守田です。(20120821 21:00)
すでにお伝えしたように、8月18日、19日の日程で、広島県東部の三つの市で
講演をさせていただきましたが、どの場も想像を上回る方たちの参加で大盛況
でした。具体的には尾道180人、福山70人、三原120人だったと聞いています。
三原の実行委の方は、「三原では40人くれば、まあ今日はきたよね、となり、
70人にだったらやったあとなる。120人はとにかく驚き。どこからあれだけの
人が来たのだろう」とおっしゃっておられました。
しかもこの19日には、なんとこの三つの市で大型バスを仕立てて、30人が伊方
原発再稼働反対行動のため愛媛県松山市まで駆けつけているのです。一方で
三市連続講演会を行いながら、松山市にまで人を出してしまう。尾道・福山・
三原の方たちのパワーに脱帽です。ちなみにこの松山行動も、全体で500人の
参加。政党や組合に依拠しない市民主体の行動では過去最大の盛り上がりだっ
たとか。しかも大雨をついてデモを行ったそうです。いやいや、瀬戸内をはさ
んで広島と愛媛で熱い運動が広がっていることを実感しました。
こうしたパワーはどこから来るのでしょうか。僕なりに推察するに、一つには
今回の三市の取り組みの中心になった尾道の方たちのおおらかさとあたたかさ
からではないかと思えました。僕は尾道でお話させていただくのは都合3回目
になりますが、その度に「フクシマから考える一歩の会」の中心メンバーの方
たちに食事会に招いていただいています。
この会合が面白い。いつも喧々諤々の論議がされるのです。それぞれが自論を
持たれていて、中には、必ず「それを考えるにはカントの道徳哲学に戻る必要
がある」とみんなを18世紀のドイツに連れて行ってしまおうとする方がいます。
ところがそれがしばらく続くとまたほかの人の主張が始まって、違う世界に
ビューっと話が飛んでいく。とにかく話はあっちこっちに飛ぶのですが、そこ
に流れているのは、何を話しても許されるおおらかな雰囲気です。
「またー。くだらないことを言って」などと言いつつ、誰の発言も存在が許さ
れる。だから誰もが、歯に衣を着せずにいいたいことを言っていることがわか
る。その中でおおらかに団結が保たれていることが伝わってきてとても心地よ
いのです。僕は福山と三原のことはよくわかりませんが、こうした雰囲気の上
におおらかなつながりができているのではないかなと思えました。
また「一歩の会」の方たちは、訪問者をとても大事にしてくださいます。実は
始めに訪れた時のこと、尾道で一泊して、翌朝、新尾道の駅から帰ろうとした
ら、そこに何人かの方たちが集まってこられてびっくりしました。それでみん
なで駅のプラットフォームまであがってこられるのですね。そうして新幹線が
発車する刹那にお見送りされてしまいました。何とも気恥ずかしいし、他の場
でそうしていただきたいと言っているわけではけしてないのですが、尾道流の
歓待のあり方に心が温かくなりました。
あとで聞いたら、肥田さんを講演でお招きした時もみんなで駅まで見送りにい
かれて、肥田さんがとても喜ばれたのだそうです。「ああ、この方たちは人を
喜ばすことを楽しんでいるのだな」と思いました。実は僕が参加している京都
の運動でもこうしたことにはかなり気を使っています。講演などで京都にお招
きした方は可能な限り、観光地にお連れしたり、お寺でお抹茶を飲んでいただ
くことなどを組み込むようにしています。それでお相手が喜んでいるのをみる
と「してやったり!」とみんなで喜ぶのです。
そうした茶目っ気のある暖かさが尾道には流れています。そうした上に放射線
の問題で努力を重ねてこられたことが、今回の三市ともに予想を大幅に上回る
人との集まりを作り出すことに成功したのではないかと思えます。ちなみに
僕が尾道から愛媛県今治市まで続く「しまなみ街道」がいいなあと漏らしてい
たのを聞きつけて、今回は18日の午前中に、観光も組み込んでくださったので
した。みなさんが準備している間に二人の方が付き合ってくださり、しまなみ
街道をドライブして、由緒ある神社にまで連れていってくださいました。その
後のお昼などもすごく考えをめぐらしてくださり、とてもありがたかったです。
けしてほかでもそうして欲しいと言いたいのではなく、そんな尾道の方たちの
温かさ、おおらかさ、面白さをみなさんに紹介しておきたいと思うのです。
もう一つ。どこでもあらゆる世代にまたがる参加がありましたが、高齢者の参
