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交流

種まく人

2009-11-22 10:57:00 | 徒然なるままに
11月19日(水)

今日は、1年生に読み聞かせをした。
星新一の『おーい出でてこい』と『干支の始まり』

星新一のショートショートは、短いストーリーの中に、映像化できそうな強いインパクトと、社会風刺的なブラックユーモアが盛り込まれている。そのラストの意外などんでん返しは、その物語の始まりやちりばめられた伏線に一瞬にして戻る一方で、物語に描かれていないその後の展開を想像させる。

『おーい出てこい』は、まさにそういう話だった。
生徒は、途中で、
「あ、分かった、こういう結末なんだろう」
と想像し、それを口に出しそうになりながらも、息をひそめて物語に聞き入っていた。
ラストシーンが終わっても、しばらくは黙って、何事かを考えていた。
「この後、どうなったと思う?」
彼は物語をもう一度思い返す。
そして、本には書かれていない未来を想像してゾッとするのだ。
「先生、もっと他のお話も読んで!」
「このお話、なんていう本に載っているの?」
「10分位で読みきれる短いお話ばかりだから、朝読書の時に読んでごらん。『おーい出てこい』は『ボッコちゃん』という本の中にあるお話なんだけど、その中の『プレゼント』という話もおもしろいよ」

 
『干支の始まり』は、日本の話の本が無かったので、中国の話を読んだ。
日本の話同様、ねずみの賢さで干支の1番目を獲得する話だが、中国の話には猫の話は出てこなかった。
今の1年生達は『子年』なので、ねずみの賢さに感心していたようだ。


さて、今日のお話が、『読書感想画』につながるかどうかは分からないが、普段、自分では選ばない本、読んだことがないジャンルのお話を耳から聞いて、どんなイメージを持ったことだろう。

読んでいる私も、物語の展開にワクワクしながらも、聞いてくれている生徒の表情や反応を見ながら読むのはすごく楽しかった。

以前、私は学習塾のインストラクターをしていた。その教室には、いろいろな学区や学校の生徒が集まっていた。
ある時、教科書準拠の課題に取り組ませていたとき、違う教科書の課題をやっていた生徒が、
「このお話、どんなお話なの?」
と聞いてきたので、
「ああ、このお話、あなたの教科書には載っていないものね。じゃあ、そのプリントが終わったら、授業の最後に、そのお話、読んであげるね」
と言って読んであげたのが『泣いた赤鬼』だった。
小学校3年生のかなりやんちゃなクラスだったが、子ども達はそのお話を知っている子も知らない子も、黙って聞いていた。
読み終わると口々に感想を言い、中には
「赤鬼も、青鬼もかわいそう」
と涙する子もいた。
次の日には印象に残った場面を絵に描いて来た子もいた。
以来、国語の時間は10分早くプリントを仕上げて、教科書だけでなく、いろいろな短いお話を読んであげたものだった。

小学校で図工を教えたときは、『花咲き山』や『モチモチの木』など斉藤隆介の民話をよく読んであげた。
最初は素話で。2回目は滝平二郎の絵を見せながら。
中学校で美術を教えるようになってからずっと読んでいるのが、『あらしのよるに』と『葉っぱのフレディ』。
生徒達は習った手法を生かして、結構感性豊かな絵を描いてくる。
何年も前に教えた生徒が、久々に会ったときに
「紅葉の季節になると、先生に読んでもらった『葉っぱのフレディ』を思い出します」
と言ってくれたのがうれしかった。
「みんなは同じ紺色の制服を着ているけれど、中学時代、どんなことをどんな風に頑張ったかで、フレディたちのように一人ひとり違う色に『紅葉』するんだよ」
「『変化』することは怖いことじゃないんだよ」
私は、新しい学校に赴任すると必ず確認するのが楓の木があるかどうか。
今年も、見事な紅葉が始まっている。

美術の先生が読み聞かせなんて、ちょっとミスマッチなのかもしれない。
でも、私は、本を読んでも、音楽を聴いても、それを絵に表したくなってくるので。
自分の中では、国語科、音楽科、美術科なんて線引きは無い。美術史は社会科の歴史に連結し、幾何学デザインやパースの書きかたは数学の図形の力が必要で、残像現象を利用した作品には理科の原理の理解と応用が役に立ち、技術・家庭科は、双方の技術や知識が関連し合える教科だ。体育関係はダンスや部活動の衣装やユニホーム作りに、色の知識は欠かせない。
そんなことを意識しながら、また生徒達にも意識させながら、上手・下手だけではない、『役に立つ教科』としての美術を実感してほしいと思っている。

読み聞かせの話からあちこち飛んでしまった*(汗)*
私は『種まく人』だ。
どんな芽がいつ頃芽吹くか、どんな花を咲かせ、身をつけるか、その種がまたどんなところに飛んでいくか、想像するだけでもワクワクする。
私はまた、美術の『水先案内人』だ。
美術世界の入り口までは連れて行ってあげるが、どの扉を開けて、どの道を進んでいくのかはその生徒次第。
色の世界に進む子、形の世界に進む子、美術史や鑑賞の世界に進む子・・・

私の使命は『美術嫌い』を作らないこと。
下手でも、苦手でも良いから『美術って面白い』『役に立つ』と実感してほしい。『完成させることが出来た』と言う達成感を持ってもらいたい。
その理想にはまだまだ遠く、いくつもの壁があるけれど、10のうち、9は報われないことが多いけれど、今すぐに結果は出なくても、5年後、10年後、人生の中で、ふっとああ、中学生の時、美術の授業で作ったなあ、習ったなあと思い出してもらえる授業を目指して行きたい。

