしまった町並み・・・。
そのどれもが愛おしく、かけがえの無いものだという気持ちでいっぱいだった。

空気も水もおいしくて、体の中の老廃物が流れ出して、入れ替わる感じ。
すごい食欲で何でもおいしかった。
稲穂が出てきた田園の黄緑を見ていると目が洗われるようだった。
今、勤めている中学校の近くにも田園風景は広がっているが、やはり違う。
墓所から見下ろした故郷の街と港から続く海と水平線は、泣きたくなるくらい、見たくて見たくて仕方なかった風景だった。

それぞれの墓所で御所で、心からの祈りをささげると、心が晴れ晴れとして、すっきりした気分になるから不思議だ。

お墓というのは、亡くなった人のためというより、遺された人々のために建てるものなのかもしれないと思った。

二泊している間、せっかく休養に来ているのに、見る夢はいつも学校の夢だった。授業をしていたり、職員室の風景だったり・・・。
いやな目覚めではなかったから、2学期に向けての予知夢だったのかも知れない。

『現実』からちょっと離れて、私の元気だった頃のことを覚えていてくれる懐かしい人たちの変わらぬ笑顔に、たくさんの元気と勇気と優しい気持ちをもらった。

おじやおば、いとこたちと話しているときの私は、その時々の思い出話になるたびに、小学生になったり、高校生になったり、すっかり若返ってしまったような感覚になる。

今、私と関わってくださる人々とのつながりも大切だが、何年も会えなくなっても幼いころからずっと見守りいつくしんでくださった人たちとのつながりもありがたいものだと思う。

これは、私だけではなく、私の兄弟や子どもたちにも、この絆はちゃんと教えて繋いで行かなければならないと思う。


『命のバトン』ということばがあるが、遺伝子のバトンだけは無く、人はひとりでは生きられない、血や心のつながり、絆も大切なのだということをしっかり渡していかなければならない。


私よりも何代も前のご先祖様たち。
この人たちが存在していたからこそ、今の私がいるのだ。
祖父母までは記憶もあり、自分との関わりも濃いわけだが、その祖父母にも両親や兄弟がいて、それぞれの人生があった。
すごく久しぶりに、父方、母方の祖父母の遺影を見て、懐かしさだけでなく私はしっかり『自分の番』を生きなければならないと思った。

人は一人で生まれ、死ぬときも一人だ。
でも、一人では生きられないし、死んだときも死んでからもたくさんの人の世話になる。

たとえ志半ばに命を終えることがあろうとも、自分ではいまわの際にも『良い人生だった』と素直に思えなかったとしても、『いい人だった』と言われ、惜しまれるような人生を送りたいと思う。

人の死は2度あると思う。
1度目は肉体の死。
2度目は、忘れ去られる死。

できることなら、この世に自分が生きた証となるものや事を残して人生を全うしたいものだ。
そのためにも、1日、1日をありがたく、大切に、精一杯生きていこうと思う。



荒地の魔女の魔法

2007-08-16 23:52:00 | 徒然なるままに
自称20歳。
「18歳の大学生の息子がいながら、20歳なわけは無いでしょう?!」
「先生、2歳で子ども生んだの?」
「うーん、この姿は荒地の魔女に魔法をかけられたの。」

なーんて、アホな話を真に受けるような中学生がいるわけは無いのに、心優しい教え子たちは笑って受け流してくれる・・・。

でも、自然の摂理は容赦なく私の生え際を『ごま塩状態』にしていく。
深々とお辞儀ができない私は、にっこり笑って小首をかしげるようなご挨拶をする。

小6の娘は、ごま塩状態の生え際を見ては悲しそうな顔で
「ママ、おばあちゃんにならないで・・・」
と言う。
小6の娘の同級生のお母さんたちはみな「ヤンママ」世代だ。
とりあえず、髪の毛さえ黒ければ、童顔で皺ひとつ無い私は5~6歳は若く見えるらしい。声だけ聞いていれば、10代でも通るかも?!