加が多いように見受けられたこと、被爆者であったり、原水爆禁止運動に参加
してこられた方の参加が多いように感じたこと、それが参加者の数をおしあげ
ていたのではないかと僕には思えました。実際、三原では85歳の被爆者の方が
参加され、「広島であろうと、長崎であろうと、福島であろうと放射能に違い
はない。自分は85歳の被爆者として、自然エネルギーの採用を求めます」と発
言してくださり、嬉しく思いました。
これはこの間、放影研についてNHKやTBSなどがかなり突っ込んだ報道をしてく
ださったこと、いやそれそのものが、放射線防護への市民的関心が高まる中で
放影研が内部被曝を無視してはおれなくなったこと、そのためにどこまで真意
であるかは別にせよ、「路線変更」を表明することで、マスコミの注目を集め
るにいたり、嫌が上にも放影研のこれまでの調査活動に焦点があたらざるをえ
なくなったことなどを背景としているように思えます。
そうした流れの一つを、私たち、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」によ
る、ECRR会長と、ドイツ放射線防護協会会長との放影研訪問、会談の実現など
も作り出したのではないかと思いますし、それを繰り返しお伝えしてきた僕自
身のブログの効果も少しはあったのではないかと考え、ニヤリとする思いもあ
りました。
ちなみに僕のブログ内容は多くの方がツイッターで拡散してくださっています。
そうした中で、今回の講演会の内容が、実行委のみなさんがあちこちにチラシ
をまいてくださったことに加えて、多くの方に伝わったのではないかと思いま
す。福島原発事故と、広島・長崎原爆のつながりに、ほかならぬ広島で、注目
が集まりつつあるとの確かな手応えを感じました。
さらにもう一点、三原でとても印象的だったのは、「中国電力スラップ訴訟」
で中電から訴えを受けている4人の1人、岡田和樹さんが実行委の中心を担って
くださっていたことでした。この訴訟は上関原発反対運動の逞しい前進に対し
て、中部電力が嫌がらせに仕掛けてきたもの。中電は、2009年10月に強引に埋
め立て工事に着工したのですが、これに対して地元の方たちを中心に、非暴力
に徹しながらも身体を張った抵抗が行われました。
ところが2009年12月に突然中電は、祝島島民2人とシーカヤックで抗議していた
2人の市民に対して、工事妨害を名目に4800万円もの損害賠償請求裁判をおこし
てきたのです。これが「中国電力スラップ訴訟」なのですが、このシーカヤッ
クで抗議してきた1人が三原でチェルノブイリ原発事故の年、1986年に生まれた
岡田和樹さんなのです。
恥ずかしながら僕はこの訴訟のことをよく知らなかったのですが、岡田さんの
姿を見ていて、中電の嫌がらせにはもちろん腹がたったものの、ああこういう
若者が海で頑張ってくれていたのかと知って、なにかとても嬉しくなってしま
いました。岡田さんはさらに1年前から有機農業にチャレンジしています。海と
農地で浴びたのであろう太陽によって腕は真っ黒。何ともすがすがしくてかっ
こいい。そんな姿に、尾道、福山、三原に、上関の息吹が流れ込んできている
ことを強く感じました。なおこの訴訟のことは、またあらためて紹介したいと
思います。
また福山では中心を担っている坂田さん方が、最近、誕生した緑の党の育成の
ために奮闘していることも知ることができました。今度、京都から人を呼ぶそう
ですがなんと僕の友人の加藤良太さんでした。また福岡から長い間、緑の党の立
ち上げに尽力してきた足立力也さんとも、いろいろな行動をともにしてきたとの
こと。加藤さんもそうなのですが、とくに足立さんとは、今年4月14日に亡くなっ
た安藤栄里子さんという共通の親友を持つ間柄で、昨年3月11日以降、何かにつけ
連携してきた仲間です。そうした私の友人たちも参加している緑のムーブメント
とつながりながら、坂田さんが福山で頑張っておられることを知ることができま
した。加藤さんが福山を訪ねる企画については以下をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51440615.html
また今、調べてみたら、福山での僕の講演の様子をもうネットにアップしてくだ
さっていました。早い!このアドレスも紹介しておきます。ちなみに文章もお上
手です。短くコンパクトに説明できるこの能力が僕も欲しい!