来週は紅葉がきれいなうちに、『葉っぱのフレディ』を読んであげようかなあ・・・
まずは最後まで読みきれるように、早く『咳き込み』を治さないと。

アニメと篆刻

2009-11-20 00:30:00 | 徒然なるままに
11月18日(水)

今日は、2年生はいよいよアニメーションに入り、導入として、「ソーマトロープ」を制作した。
紐のついた厚紙に裏表に別の絵を描き、ブンブンゴマの要領で高速に回転させると、表裏一体の絵が見えるという仕掛けだ*(驚き)*
この『残像現象』こそがアニメーションの原理なのだ。
作る時、気をつけなければならないのが絵を描く位置。表に対して、裏の絵は『逆さま』に描かなくてはならない。
なかなか表裏一体の絵のアイディアが浮かばず、中には『表裏一体』が理解できず、裏も表も前々関係ない絵を描いていたり、表面に完成した絵を描いてしまって、裏面に何を描けば良いのか分からない生徒もいた。

みんなが四苦八苦している中、一人ニコニコとブンブン回している生徒がいた。
彼はいつも『う●こ』を描くのだが(家庭科のパッチワークもこの絵を描いたそうだ)、今回はだるま落としのように、中抜けの『う●こ』を描いた。具体的に言うと3段重ねにとぐろを巻いた真ん中が抜けている絵の裏側に、真ん中だけが描いてあって、高速で回転させると、おなじみの絵になるというものだ。
原理は理解はしているし、きれいに表裏一体の絵になっているので、今回は『OK!』を出してあげたら、大喜びしていた。

次回は『ゾートロープ』に挑戦する。
ゾートロープとは、12コマの連続したエンドレスの絵を描き、高速に回転させた円筒の内側に貼り、スリットから覗いて見ると、絵が動いているように見えるのだ*(キョロ)*。

『アニメーション』の『アニマ』とはラテン語の『命』の意味。
動かない絵や対象物に『命』を吹き込み、まるで生きているように動かすことを『アニメーション』という。

自分の絵が動く*(びっくり1)*この感動をぜひ体験させてあげたい。
その上で、最後に1秒間24コマの絵が動くディズニーの『ファンタジア』を見たりすると、すごく細かい字で裏表びっしりの感想を書いてよこすようになる。
コンピューターや撮影機器が今のように発達していない、ましてや世界中が戦争している1930年代に、あんなに夢のある滑らかに動くアニメーションを1枚1枚手書きで制作したことも、それを公開した年が1940年だということも、生徒達にとっては驚き以外の何物でもない。
当時の製作スタッフに渡せるものなら届けてあげたいくらい、感動的な内容の感想を書けるようになるのも、自分で自分の絵を動かす『生みの苦しみ』を経験したからこそだ。


3年生は『篆刻』に入った。
合言葉は『一生もののはんこを作ろう!』
条件は、『文字は篆書体で』だ。
「宇宙空間から唯一肉眼で確認できる人類が作った建造物を作らせ、文字を始めて統一した他人は誰*(はてな)*」
なんてクイズを交えながら、篆書体を基に文字をデザインさせた。

篆書字典で自分の文字を探しながら、文字の成り立ちや意味を知るのは新鮮なのだろう。宿題にしたら、図書館に行って調べている生徒もいるし、パソコンで検索してきた生徒もいた。
「『美』という字は『羊が大きい』と書いて、大きな太った羊をたくさん所有している人がお金持ちで素晴しい、みんなの憧れという意味から来ているんだよ。」
というと、名前に『美』の付く生徒は大喜び。
すると次々に「自分の名前の文字の意味を教えて!」と興味津々。
ついでに、ひらがなやカタカナのルーツの文字を教えると、みんなびっくりしていた。
ひらがなもカタカナも基は漢字からできているというのは、小学校4年生で、初めて国語辞典を使い始める時に習うことなんだけれど、今は教えていないのかなぁ・・・

あとは、その文字をフルネームで構成するか、名前の一文字をとって大きく彫るか・・・。

また、朱文(捺印した時文字が赤く出る)と白文(捺印した時文字が白く出る)のどちらにするのか・・・。

『一生もの』のはんこを作るのに意欲的な三年生。出来上がりが楽しみだ。

今回は私も久々にはんこ作りに挑戦することにした。
私自身のではなく、父の『蔵書印』を。
紐(ちゅう)(持ち手の彫刻)はどうしようかなあ・・・*(退屈)*。

生みの苦しみと感動の共有

2009-11-19 23:58:00 | 徒然なるままに
11月17日(火)

1年生の読書感想がようやく彩色に入った。
なかなかテーマが決まらず、構図も決まらず、人が描けない、手が描けない、建物が描けない、風景が描けないと、何度も下書きを描き直しては、私に直され、また書き直してようやく色塗りに入った。
習った手法を生かし、どんな作品が出来上がってくるのか楽しみだが、まだまだ完成までの道のりは遠い・・・。

私も、生徒達が選んで描こうとしている物語で、知らない話は本を借りて読んだり、DVDになっていればレンタルで見たりして、なるべく感動を共有し、内容を知った上でアドバイスできるように努めている。