なーんて、気持ちだけでなく、体力的にも自分ではいつまでも若いつもりで、あったのだが・・・・。

世代間ギャップと体力の衰えを感じる今日この頃・・・・。

反面、自分で言うのも変だとは思うが、3児の母親でありながら、天然記念物並みに純粋なところがあると思う。幼いと言うのだろうか、成長していないと言うのだろうか・・・。

5年前、中学時代の同窓会でダントツで『思いっきり変わっていない人NO.1』に選ばれた私・・・。

最近では、無理して『大人』的な考え方はしないほうがいいかと思うときがある。
疲れるのだ。
子どもっぽいと思われようが、人になんと思われようが、素直な心でいたいと思う。

きれいなものはきれい。
おいしいものはおいしい。
かわいいものはかわいい。
好きなものは好き。

でも、ときどき、素直な気持ちだけではいられなくなるときもある。
悲しいのに、笑って見せたり。
苦しいのに、平気な顔していたり。
辛いのに、大丈夫なふりしてみたり。
引きずっているのに、こだわっているのに、もう立ち直った様に振舞ったり・・・。

でも、身体は正直。
そして、そんな無理は、わかる人にはわかってしまう。


もっと自分を大事にしなくちゃ。
もっと自分を好きになってあげなくちゃ。
そんながんばっている自分へのささやかなご褒美。

白髪染め。

『きれいになったよ。かわいい!20歳は無理だけど、30代でも通るよ!』

友達の魔法の言葉と技で私は一気に元気と若さを取り戻す。
これで自信を持って、深々とお辞儀もできる!

体力維持は、私の運動不足のせい。
いきなり張り切りすぎて息切れやぎっくりにならない程度に、さび付かないように身体のほうも大事にリフレッシュしなくっちゃ。

『黄泉がえり』のように、せっかく無傷(?)で戻ってこられたのだから・・・。

心はいつも少年少女のように・・・。


ピカソとゲルニカ

2007-08-15 09:53:00 | 徒然なるままに
8月15日(水)

今勤務の中学校には、卒業生が描いた大きな『ゲルニカ』が中央廊下に掲げてある。

ここ何年かは、生徒数の減少に伴い、美術の専任教師のいない学校だったということで、『鑑賞』の授業は行われていなかったのだという。
実際、この絵を見ても、生徒たちは興味を示さないばかりか、『変な絵』だと思っている生徒が多い。

赴任して始めてこの壁画を見たとき、
「ああ、今年はピカソと向き合う年なんだ」
と思った。

大学1年生になった息子に、中学校でピカソとゲルニカについて学習したかと聞いたら、
「授業ではやらなかったけど、高校の世界史ではちょっとだけ触れた。中学校の美術でもうちょっとちゃんと習っておけばよかったと思った」
と言った。

私自身も、ちゃんとどころか学習した記憶は無い。が、今まで、様々な機会でピカソやゲルニカについて触れるうちに、美術の教師をやっていく以上、これはいつかはじっくり取り掛からなくてはならない「課題」だとは思っていた。
ピカソの生涯とその作品、作風について。
『ゲルニカ』と言う作品が生まれた背景とその意義について。

2年前、『ゴッホとジャポニズム』について取り組み、授業を展開した。
私自身、ゴッホについてすごく好きになり、『浮世絵』についての認識が変わった。
それ以上に、その授業を受けた生徒たちの反応に、逆にたくさんのことを教えられた。
子どもたちの感性は本当にすばらしい。
『鑑賞』の授業は、私にとっても、生徒たちにとっても、本当に運命や価値観を変えるぐらいの『出会い』をもたらす授業だ。

夏休みに入って、PCの研修が続いている。
この文明の利器を使って、私が思い描いてきた以上の効果が期待できそうだ。
でも、『鑑賞』の授業に本当に必要なのは、見せる技術でも、知識でもない。
教える側の情熱と、その作者、作品に対しての愛着だと思う。
それは時として教える側の『主観』が色濃く出てしまうと言う危険性も伴うが、嫌いな作家や、理解できない作品については『説明』だけで終わってしまい、生徒の記憶には残らない授業になってしまうだろう。
『出会い』はきっかけだ。
そのきっかけが、後にどんな『芽』を出すか・・・。

ゴッホの授業の後、生徒が
「今まで何気なく見ていた絵が、何かを語りかけてくるように見えるようになった」
「本物の絵を見てみたい」
「ゴッホが「浮世絵」が好きで、一生懸命模写までしたと聞いて、うれしくなった。自分も浮世絵に興味が出てきた」
などなど、きらめくような、私の涙腺を刺激するようなコメントを送ってくれた。

『ピカソとゲルニカ』で、私は子どもたち何を伝えることができるだろう。
それ以前に、私は何を会得しなければならないだろう。

折りしも今日は終戦記念日。

『時』は来た。






望郷

2007-08-14 23:29:00 | 徒然なるままに
8月14日(火)

