11月19日(水)
今日は、1年生に読み聞かせをした。
星新一の『おーい出でてこい』と『干支の始まり』
星新一のショートショートは、短いストーリーの中に、映像化できそうな強いインパクトと、社会風刺的なブラックユーモアが盛り込まれている。そのラストの意外などんでん返しは、その物語の始まりやちりばめられた伏線に一瞬にして戻る一方で、物語に描かれていないその後の展開を想像させる。
『おーい出てこい』は、まさにそういう話だった。
生徒は、途中で、
「あ、分かった、こういう結末なんだろう」
と想像し、それを口に出しそうになりながらも、息をひそめて物語に聞き入っていた。
ラストシーンが終わっても、しばらくは黙って、何事かを考えていた。
「この後、どうなったと思う?」
彼は物語をもう一度思い返す。
そして、本には書かれていない未来を想像してゾッとするのだ。
「先生、もっと他のお話も読んで!」
「このお話、なんていう本に載っているの?」
「10分位で読みきれる短いお話ばかりだから、朝読書の時に読んでごらん。『おーい出てこい』は『ボッコちゃん』という本の中にあるお話なんだけど、その中の『プレゼント』という話もおもしろいよ」
『干支の始まり』は、日本の話の本が無かったので、中国の話を読んだ。
日本の話同様、ねずみの賢さで干支の1番目を獲得する話だが、中国の話には猫の話は出てこなかった。
今の1年生達は『子年』なので、ねずみの賢さに感心していたようだ。
さて、今日のお話が、『読書感想画』につながるかどうかは分からないが、普段、自分では選ばない本、読んだことがないジャンルのお話を耳から聞いて、どんなイメージを持ったことだろう。
読んでいる私も、物語の展開にワクワクしながらも、聞いてくれている生徒の表情や反応を見ながら読むのはすごく楽しかった。
以前、私は学習塾のインストラクターをしていた。その教室には、いろいろな学区や学校の生徒が集まっていた。
ある時、教科書準拠の課題に取り組ませていたとき、違う教科書の課題をやっていた生徒が、
「このお話、どんなお話なの?」
と聞いてきたので、
「ああ、このお話、あなたの教科書には載っていないものね。じゃあ、そのプリントが終わったら、授業の最後に、そのお話、読んであげるね」
と言って読んであげたのが『泣いた赤鬼』だった。
小学校3年生のかなりやんちゃなクラスだったが、子ども達はそのお話を知っている子も知らない子も、黙って聞いていた。
読み終わると口々に感想を言い、中には
「赤鬼も、青鬼もかわいそう」
と涙する子もいた。
次の日には印象に残った場面を絵に描いて来た子もいた。
以来、国語の時間は10分早くプリントを仕上げて、教科書だけでなく、いろいろな短いお話を読んであげたものだった。
小学校で図工を教えたときは、『花咲き山』や『モチモチの木』など斉藤隆介の民話をよく読んであげた。
最初は素話で。2回目は滝平二郎の絵を見せながら。
中学校で美術を教えるようになってからずっと読んでいるのが、『あらしのよるに』と『葉っぱのフレディ』。
生徒達は習った手法を生かして、結構感性豊かな絵を描いてくる。
何年も前に教えた生徒が、久々に会ったときに
「紅葉の季節になると、先生に読んでもらった『葉っぱのフレディ』を思い出します」
と言ってくれたのがうれしかった。
「みんなは同じ紺色の制服を着ているけれど、中学時代、どんなことをどんな風に頑張ったかで、フレディたちのように一人ひとり違う色に『紅葉』するんだよ」
「『変化』することは怖いことじゃないんだよ」
私は、新しい学校に赴任すると必ず確認するのが楓の木があるかどうか。
今年も、見事な紅葉が始まっている。
美術の先生が読み聞かせなんて、ちょっとミスマッチなのかもしれない。
でも、私は、本を読んでも、音楽を聴いても、それを絵に表したくなってくるので。
自分の中では、国語科、音楽科、美術科なんて線引きは無い。美術史は社会科の歴史に連結し、幾何学デザインやパースの書きかたは数学の図形の力が必要で、残像現象を利用した作品には理科の原理の理解と応用が役に立ち、技術・家庭科は、双方の技術や知識が関連し合える教科だ。体育関係はダンスや部活動の衣装やユニホーム作りに、色の知識は欠かせない。
そんなことを意識しながら、また生徒達にも意識させながら、上手・下手だけではない、『役に立つ教科』としての美術を実感してほしいと思っている。
読み聞かせの話からあちこち飛んでしまった*(汗)*
私は『種まく人』だ。
どんな芽がいつ頃芽吹くか、どんな花を咲かせ、身をつけるか、その種がまたどんなところに飛んでいくか、想像するだけでもワクワクする。
私はまた、美術の『水先案内人』だ。
美術世界の入り口までは連れて行ってあげるが、どの扉を開けて、どの道を進んでいくのかはその生徒次第。
色の世界に進む子、形の世界に進む子、美術史や鑑賞の世界に進む子・・・
私の使命は『美術嫌い』を作らないこと。
下手でも、苦手でも良いから『美術って面白い』『役に立つ』と実感してほしい。『完成させることが出来た』と言う達成感を持ってもらいたい。
その理想にはまだまだ遠く、いくつもの壁があるけれど、10のうち、9は報われないことが多いけれど、今すぐに結果は出なくても、5年後、10年後、人生の中で、ふっとああ、中学生の時、美術の授業で作ったなあ、習ったなあと思い出してもらえる授業を目指して行きたい。
来週は紅葉がきれいなうちに、『葉っぱのフレディ』を読んであげようかなあ・・・
まずは最後まで読みきれるように、早く『咳き込み』を治さないと。