わざわざそんなことをしなくても、私の知っている話を課題図書にして、いっせいに欠かせれば、アドバイスも評価も簡単なのかもしれない。
でも、あえて私は自由に読みたい本の描きたいシーンを描く事にこだわる。

2年生のCDジャケットデザインの時もそう。
以前は生徒達が描いている曲のCDを借りてきたり、カラオケに行って片っ端からPVだけ見てきたりした。
今回は、YOU TUBEで曲を検索し、PVを見まくった

出来上がった作品はすべて掲示し、全員で鑑賞する。
同じ生みの苦しみを味わったもの同士だからこそこだわってみる視点や、気がつく点、共感するところがあるのだろう。読んでいるこちら側が教えられたり、感動する感想が書ける生徒がたくさんいる。もちろん最初から書けるわけではないが。

今、昇降口と美術室は2年生のCDジャケットと3年生のBOX ARTが展示され、にぎやかだ。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
これは最初の頃に仕上がった作品の一部。まだ出来上がっていない生徒の作品が提出できて、初めて鑑賞に入る。

1年生も、『冬休みの宿題』にならないように必死だ。
頑張れ!1年生!!

リベンジの誓い*(グー)*

2009-11-17 23:16:00 | 徒然なるままに
11月16日(月)

久々のCafeで~す*(酔払い)*
まさに怒涛の1週間だった。
生徒作品の提出はとりあえず一段落し(未提出の生徒も若干いるが)、市民文化祭や市の図工美術研修会の作品展の出品も終えることが出来た。
毎日のように、作品が終わらない生徒の居残り作業に付き合い、搬入、審査、展示、搬出と、家に帰ると気を失うように倒れこんでいた。
インフルエンザが治って登校した日に、ある3年生の腰パン生徒に、
「おめえが2回も美術の授業休んだから、作品仕上げられなかっただろうが!」
と言われた。
最後の追い込みにかけていた生徒たちには本当に迷惑をかけてしまった。
インフルエンザ完治以降も、なかなか良くならない咳き込みに悩まされながら(腹筋を使うので、下っ腹が少し締まって来た?)、何とか休むことなく乗り切った。

週末には個人的にも、いろんな問題が一気に勃発し、取り込み中だった。

そんな中、受けてきました。美術検定。
結果は12月末に郵送されてくると言うことだが、自己採点では良くて60%。悪くても50%は正解できたとは思うが、それでは合格圏内には入れない。
万が一合格していたとしても、本来その級に求められる実力からしてみれば、なんだか情けない。
もう、問題用紙を開いたとたん、今回は無謀な挑戦、もしくは、理解不十分なままの分不相応の挑戦だったと反省した。
でも、それなりに頑張って勉強してきたことや、逆に理解不十分なことがどれだけあるかを確認するテストだと思って、1時間精一杯取り組んだ。

なんと言っても、古今東西の膨大な美術史の範囲から、かなりの専門的知識や常識を問われるのだ。
今回の最大の反省は、勉強法。
息子にも言われたのだが、私の勉強法は、検定試験を受験するための勉強ではなく、『趣味の調べ学習』だった。
テキストや問題集で、分からないことや例に挙げられる作家や作品について、その都度インターネットで検索し確認しながらの勉強だった。(←時間のかかりすぎ)
だから、はっきり言って、当日までに試験範囲のテキストを一通り終えるのが精一杯で、見直しや確認作業が出来なかった。
覚えていたはずのことも、夏休み頃に勉強したことは記憶があやふやになっていた。それだけ、理解不十分で定着していなかったということだ。
あと3回ぐらいおさらいに時間をかけられたら、もう少しまともな得点を得ることが出来たかもしれない。
今回は更に、漢字検定受験(結局インフルエンザで受験できず、2月に受験することになった)の方を優先してしまい、本腰を入れて勉強したのは、11月に入ってからだった。(←甘かった*(汗)*)


でも、今回、結果はともかく美術検定に挑戦してみた収穫は大きかった。
一番の収穫は、末娘とミレイの『オフィーリア』についていろいろ話が出来たことだ。
ちょうどミレイについて画像検索をしていた時、
「ママ、私、この作品知っているよ」
と声をかけてきた。
夏休み前の美術の鑑賞の授業で習ったのだそうだ。
それをきっかけにいろんな話が出来た。
娘は習ったことに加えて、私が勉強したことや知っていることを興味を持って聞いてくれた。

普段は、大して興味を示さない娘なのだが、去年のエッシャー展以来、久々に『美術』について話が出来た。

それから、画像検索をしたり問題集を勉強してみて、知らなかったことやあやふやだった知識が、ちゃんと形を成して理解できたことがうれしかった。
私は、一極集中型というか、ある時代の特定の作家についてはカルト級に知ってはいるが、美術史を満遍なく知っていると言うわけではない。歴史はそれぞれの国々の時系列と言う『縦糸』と、同時代のそれぞれの国々の出来事と言う『横糸』が織り成す『織物』としての認識が足りなかった。
その1つ1つバラバラに自分の中で点在していた知識が、縦糸と横糸でつながって、穴だらけではあっても、なんとなく一枚の織物、一連の首飾りのように、ジグソーパズルが完成に近づくように繋がっていくのを実感することが出来た。