半年振りに日記を書く。
前回は立春だった。
春とは名ばかりの寒い日だった。

今は夏。
この半年の間に、何度も命が縮む思いをした。
今年の目標の『がんばりどころ』がどこかもわからないくらい、自分を見失い、自分を粗末にし、生き急ぐような毎日だったかもしれない。

最初の2ヶ月は、辛くて、苦しくて、歯を食いしばって、意地になってがんばりすぎて身体を壊してしまった。たぶん心もボロボロだった。

春になって環境が変わり、枯れ木のように見えていた木々に新芽が芽吹くように、徐々に息を吹き返した。
毎日が忙しくも充実した毎日と、家族や同僚たちの理解と助けがあって、心も身体も元気になっていった。
気持ちに余裕が持てるようになって、少し前の辛かった日々も、少しずつ懐かしく振り返ることができるようになってきた。そのときには見えていなかった、気付けなかったことも、今なら冷静にあの頃の自分の至らなさを反省することができる。

でも、心の傷口からは今も鮮血が噴出し、言葉よりも涙が先に出てくる。

本当に乗り越えるには、もう少し、時間と自分に自信が持てるような手ごたえが必要なのだろう。

まずは身体を休めて、自分の足元(生活)をよく見つめなければ・・・と思っていた矢先、事故にあった。

結果、今、私はこうして家族の下に戻り、五体満足な身体で生活している。

8月4日。私の人生はあの日に終わっていたかもしれない。
その瞬間、私の脳裏を駆け巡った思いは、『子供たちを遺しては逝けない』『親より先に逝ってはいけない』『クラスの子ども達はどうなるだろう』『6日には課題をやりに生徒が来るのに・・・』ということだった。

実際、もし、あの時、あのまま終わっていたらと思うと、恐怖というよりは、あれもこれもやりかけのままで、遺された家族や同僚たちに、さぞ迷惑をかけたのだろうなあ・・・ということだった。

私は、生かされたのだ。
まだ逝ってはいけないのだ。
私はまだこの世にとどまってなすべきことがあるのだ。

10日間、考えてみた。
私がなすべきことって・・・・。
親としての責任、子としての責任、社会人としての責任・・・。

去年、苦しくて苦しくて、自分は如何に生きるべきかを暗中模索していたとき、『前世』を見てもらった。
 
私はいくつかの前世の中で、『アウシュビッツで虐殺された少女』だったり、『南イタリアの小さな町で無名だがすばらしい仕事をした彫刻家』だった。
そして何より今生のすぐ前の前世では、『外の世界で多くの人と触れ合うことを切望し芸術を愛しながら、狭い世界で生きることを余儀なくされ、信じていた人に裏切られて人生を終えてしまった女性』だった。

私になる前の私だった人たち・・・。
「彼ら、彼女らは、たとえ、愛する人に裏切られ、志半ばで無念の死を遂げたとしても、試練を受け止め、乗り越えようとする前向きな姿勢はどの人にも共通している。だから、けしてひとりではないし、あなたの心と体の中には『答え』と『試練に打ち勝つだけの力』も備わって生まれてきている。自分を信じてあげなさい。」

自分の人生を全うすること。
私にできること、私でもできること、私にしかできないこと、私がしなければならないこと。
最近の私は、それらから逃げてはいなかっただろうか・・・。
自分自身と向き合うことを避けてはいなかっただろうか・・・。


12日の明け方、夢を見た。
目が覚めたとたん、内容は全部忘れてしまったのに、『ふるさとへ帰ってお墓参りをしなくては』という思いだけが鮮明に残っていた。

もしかしたら、自分の新盆になっていたかもしれなかった。
ずっと帰りたかったふるさとに生身の身体で帰れるという喜び。
まず、私がしなければならないことは、ご先祖様への供養だと思った。
魂たちは『千の風』になって、地球上を駆け巡っているかもしれない。
でも、『お盆』には自分の家に帰ってくるのだという・・・・。

私を守って生かしてくれた祖先の霊を慰め、お礼と祈りをささげるために、久々に帰省することにした。
そして、私を生まれる前から今まで慈しみ、育ててくれた両親に、元気な姿を見せに・・・。
 
故郷の風に吹かれ、海を眺め、水を飲み、ご飯を食べて、心と身体の充電器をいっぱいにして帰ってこよう。