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51447020.html
ブログの最新ページには、松山行動のことも載っていますのでぜひそれもご覧
ください。これらのページを読んでいると、福山の盛り上がりの理由もビジュ
アル的に見えてくるように思えます。ともあれ今回は尾道を中心に、こうした
それぞれの積み重ねが一緒になってより大きなハーモニーとなったのではない
かと思えます。それで「どこから来たのか分からない」参加があったのでしょ
う。みなさんの活動の開花の場に立ち会えて嬉しい限りでした。
尾道、福山、三原にはこれからもお邪魔しようと思います。また広島市からも
幾人かの方たちが参加されていたので、ぜひ広島県西部にもお邪魔したいです。
そうして広島県民の方たちと共に、放射線防護を進めながら、放影研に繰り返
しアプローチを行い、情報の開示を勝ち取り、原爆投下以降、隠されてきた内
部被曝の真実をさらに明らかにしていきたいと思います。そのためにも今後も
広島に通いたいと思います。
尾道、福山、三原での素晴らしい企画の開催のためにご尽力いただいたすべて
のみなさんに感謝して、報告を閉じます!
すでにお伝えしたように、8月18日、19日の日程で、広島県東部の三つの市で
講演をさせていただきましたが、どの場も想像を上回る方たちの参加で大盛況
でした。具体的には尾道180人、福山70人、三原120人だったと聞いています。
三原の実行委の方は、「三原では40人くれば、まあ今日はきたよね、となり、
70人にだったらやったあとなる。120人はとにかく驚き。どこからあれだけの
人が来たのだろう」とおっしゃっておられました。
しかもこの19日には、なんとこの三つの市で大型バスを仕立てて、30人が伊方
原発再稼働反対行動のため愛媛県松山市まで駆けつけているのです。一方で
三市連続講演会を行いながら、松山市にまで人を出してしまう。尾道・福山・
三原の方たちのパワーに脱帽です。ちなみにこの松山行動も、全体で500人の
参加。政党や組合に依拠しない市民主体の行動では過去最大の盛り上がりだっ
たとか。しかも大雨をついてデモを行ったそうです。いやいや、瀬戸内をはさ
んで広島と愛媛で熱い運動が広がっていることを実感しました。
こうしたパワーはどこから来るのでしょうか。僕なりに推察するに、一つには
今回の三市の取り組みの中心になった尾道の方たちのおおらかさとあたたかさ
からではないかと思えました。僕は尾道でお話させていただくのは都合3回目
になりますが、その度に「フクシマから考える一歩の会」の中心メンバーの方
たちに食事会に招いていただいています。
この会合が面白い。いつも喧々諤々の論議がされるのです。それぞれが自論を
持たれていて、中には、必ず「それを考えるにはカントの道徳哲学に戻る必要
がある」とみんなを18世紀のドイツに連れて行ってしまおうとする方がいます。
ところがそれがしばらく続くとまたほかの人の主張が始まって、違う世界に
ビューっと話が飛んでいく。とにかく話はあっちこっちに飛ぶのですが、そこ
に流れているのは、何を話しても許されるおおらかな雰囲気です。
「またー。くだらないことを言って」などと言いつつ、誰の発言も存在が許さ
れる。だから誰もが、歯に衣を着せずにいいたいことを言っていることがわか
る。その中でおおらかに団結が保たれていることが伝わってきてとても心地よ
いのです。僕は福山と三原のことはよくわかりませんが、こうした雰囲気の上
におおらかなつながりができているのではないかなと思えました。
また「一歩の会」の方たちは、訪問者をとても大事にしてくださいます。実は
始めに訪れた時のこと、尾道で一泊して、翌朝、新尾道の駅から帰ろうとした