今回は残念な結果になる可能性が高いけれど、今ようやく面白くなってきたこの勉強をあと1年間じっくり続け、画像だけでなく、可能な限り実際にこの目で本物の作品を見に行くようにすれば、確実に私の中に定着することが出来るだろう。
そうして、1年後、今度は自信を持って1ランク上の級を受験してみよう。

photo by toliton717 from OCNフォトフレンド 今年の試験会場:お茶の水女子大学

photo by toliton717 from OCNフォトフレンド 御茶ノ水橋から望む聖橋

試験会場がお茶の水女子大学と連絡を受けた時から、大学は御茶ノ水にあると思っていたら、茗荷谷だった。
試験の帰り、懐かしい御茶ノ水駅で途中下車し、さだまさしの*(音符)*『檸檬』を口ずさみながら、思い出の聖橋をパチリ。
かつて行きつけだったレモン画翠で色画用紙を買い、丸善書店でも買い物をして、帰路に着いた。

学園祭で息子の彼女とご対面*(キラキラ)**(酔払い)*

2009-11-08 20:39:00 | 徒然なるままに
11月8日(日)

今日は、末娘と息子の大学の学園祭に行ってきた。

息子も早いもので大学3年生だ。
去年まではサークルやゼミで屋台なんかやっていたが、3年生ともなると就活が忙しくなって、屋台どころではないのだろう。
でも、なんだか今年は様子が違う。
「今年、学祭来るの?」
なんてわざわざ聞いてきたのだ。
勘の良い私はすぐにピンときちゃったもんね*(ニヤ)*。
『ああ、彼女に合わせてくれるんだな』
「うん、行くよ。ピッピの部活終わってからだから、午後になると思うけど」
「分かった。じゃ、着いたら電話して」

で、本日、ついに息子の彼女とご対面しちゃったのだ。
実はご対面前に、末娘が二人を見つけて、すぐには声はかけず、二人で後ろから見ていた。
何やら良い感じの雰囲気の二人を見て、
「このまま向こうが気づくまでお邪魔しないようにして見ていよう」
と娘が言うので、
「いや、そんな観察するみたいなのは悪趣味だよ。今ちゃんと挨拶をするか、このまま離れて、改めて待ち合わせて会おうよ。」
と言ったのだが、私が屋台の食べ物に釣られている*(よだれ)*うちに、二人を見失ってしまった。
せっかくきたのだからと、末娘といろいろ見て回ろうと思っていたのに、末娘はご機嫌斜め。
そのうち、息子からメールが入り、待ち合わせて改めてご対面となった。

息子の友人のエジプト研究会のケバブとハイビスカスティーをご馳走し、4人でしばらく歓談。
その後、講堂前で『ONE PIECE』のイベントを一緒に見た。
そうか、息子達の年代は、小・中・高と『ONE PIECE』を見て育った世代だ。
息子は、大の『ONE PIECE』そして作者の尾田栄一郎ファンなのだ。もちろん末娘も。
今日は、初期の主題歌『ウィーアー!』を歌うきただにひろしさんが来て熱唱(写真)。会場はすごい盛り上がりだった。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

別れ際、彼女は私がインフルエンザにかかっていたのを知っていて、体調を心配してくれた。(可愛い*(ハート目)*上に、優しい*(酔払い)*)
私は二人に、就活も勉強も頑張るように言い、彼女が危なくない時間にはお家に返してあげるように息子に釘を刺して*(口笛)*おいた。

まあ、今日はお祭り最終日。
後はラブラブ*(ハート6つ)*なお二人でごゆっくりどうぞ*(ニヤ)*


ところで、来週はいよいよ美術検定試験日。会場はなんと御茶ノ水大学*(驚き)**(びっくり1)*
今日も行き帰りの電車の中で必死に勉強したが、夏休み頃に勉強したことがだいぶ忘れていることに気づき、焦った*(青ざめ)**(汗)*
と言うわけで、突然ですが、明日から6日間、試験勉強に専念することにしたので、しばらくHPの更新をお休みします。

1週間後のこの時間には、良い感触の報告*(チョキ)*が出来るように、頑張ります*(グー)**(びっくり2)*


不思議な帽子

2009-11-07 21:17:00 | 徒然なるままに
11月7日(土)

今日は子ども達が通った幼稚園の作品展を見に行った。
作品展の日は、私が10年間所属した人形劇団『不思議な帽子』の11月公演の日でもある。
今年は久々の新作『ピノキオ』の初演と言うことで、楽しみにしていた。
音楽劇はおなじみ『ネコバスGO!GO!』(写真)と不朽の名作『ホネホネロック』。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

あの園に行くと、時間が止まったようだ。
子ども達はとっくに卒園してみんな大きくなっていると言うのに、園庭で遊ぶ子ども達を見ていると、鉄棒やジャングルジム、アリスのお部屋やウサギ小屋、お相撲やこま回しをしている子ども達の中に我が子の姿を探してしまう・・・。

息子が高学年のときに始まった反抗期に、子育てに自信を無くし,末娘を送りに来たものの、園庭まで行けず、桃の木の下で泣いていた時、園長先生に「きっとあの子は大丈夫」と勇気付けられたこと。
その息子が家出をした時に、園長先生の奥様に「○○君は、大冒険をしてきたのですね」と励まされたことで、どんなに救われたことだろう。

長女が学校に行けなくなったとき、不思議な帽子の公演に連れて行った。
娘は、率先して会場作りや片づけを手伝っていた。お世話になった先生方と笑顔で話していた。毎日泣いてばかりいた娘に笑顔が戻った瞬間だった。
帰りの車の中で「ママ、本当の私はあそこにいたよ」と言いながら、「ママの好きな、『島歌』をダウンロードしておいたからね」と言って、携帯にダウンロードした『島歌』をBGMに、二人で歌いながら帰ったっけ・・・。

