明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1731)ニューメキシコ報告にロッキーフラッツのことを重ねてお話します!(20日すみれやにて)

2019年09月19日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190919 17:00)

今週末にあちこちでお話しますが、それぞれについてもう少し詳しい予告編を出したいと思います。
明日20日午前10時半から京都市左京区のすみれやさんでお話します。まずはその案内をご紹介します。

守田敏也さんのアメリカ・ニューメキシコ訪問報告会
https://www.facebook.com/events/644684566024363/

なおすみれやさんは叡山電車元田中駅下車5分です。606-8227 京都市 左京区田中里ノ前町49-1
今回は、すみれやの春山文枝さんがFacebookにアップしている「宣伝」を春山さんの承諾を得てそのまま転載します。お読み下さい。

● 春山文枝さんの思い・・・

ちょびっと宣伝を。すみれやでは9月20日(金)の午前中に守田敏也さんのニューメキシコ訪問報告会を開催します。

会場のすみれやさん

核のこと、いつもとは違った視点で考えてみたいと思います。原発の燃料はどこから来て、そこに住んでいる人がどんな思いでいるのか。それから核兵器工場のことも結構ひどいです。  
実は私は大学生の時、アメリカにいて元核兵器工場(ロッキーフラッツ)の近くに住んでいました。 私が住んでいた時は既に工場は閉鎖されていたのですが、新聞で地下水が放射能で汚染されていると読んだときはどうしていいかわかりませんでした。息止められないし、水も飲みたい。

ロッキーフラッツ工場全景 NHKスペシャルより 

私の大切な友人は多分同じ工場のせいで、数年前に多発性骨髄腫で亡くなりました。高校の交換留学で1年間アメリカに住んでいたのです。
その時その工場はまだ稼働していて、彼女のいた街はその風下にありました。その時は、まさかそんな空気を吸っているとは彼女は思いもよらなかったと思います。
その、「まさかそんなことになっているとは思いもよらなかった」というのは私たちの今ここかもしれないと思ってしまいます(核以外のことでも)。

そして多くの場合、それは検証されることはないままで、検証してもうやむやのままになってしまう。
いろんな意味で、核の話は私にとっては全然遠い話ではないのです。
守田さんが、実際に見て聞いてきた貴重な報告をぜひ一緒に聞きませんか。お近くの方は、ぜひご参加ください。

● ロッキーフラッツとは

今回のニューメキシコの旅、僕にとっては「アメリカはこれほどまでに被曝していたのか」と実感する旅でした。実際に、ウラン鉱を掘り続けたネオティブ・アメリカンの方たちをはじめ、たくさんのアメリカン・ヒバクシャとも出会いました。
その旅に触れて、春山さんがこのように思いを書いてくれて、僕の心もロッキーフラッツに飛びました。春山さんが書いている「大切な友」は僕にとってもとても「大切な友」です。
その彼女もまたロッキーフラッツの被害を受けた可能性大なのです。
今回この点を再度、きちんと踏まえるために、2010年にNHKが放映した『私たちは核兵器を作った』というドキュメントを観なおしました。
https://www.youtube.com/watch?v=UUSqTgK9hi0



それによるとニューメキシコ州の北隣のコロラド州のデンバー近郊にあるロッキーフラッツは、水素爆弾の起爆装置を作っている工場でした。プルトニウムをテニスボールぐらいに丸めて加工し、圧力加わると核分裂し水爆の炸トリガーとなります。
恐ろしいことにこの工場はきちんとした被曝対策をたてないままに操業してしまった。そのため工場労働者の被曝がさまざまな形で起こりました。1957年から1966年まででなんと462件もの深刻な被曝事故が起こり、1707人が負傷していました。
当時、核対立の激化の中で核弾頭の拡大再生産にあけくれていたアメリカは、一方で放射能の人体への影響を知りたくて、ビーグル犬を使った実験を行っていたそうですが、なんとこの工場に目を向け始めます。そこには多様なヒバクシャがいたからです。


「グローブボックス」と呼ばれた設備の中で手でプルトニウムを成形する

ロッキーフラッツの労働者を観察せよとの提言

ところがロッキーフラッツは1969年5月11日に深刻な事故を起こしました。なんと加工中のプルトニウムが次々と燃えだし、工場全体の火事に発展してしまったのでした。
この1969年の火災は駆けつけた消防士が化学物質用の消火剤をまいたものの太刀打ちできず、最終的に水を撒く決断を強いられます。しかし相手は燃えているプルトニウム。水が「減速材」の役割を果たすと臨界爆発が起きる可能性すらありました。
しかし消防隊は工場の屋根が焼け落ち、大量のプルトニウムが近郊のデンバーの街などに降ることを阻止するために水をかけました。結果的に臨界爆発は起こらず鎮火しましたが、それまで大量のプルトニウムを含んだ煙が工場から出続けました。


プルトニウムは常温でも発火する。内部から燃え上がったグローブボックス


● 
核兵器を持つ=作ることは自国民を被曝させることだ!

この事故のときに驚くべき事実が発覚しました。なんと同工場では同じような事故を1957年9月にも起こしていたのでした。大火災事故でした。 しかしなんと工場は、周辺の汚染調査もせず、さらには火災を教訓とした対策すら施さないままに操業を続けていたのでした。この時に漏れ出したプルトニウムの量も分かっていません。 そればかりか長年にわたる操業を通じてなんと1万トンものプルトニウムが行方不明になってしまってすらいます。頭がクラクラするような数値です。


次々と火が広がっていった

ロッキーフラッツはそうして周辺にプルトニウムを飛散させ続け、想像を絶する数の人々を被曝させたに違いない。
そしていまも現場には膨大な汚染物が残っており、それがさらなる被曝を生み出している可能性、未来にわたっても生み出す可能性が大きくあります。
核兵器を持つとはそういうこと、自国民を確実にかつ残酷に被曝させることなのです。この点にこそ「核抑止論」の大きな限界、というよりも大ウソがあることを暴き続けねばです。

そのためにも僕は10月末から11月にかけて再度、アメリカを訪問します!
さらにアメリカの被曝実態や放射性廃棄物問題の実態をつかむとともにアメリカン・ヒバクシャとの連帯をより強いものとしてきます。
みなさん。ぜひお力をお貸し下さい。そのためにも各地の報告会にご参加下さい。

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