ら、そこに何人かの方たちが集まってこられてびっくりしました。それでみん
なで駅のプラットフォームまであがってこられるのですね。そうして新幹線が
発車する刹那にお見送りされてしまいました。何とも気恥ずかしいし、他の場
でそうしていただきたいと言っているわけではけしてないのですが、尾道流の
歓待のあり方に心が温かくなりました。
あとで聞いたら、肥田さんを講演でお招きした時もみんなで駅まで見送りにい
かれて、肥田さんがとても喜ばれたのだそうです。「ああ、この方たちは人を
喜ばすことを楽しんでいるのだな」と思いました。実は僕が参加している京都
の運動でもこうしたことにはかなり気を使っています。講演などで京都にお招
きした方は可能な限り、観光地にお連れしたり、お寺でお抹茶を飲んでいただ
くことなどを組み込むようにしています。それでお相手が喜んでいるのをみる
と「してやったり!」とみんなで喜ぶのです。
そうした茶目っ気のある暖かさが尾道には流れています。そうした上に放射線
の問題で努力を重ねてこられたことが、今回の三市ともに予想を大幅に上回る
人との集まりを作り出すことに成功したのではないかと思えます。ちなみに
僕が尾道から愛媛県今治市まで続く「しまなみ街道」がいいなあと漏らしてい
たのを聞きつけて、今回は18日の午前中に、観光も組み込んでくださったので
した。みなさんが準備している間に二人の方が付き合ってくださり、しまなみ
街道をドライブして、由緒ある神社にまで連れていってくださいました。その
後のお昼などもすごく考えをめぐらしてくださり、とてもありがたかったです。
けしてほかでもそうして欲しいと言いたいのではなく、そんな尾道の方たちの
温かさ、おおらかさ、面白さをみなさんに紹介しておきたいと思うのです。
もう一つ。どこでもあらゆる世代にまたがる参加がありましたが、高齢者の参
加が多いように見受けられたこと、被爆者であったり、原水爆禁止運動に参加
してこられた方の参加が多いように感じたこと、それが参加者の数をおしあげ
ていたのではないかと僕には思えました。実際、三原では85歳の被爆者の方が
参加され、「広島であろうと、長崎であろうと、福島であろうと放射能に違い
はない。自分は85歳の被爆者として、自然エネルギーの採用を求めます」と発
言してくださり、嬉しく思いました。
これはこの間、放影研についてNHKやTBSなどがかなり突っ込んだ報道をしてく
ださったこと、いやそれそのものが、放射線防護への市民的関心が高まる中で
放影研が内部被曝を無視してはおれなくなったこと、そのためにどこまで真意
であるかは別にせよ、「路線変更」を表明することで、マスコミの注目を集め
るにいたり、嫌が上にも放影研のこれまでの調査活動に焦点があたらざるをえ
なくなったことなどを背景としているように思えます。
そうした流れの一つを、私たち、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」によ
る、ECRR会長と、ドイツ放射線防護協会会長との放影研訪問、会談の実現など
も作り出したのではないかと思いますし、それを繰り返しお伝えしてきた僕自
身のブログの効果も少しはあったのではないかと考え、ニヤリとする思いもあ
りました。
ちなみに僕のブログ内容は多くの方がツイッターで拡散してくださっています。
そうした中で、今回の講演会の内容が、実行委のみなさんがあちこちにチラシ
をまいてくださったことに加えて、多くの方に伝わったのではないかと思いま
す。福島原発事故と、広島・長崎原爆のつながりに、ほかならぬ広島で、注目
が集まりつつあるとの確かな手応えを感じました。
さらにもう一点、三原でとても印象的だったのは、「中国電力スラップ訴訟」