末娘が生まれる2ヶ月前、赤頭巾ちゃんの狩人役をやっていたのだが、出っぱったお腹の上に人形を立たせて演じた。
出産予定日の日も園で人形を作っていた。いつ産気づいても、誰かが産院に車で運んでくれると言ってくれていたので。
その後、引っ越して園から遠くなってしまったのだが、末娘はどうしてもお兄ちゃんお姉ちゃんと同じ幼稚園に通いたいと言い、私はそのために、免許を取り、車を買った。

卒園式で、園長先生が必ず卒園児とお母さん方に言う言葉がある。
『道に迷ったら、ポプラの木を探しなさい。あなた達の原点はここにあるよ』
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

私も、子育てで自信をなくした時、人生に迷った時、車で出かけて行って、誰もまだ来ていない夏休みの早朝の園庭で、あのポプラの木にすがって泣いたことがある。
声を上げて子どものように泣きじゃくり、どんどん涙が出て来て涙は止まらないのに、不思議に心が洗われるようにスッキリして行ったのを覚えている。

ああ、私達母子の原風景はここにある。
あのかけがえの無い日々を共有した思い出は、私達の絆をしっかりと結び付けていてくれる。
きっと、あの子達は大丈夫。そして、私も必ず乗り越えて強くなれる。
そんな確信が体中に湧き上がってくるような気がした。

今日、久々に園に来て、たくさんの元気をもらった。
そして、私の元気がみんなの元気の素になっていることも感じた。

不思議な帽子のみんな、また来年、『黒豆』煮て持って来るね!
これからも素敵な人形劇作り、頑張って!
私も、皆に負けないくらい頑張るね!
ああ、でもやっぱり私もまた人形劇をやりたい!!!!!
月曜日、パペット人形を使って授業やってみようかしら?(半分本気)

市民文化祭作品展出品作品搬入完了!

2009-11-07 02:06:00 | 徒然なるままに
11月6日(金)

昨日は、さすがに疲れた。病み上がりとはこういうことを言うのだと思い知った。
夏休みやG.W明けの仕事とは違うと思った。

取り合えず、授業と作品展への搬入の準備作業はこなしたが、もう、咳き込みはひどく、咳をするたびに先週打った頭や首や腰に響いて、よほど顔色が悪かったのか同僚や生徒達にずいぶん心配をかけてしまった。

家にたどり着くなり、立てなくなって横になった。末娘が暖めてくれたシチューを少し頂いて咳止めを飲み、そのまま床についてしまった。


今朝は、多少咳は残るものの、たっぷり寝たせいか大分回復し、何とか仕事はこなせたと思う。

今日は、市民文化祭の作品搬入の日。
本当はたくさん展示してあげたいし、少しでも良い作品に仕上げさせたくて、夏休み明けから頑張ってきたのに、最後の詰めで私がインフルエンザで1週間も授業を休んでしまい、生徒達には迷惑をかけてしまった。全体で3分の1ぐらいの生徒しか仕上げて提出することが出来なかった。

3年生は成績や内申点もかかっているので必死だ。
昨日は2年生も残って仕上げていたが、今朝は登校時間から家で頑張って仕上げてきた生徒に、追いかけられ続きだった。
搬入に出かける30分前は、美術室は『ブザー・ビート』を決めようと、皆で必死に仕上げに来ていた生徒でごった返していた。

今日の提出に間に合わなかった生徒は、土日に持ち帰り9日の放課後提出。翌10日の市内図工美術作品展への出品を目指して頑張って仕上げてくるように言った。
今まで『締め切り』や『全員提出』と言う意識があまり無かったのか、なかなかエンジンがかからなかった生徒達が、次々に出来上がってきたクラスメイト達の作品を見て、ようやくお尻に火がついたという感じだ。

私は、どうしても、期日で切って、
「後は自分で仕上げなさい。今の時点での仕上がりで成績は付けておくから」
と言うふうには出来ないのだ。
たとえ、成績を付ける期日は過ぎてしまったとしても、必ず全員完成させ、提出させる。
そして、全員で全員の作品を鑑賞する。
と言うスタンスを崩さずにきた。

先生方の中には、
「苦手な生徒には苦痛を与えるだけだから、ある程度で切って、課題から開放させてあげるべきだ。」
「5教科ならまだしも、美術でそこまでやらせる必要はあるのか」
「早くできた上手な生徒の作品だけ展示したほうが見栄えが良い」
挙句の果てに
「あまり、美術にはまらせないで。美術に逃げて勉強しない生徒もいるから」
「美術なんていらない教科だよね。大体、他人に絵が上手いだのと評価されること自体、大きなお世話だし」
と言う人たちもいる。

これらは、かつての上司や同僚達から直接言われた言葉だ。
そのたびに凹み、潰されて、自身を失いかけ、自分は教師に適していないのではないかと追い詰められて来たが、捨てる神あれば拾う神もいて、励まし、私のやり方を理解し、協力してくださる上司や同僚もたくさんいた。
何より、生徒達自身や、保護者、生徒達の作品を見た多くの方達からもたくさん励まされてきた。

ただ、賛成意見ばかりに耳を貸すのではなく、反対意見の中にも私に足りない配慮や課題があることは確かなのだ。
耳障りの良い言葉だけを聴くのではなく、辛口のアドバイスにも耳を傾けるようにしたいと思っている。