今日は、1年生に読み聞かせをした。
星新一の『おーい出でてこい』と『干支の始まり』
星新一のショートショートは、短いストーリーの中に、映像化できそうな強いインパクトと、社会風刺的なブラックユーモアが盛り込まれている。そのラストの意外などんでん返しは、その物語の始まりやちりばめられた伏線に一瞬にして戻る一方で、物語に描かれていないその後の展開を想像させる。
『おーい出てこい』は、まさにそういう話だった。
生徒は、途中で、
「あ、分かった、こういう結末なんだろう」
と想像し、それを口に出しそうになりながらも、息をひそめて物語に聞き入っていた。
ラストシーンが終わっても、しばらくは黙って、何事かを考えていた。
「この後、どうなったと思う?」
彼は物語をもう一度思い返す。
そして、本には書かれていない未来を想像してゾッとするのだ。
「先生、もっと他のお話も読んで!」
「このお話、なんていう本に載っているの?」
「10分位で読みきれる短いお話ばかりだから、朝読書の時に読んでごらん。『おーい出てこい』は『ボッコちゃん』という本の中にあるお話なんだけど、その中の『プレゼント』という話もおもしろいよ」
『干支の始まり』は、日本の話の本が無かったので、中国の話を読んだ。
日本の話同様、ねずみの賢さで干支の1番目を獲得する話だが、中国の話には猫の話は出てこなかった。
今の1年生達は『子年』なので、ねずみの賢さに感心していたようだ。
さて、今日のお話が、『読書感想画』につながるかどうかは分からないが、普段、自分では選ばない本、読んだことがないジャンルのお話を耳から聞いて、どんなイメージを持ったことだろう。
読んでいる私も、物語の展開にワクワクしながらも、聞いてくれている生徒の表情や反応を見ながら読むのはすごく楽しかった。
以前、私は学習塾のインストラクターをしていた。その教室には、いろいろな学区や学校の生徒が集まっていた。
ある時、教科書準拠の課題に取り組ませていたとき、違う教科書の課題をやっていた生徒が、
「このお話、どんなお話なの?」
と聞いてきたので、
「ああ、このお話、あなたの教科書には載っていないものね。じゃあ、そのプリントが終わったら、授業の最後に、そのお話、読んであげるね」
と言って読んであげたのが『泣いた赤鬼』だった。
小学校3年生のかなりやんちゃなクラスだったが、子ども達はそのお話を知っている子も知らない子も、黙って聞いていた。
読み終わると口々に感想を言い、中には
「赤鬼も、青鬼もかわいそう」
と涙する子もいた。
次の日には印象に残った場面を絵に描いて来た子もいた。
以来、国語の時間は10分早くプリントを仕上げて、教科書だけでなく、いろいろな短いお話を読んであげたものだった。
小学校で図工を教えたときは、『花咲き山』や『モチモチの木』など斉藤隆介の民話をよく読んであげた。
最初は素話で。2回目は滝平二郎の絵を見せながら。
中学校で美術を教えるようになってからずっと読んでいるのが、『あらしのよるに』と『葉っぱのフレディ』。
生徒達は習った手法を生かして、結構感性豊かな絵を描いてくる。
何年も前に教えた生徒が、久々に会ったときに
「紅葉の季節になると、先生に読んでもらった『葉っぱのフレディ』を思い出します」
と言ってくれたのがうれしかった。
「みんなは同じ紺色の制服を着ているけれど、中学時代、どんなことをどんな風に頑張ったかで、フレディたちのように一人ひとり違う色に『紅葉』するんだよ」
「『変化』することは怖いことじゃないんだよ」
私は、新しい学校に赴任すると必ず確認するのが楓の木があるかどうか。
今年も、見事な紅葉が始まっている。
美術の先生が読み聞かせなんて、ちょっとミスマッチなのかもしれない。
でも、私は、本を読んでも、音楽を聴いても、それを絵に表したくなってくるので。
自分の中では、国語科、音楽科、美術科なんて線引きは無い。美術史は社会科の歴史に連結し、幾何学デザインやパースの書きかたは数学の図形の力が必要で、残像現象を利用した作品には理科の原理の理解と応用が役に立ち、技術・家庭科は、双方の技術や知識が関連し合える教科だ。体育関係はダンスや部活動の衣装やユニホーム作りに、色の知識は欠かせない。
そんなことを意識しながら、また生徒達にも意識させながら、上手・下手だけではない、『役に立つ教科』としての美術を実感してほしいと思っている。
読み聞かせの話からあちこち飛んでしまった*(汗)*
私は『種まく人』だ。
どんな芽がいつ頃芽吹くか、どんな花を咲かせ、身をつけるか、その種がまたどんなところに飛んでいくか、想像するだけでもワクワクする。
私はまた、美術の『水先案内人』だ。
美術世界の入り口までは連れて行ってあげるが、どの扉を開けて、どの道を進んでいくのかはその生徒次第。
色の世界に進む子、形の世界に進む子、美術史や鑑賞の世界に進む子・・・
私の使命は『美術嫌い』を作らないこと。
下手でも、苦手でも良いから『美術って面白い』『役に立つ』と実感してほしい。『完成させることが出来た』と言う達成感を持ってもらいたい。
その理想にはまだまだ遠く、いくつもの壁があるけれど、10のうち、9は報われないことが多いけれど、今すぐに結果は出なくても、5年後、10年後、人生の中で、ふっとああ、中学生の時、美術の授業で作ったなあ、習ったなあと思い出してもらえる授業を目指して行きたい。
来週は紅葉がきれいなうちに、『葉っぱのフレディ』を読んであげようかなあ・・・
まずは最後まで読みきれるように、早く『咳き込み』を治さないと。