で中電から訴えを受けている4人の1人、岡田和樹さんが実行委の中心を担って
くださっていたことでした。この訴訟は上関原発反対運動の逞しい前進に対し
て、中部電力が嫌がらせに仕掛けてきたもの。中電は、2009年10月に強引に埋
め立て工事に着工したのですが、これに対して地元の方たちを中心に、非暴力
に徹しながらも身体を張った抵抗が行われました。
ところが2009年12月に突然中電は、祝島島民2人とシーカヤックで抗議していた
2人の市民に対して、工事妨害を名目に4800万円もの損害賠償請求裁判をおこし
てきたのです。これが「中国電力スラップ訴訟」なのですが、このシーカヤッ
クで抗議してきた1人が三原でチェルノブイリ原発事故の年、1986年に生まれた
岡田和樹さんなのです。
恥ずかしながら僕はこの訴訟のことをよく知らなかったのですが、岡田さんの
姿を見ていて、中電の嫌がらせにはもちろん腹がたったものの、ああこういう
若者が海で頑張ってくれていたのかと知って、なにかとても嬉しくなってしま
いました。岡田さんはさらに1年前から有機農業にチャレンジしています。海と
農地で浴びたのであろう太陽によって腕は真っ黒。何ともすがすがしくてかっ
こいい。そんな姿に、尾道、福山、三原に、上関の息吹が流れ込んできている
ことを強く感じました。なおこの訴訟のことは、またあらためて紹介したいと
思います。
また福山では中心を担っている坂田さん方が、最近、誕生した緑の党の育成の
ために奮闘していることも知ることができました。今度、京都から人を呼ぶそう
ですがなんと僕の友人の加藤良太さんでした。また福岡から長い間、緑の党の立
ち上げに尽力してきた足立力也さんとも、いろいろな行動をともにしてきたとの
こと。加藤さんもそうなのですが、とくに足立さんとは、今年4月14日に亡くなっ
た安藤栄里子さんという共通の親友を持つ間柄で、昨年3月11日以降、何かにつけ
連携してきた仲間です。そうした私の友人たちも参加している緑のムーブメント
とつながりながら、坂田さんが福山で頑張っておられることを知ることができま
した。加藤さんが福山を訪ねる企画については以下をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51440615.html
また今、調べてみたら、福山での僕の講演の様子をもうネットにアップしてくだ
さっていました。早い!このアドレスも紹介しておきます。ちなみに文章もお上
手です。短くコンパクトに説明できるこの能力が僕も欲しい!
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51447020.html
ブログの最新ページには、松山行動のことも載っていますのでぜひそれもご覧
ください。これらのページを読んでいると、福山の盛り上がりの理由もビジュ
アル的に見えてくるように思えます。ともあれ今回は尾道を中心に、こうした
それぞれの積み重ねが一緒になってより大きなハーモニーとなったのではない
かと思えます。それで「どこから来たのか分からない」参加があったのでしょ
う。みなさんの活動の開花の場に立ち会えて嬉しい限りでした。
尾道、福山、三原にはこれからもお邪魔しようと思います。また広島市からも
幾人かの方たちが参加されていたので、ぜひ広島県西部にもお邪魔したいです。
そうして広島県民の方たちと共に、放射線防護を進めながら、放影研に繰り返
しアプローチを行い、情報の開示を勝ち取り、原爆投下以降、隠されてきた内
部被曝の真実をさらに明らかにしていきたいと思います。そのためにも今後も
広島に通いたいと思います。
尾道、福山、三原での素晴らしい企画の開催のためにご尽力いただいたすべて
のみなさんに感謝して、報告を閉じます!