今回、自分がインフルエンザにかかって作品提出に影響が出てしまったことは、大いに反省しなければならない。
カッターやはさみを使う作業を自習に出来ない以上、普段からの刃物の取り扱いについての指導と、私自身の体調管理をもっと徹底しないといけないと言うことを反省した。

特に3年生は次回から『篆刻』に入る。
印刀を使わせるからには、こちらも、首をかけ、体を張るぐらいの覚悟で臨まねばならない。
去年の生徒達からは
「篆刻での刃物の扱い方のご指導は、これから生きていく上でもとても大切なことを学ばせていただき、ありがとうございました。ぜひ、来年の3年生にも、篆刻の授業をさせてあげてください」
と言うメッセージをもらった。
本当にありがたいことである。
さあ、今年の3年生は、どんな『一生物のはんこ』を作ってくれるか、楽しみだ。


今日は、遅れた息子の誕生祝と、私の快気祝い、市民文化祭作品搬入完了を祝しに、回転寿司に食べに行った*(ウニ)**(トロ)*。

長女は今日から仕事で沖縄。いいなあぁ~*(椰子)*

生涯の友

2009-11-07 00:55:00 | 徒然なるままに
11月4日(水)

インフルエンザの自宅謹慎1週間は、長いと思っていたけれど終わってしまえばあっという間。
どこにも出かけられないのにはほとほと困ったが、逆に、日ごろ片付けようと思っていながら後回しにしてそれっきりのところを片付けられたのは、自宅謹慎のおかげだと思うようにしよう。
それでも、あれもこれもやろうと思っていたわりには片付かなかったが・・・。

熱が下がった翌日にあまり張り切りすぎて、疲れが出てしまい、変な咳が残って、咳き込みがひどくなると、吐いてしまうほどの咳が出る。
夕方、診察を受けて、インフルエンザは治ったものの、咳止めの薬を追加された。
明日から職場復帰できるとは言え、ちょっと万全とはいえないかなあ・・・。
でも、何としてでも出勤して、明日提出の市民文化祭の作品チェックをしなくては・・・。
毎晩、授業のことや生徒のことが夢にまで出てきて、ちっとも気が休まらない。


今日は、大学時代の友人と久々に電話で話した。
一昨日が誕生日と言うことで、これで彼女も私と同い年だ。
でも、電話から流れてくる声は、学生時代と全く変わらない、都会的で涼やかな、若々しい声だ。
田舎から出てきたばかりの私にとっては、そのイントネーションや発音の明快さ、都会的な語り口、何より見た目の都会っぽさに反する純な人柄のギャップににすごく憧れた。
初めて彼女のお家に泊まったとき、今は亡きお母様が、
「今日はね、彼女がジェフなのよ」
とウィンクしながら言った時、
「なんて、都会的なの*(シャイ)*?!娘のことを娘の友人に話す時『彼女』って、言うなんて*(ハート目)*
それも、『シェフ』だなんて!え?『シェフ』?何だっけ?犬の名前?」
なんて、わけも分からず感動してしまったものだった。

彼女とは、見た目も育ちも性格も全く正反対なのに、同じ演劇サークルに所属し、『海のトリトン』と『銀河鉄道999』のファンだと言う共通項で、あっという間に仲良くなったのだった。

以来、31年間の付き合いだ。
彼女は油絵科出身で、ライフワークの首都高を題材にした絵を描き溜めては個展を開いている。
彼女のその視点の確かさとダイナミックで迫力のある画風にはいつも触発される。
来年の個展を目指して頑張っている話を聞き、またまた触発されたのだった。

私には、今は何年かに1度会えるか会えないかになったけれど(年賀状は毎年交換している)、お互いの頑張りがすごく励みになったり、触発されるような友人がたくさんいる。
それだけ一緒に過ごしていた時間が濃くて充実した、宝物のような青春時代を共に過ごせたからだと思う。
同士であり、親友であり、好敵手でもある。
今日の彼女も、その中の一人ではあるが、私も、彼女にとって、いつも、これからもそういう存在であり続けたいと思う。

槙原敬之の『遠く遠く』と言う歌にあるように、
♪遠く、遠く離れていても、僕のことが分かるように
 力いっぱい輝ける日を この町で迎えたい

明日から、また仕事が始まるぞ!
彼女に負けないように、私も頑張ろう*(笑顔)*

娘に贈る言葉~長女の巣立ちに寄せて~

2009-11-04 09:14:00 | 徒然なるままに
11月3日(火)

長女が11月から自活をすることになった。
自活と言っても、友達と部屋をシェアすると言う、いわゆる共同生活ではあるが。
でも、友達と折半と言いながらも、自分で家賃や住民税、食費、光熱費を払って生活をするわけだから、立派な自活だ。
場所も都内と言うことで、いざというとき、私がすぐに車で駆けつけられる場所ではない。

娘は、高校卒業後、進学はせず、高校時代から続けているアルバイトを本業にして、働き出して半年が経つ。
朝早い仕事の時は、始発のバスがないので私が駅まで送り、最終電車で帰るようなときは終バスがないので迎えに行ったり、応援できるところは応援して来た。
でも、ここに来て、泊りがけでの仕事や、出張が続き、家に帰ってくるのは週に2日もあればいいほうかという感じになっていて。
来春からは都内に住むと言ってはいたが、ここに来て、
「会社が都内に部屋を借り上げてくれたから女友達と部屋をシェアする。」
と言うことになった。
私は、高校を卒業したら進学であれ就職であれ、家を出て自活させるつもりでいたから、反対する理由もなく同意した。

昨日、その具体的な引越し先の住所や日程について娘から報告があり、いろいろなことを話し合った。

家では全く『わがままなお姫様』な、典型的『外良い子』の長女。
これで自活なら散らかっていようがどうだろうが自業自得だが、共同生活となると、気をつけなければならないこと、心がけなければならないことや、常識、ルール、マナー、エチケットがたくさんある。
家族なら見過ごしてももらえ、喧嘩しても翌日は普段通りで済むことでも、他人は違う。たとえ、親友同士や最愛の恋人同士だとしても。

一般的な共同生活のルールやマナーに加えて、お互いの生い立ちや価値観、『文化の違い』を尊重し合えなければ、共同生活なんて成り立たない。
外で会う時の『仲良し』『大好き』状態は、相手の良いところばかり見ていられるから。
一緒に暮らせば嫌でも見たり聞いたりしてしまう、相手の癖ややり方、こだわりに、どう折り合いを付けていけるのか・・・。
布団の上げ下ろし、洗濯物の干し方、洗物の洗い方、拭き方、仕舞い方に始まり、トイレ、洗面所の使い方、玄関の靴の脱ぎ方靴のしまい方まで。
日常の些細なことが、今まで自分のやりたいようにやっていたり、うちのやり方が普通だと思っていたことが、そうではないやり方やこだわりがあることに触れ、それを受け入れたり、折り合いをつけたり、いいところは取り入れ、新たなルールややり方を作っていくことを前向きに捕らえられるかどうか・・・・。

失敗もあるだろう。でも、そうなったら、二人でよく話し合えれば良いと思う。
どちらかが我慢してばかり。どちらかが楽して、いつも一方が損してばかりでは長続きしない。
トイレットペーパーを換えるのも、排水溝の汚れを取るのもいつも自分・・・。やってもらって当たり前みたいな態度や意識では、お互いにストレスが溜まっていく。
気がついたらすぐにやる。やってもらったことに気がついたら、すぐにお礼を言う。
この『お互い様』と『おかげ様』と言う気持ちの持ちようこそ、『仲良き中にも礼儀あり』だと思うし、長続きする秘訣なのだと思うのだ。
とにかく、やってもらったら、どんな小さなことでも、声に出して、またメモ書きでも良いから『ありがとう』と言う気持ちをあらわし、相手に伝えること。それが大事。

それから『我慢』と『無理』はほどほどに。言いたいことがあったら、その場の勢いで売り言葉に買い言葉みたいな喧嘩腰ではなく、言葉を選んで、相手の気持ちや立場も考えながら、誤解されないようにちゃんと分かってもらえるように伝えること。
喧嘩になっても良いから、言いたいことはお互い言い合える仲でいること。でも、必ず、その日のうちに仲直りして、翌日に持ち越さない努力をすること。

『灯り』と『音』にはお互いに気を使うこと。
『郵便物』の置き場所をきちんと決めること。
『鍵』の置き場所や取り扱いには十分気をつけ、戸締りは厳重に。絶対に鍵をかけ忘れて出かけることがないように。

などなど、口うるさいようなことを次々話す私の言葉を、いつもうるさがって適当に聞いていた長女が、なぜか涙ぐみながら黙って聞いていた。

今まで、自分が気がつかなかった、気がついていながらいつも『ママがやっていてくれたこと』を、今度は、自分から気がついて心がけてやっていかなくてはならない。友達にばかりやらせてはいけない。お互いに協力し合って、快適に生活していくには、小さな努力の積み重ねが大切なんだと言うことが少しでも伝わってくれたら良いと思う。

まずは、女の子同士の共同生活から。
お互いのプライバシーを尊重しながら、一人暮らしにはない、共同生活ならではの不自由さと楽しさと心強さをいっぱい体験してほしい。

やがて、好きな男性と一緒に暮らしたり、家庭を持ち、家族を作って、親戚付き合いも広がっていく時に、これから実地で経験していくことは絶対役に立つ時が来る。
親元でいつも親任せでわがまま一杯に、何も出来ない状態ではだめだと、家でもいろいろやらせようとは思ってはいたのだが、
「仕事で疲れてるから」
とか言って、自分から動こうともしなかった長女だった。
でも、ここに来て私に料理のレシピを聞いてきたり、家事のコツを聞いてくるようになった。何より、「お月見」など、年中行事の料理やお供えなどのセットへのこだわりは最近なかったことだ。
『子どもは育てたように育つ』
と言うが、小さい頃からこだわってきた『年中行事』がこの娘にとっての『我家の文化』だったのだと思った。

同居するお友達は名古屋出身なのだとか。
お味噌の味からして違う食文化との出会いで、長女は何を学び、どんな風に成長して行くのか、楽しみでもある。

そして、きっと、仕事でも部屋でも気を遣いすぎて疲れてしまったら、たまには家に帰ってきなさい。
あなたの好きな小松菜と油揚げのお味噌汁を食べに。
愚痴ぐらいは聞いてあげるから。


私のインフルエンザが完治したら、娘達の新居に千葉の美味しいものでも手土産に引っ越し祝いに行ってみようと思っている。

*(ジョリー)*クマ

2009-11-02 19:50:00 | 徒然なるままに
11月2日(月)

今日は、2本のDVDを見た。
『ベルナのしっぽ』と『私と犬の10の約束』
どちらも犬と飼い主とのお話。
1年生の読書感想画の下書きの添削をしているので、参考までにDVDを何本か借りてきておいたのだ。

*(カインド)*『ベルナのしっぽ』は、盲導犬としてのラブラドールレトリバー犬ベルナの一生の物語。
映画公式サイトhttp://www.cri.co.jp/service/ri_movie/bsproject/info/information.html
郡司ななえさんの体験をモデルに描かれている。

盲導犬については、今も、それほど知識と理解が浸透しているとはいえないが、昭和57年当時はもっと珍しく、偏見もあったことだろう。
それにしても、犬の性質もあるのだろうが、訓練された犬というのは本当にすばらしい。
劇中で『仕事に対してのプライドがある』と言っていたが、心無い人がベルナのわき腹にタバコの火を押し付けても、踏切で待機したいる飼い主を守るため、声も立てずに必死で耐える姿に感動した。

年を取って白内障になり、怪我をしないように留守番をさせられた時、ストレスから家中を散らかしたベルナの気持ちが、痛いほど良く分かった。
ベルナは犬だから言葉はしゃべれなくとも、あの目やしっぽは、言葉以上のものを表現している。
飼い主の家族の話も良かった。大切なことは、子どもはちゃんと聞いて覚えているものなんだと思った。
盲導犬ベルナから教わることがたくさんあって、見た後が爽やかな映画だった。

*(ラブリー)*『私と犬の10の約束』も良かった~*(涙)**(涙)**感動*(びっくり2)**(涙)**(涙)**(涙)*
こちらの主役は、ゴールデンレトリバーのソックス君。
もう、見終わった後は、目がパンパンに腫れてしまい、下校して帰宅した末娘が心配しているので、話をしようとして思い出してはまた泣いてしまうという様な映画だった。
内容についてはコチラでどうぞhttp://www.inu10.jp/



*(ジョリー)*昔、私の実家にも犬がいた。
私が上京して初めての冬休みに、弟が公園の側溝に落っこちていたところを拾ってきた犬だった。
手のひらに乗っかるほどの子犬で、茶色い熊の子みたいだったので、『クマ』と名づけた。
4本の足に白い靴下を履いているみたいで、鼻筋としっぽの先も白かった。
私が帰京しても、飼い主が現れなかったとかで、我家で買うことにしたと言う連絡が入った。

教育実習で帰省した時は、ちゃんと私を覚えていてくれてうれしかった。
盆と暮にしか帰らなくても、ちゃんと私を覚えていて、帰省するたびに、成犬になっても、老犬になっても、ちぎれるほどしっぽを振って、同じ鳴き方、同じ声で甘えてきた。

結婚して、息子が生まれた時、はるばる自家用車に乗って千葉まで息子に会いに来てくれた。
息子はクマが大好きで、実家に帰るとドッグフードをあげながら、ほんとに楽しそうにケラケラ笑っていた。クマも息子が大好きで、いいおもちゃになって息子の好きにさていたっけ・・・。

父が癌に侵されながらも、驚異的な生命力で頑張っていられるのは、クマと過ごした13年間の体力づくりのおかげかもしれない。

お味噌汁が大好きで、ご飯にかけた味噌汁を先に飲んで、「ゴワン、ゴワン!」と吠えて、「お味噌汁かけ忘れているよ!」と訴える。大好きなご飯を食べるのを我慢して・・・。結構知能犯だ。

家族からのご飯しか受け付けなかったので、どこにも預けられず、両親は泊りがけで行く時は必ず連れて行き、車の中で寝かせていた。

ベランダの掃き出し窓のレースのカーテンを鼻の上に乗っけて、カーテン越しに部屋をのぞくのが好きだった。
いつも家族の会話に耳をそばだてて、自分の名前が出てくるとタイミングよく返事をしたり、しっぽを振って会話に参加しているようだった。

クマはフェラリアで亡くなった。13歳まで生きた。
年もとっていたところに、フェラリアになり、病気には勝てなかった。
その連絡が入った朝のことは今でも忘れられない。

帰省したら、犬小屋に鎖が見えていた。まるで今にも、クマが飛び出してきそうだった。母が、
「クマは死んでからも、ああやって、家を守ってくれているんだよ」
と言った。ありがたくて涙が出た。


クマが亡くなって、何年かした時に、「もう、犬は飼わないの?」
と聞いたら、両親は、自分達はどんどん年老いて体力も落ちていく。毎朝の散歩が辛くなってくる。犬は13年は生きるだろうが、自分達のほうが先に逝くかもしれない。そうなったらかわいそうだから。と言っていた。
両親の落ち込みようはかなりのものだったから、母の
「もう、生き物に死なれるのは嫌だから。」
と言うのがこたえた。
クマを拾ってきた弟も、妹も、皆、私の後を追いかけるように上京し、故郷には両親だけになっていた。
クマは、私たち3人兄弟に加わった4人目の兄弟だった。

『犬と私の10の約束』はいろんなシーンで、クマと私、私の家族と重なるところがあり、クマを思い出しては涙が止まらなかった。
と同時に、今は亡きクマに心から感謝したい。
私は一緒にいてあげられる時間はあまりなかったけれど、私達の家族になってくれてありがとう。
あなたと出会えてうれしかった。
また、いつか、会おうね!その時はいっぱい遊ぼう!
クマ、大好きだよ。