明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2345)ジュネーブに着き国連とレマン湖を訪れました・・

2023年07月02日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230702 23:30ジュネーブ時間)

Facebookに投稿した旅の記録をご紹介します

ジュネーブに着いてーまずは国連に向かいました 7月1日

みなさま。ようやくジュネーブに着きました。すでにしばし経ちましたが、とても元気です!
報告が遅れましたが、着いてから寝ることを優先して体力回復に努めさせていただきました。

旅の報告の続きです。30日にカタール・ドーハを朝の5時に飛び立ち、7時間のフライトでジュネーブ時間の11時に空港に着きました。
フライトが可能になったのはジュネーブ空港のストライキが早朝から午前10時と設定されたから。そのためドーハ発が3時間遅くなりました。
ちなみにストは当局との妥結に至り、解除されたそうです。

この結果、僕は3時間のフライト遅延の影響を受けましたが、それはもう嬉しいこと。ストライキに連帯できましたから。
ジュネーブにも無事に辿り着けたし言うことなし。帰りの便への心配もなくなりました。
でもそれやこれやで空港を出たらドーンと疲れが。電車で移動し、ホテルに辿り着いてチェックイン。京都の自宅から38時間の旅で、そのまま寝落ちてしまった・・





無事にジュネーブに到着。空港からジュネーブ駅へ移動


まずは国連へーそのださんたちと合流

起きたら午後5時。「や、やばい!」と国連に直行。と言ってもテクテク歩いていきました。2キロぐらいの気持ちの良いウォーキングですした。
まずは国連の前で写真撮影!旗がズラッと並び、前の広場に壊れたイスのモニュメントが置かれている有名なところ。我ながら嬉しい感が滲み出る写真が撮れました(^_^*)
ここで国連で作業をしていたそのださんと合流。今回、私たちを支えてくださっているIADL(国際民主法律家協会)のニコルさん、やはり手伝ってくださっているカルビンさんとも会えました。これまた嬉しかった。

その後、そのださん、カルビンさんと駅前のパブで歓談。カルビンさんはフランス生まれの清々しい青年男性。5歳でロンドン、その後ジュネーブに移ったため、母語は仏語ですが、英語も堪能。スペイン語も話せる。
「でも僕の言葉はなまってるって言われるんです」と言う。また「フランスの映画は嫌いなんです。差別的なジョークが多いから」とも。カルビンさん、フランス人ながら異邦人感覚を持ち、世界を公平に見ることを大事にしている。
そんな彼はいま日本語も練習中。日本に深く魅力を感じてくれています。この夏にも東京ー滋賀ー大阪ー福岡を回るのだとか。

それで大阪弁を二つ教えました。「おおきに」です。「カルビンです」というとき「カルビンですねん」と「ねん」を加えてとも。彼の大阪弁もどきを聞く人の顔がみたいなあ。
カルビンさんはまた琵琶湖もとても好きでいきたいのだと。「どうして?」と尋ねたら「琵琶湖のピースフルな感じが良い」のだと。「人がそんなにたくさんいなくて心を静かにしてくれる感じが好きだ」というのだす。
それで近江八幡を紹介しました。実際にそんな気持ちの方がよく海外から近江八幡に来ているからです。時間があったら案内してあげたいなあ。

ともあれそんな風に楽しく歓談しました。カルビンさんと僕はスイスビールを飲みましたがとても美味しかった。でも1パイント9フラン=1500円と高い。そしたら2杯目をカルビンさんが奢ってくれました。
うーむ、こりゃあ滋賀、京都、大阪を案内するしかないかなあ・・。







レマン湖の周りを歩いて

この日はそのままホテルに戻り、またも寝落ち。起きたら朝の5時。気持ちよくて外に出て歩き出しました。
カルビンさんから「ジュネーブは小さいけれど美しい街なので大好きです。湖の周りとかとてもきれいなんですよ。駅前は美しくない。湖に行ってみて欲しいな」と言われたのでホテルから直行。すぐに辿り着きました。

ジュネーブはスイスの西の端にあります。そこにヨーロッパでは二番目に大きいレマン湖がある。5分の2ぐらいはフランスになるらしい。
その周りに高級ホテルが立ち並び、たくさんのボートが係留されている。そこをゆっくり歩きました。確かにとてもきれい。写真をたくさん撮ったのでご覧ください。

朝早くて人が多くなかったこともあって、静かでとてもピースフル。ヨーロッパからいろんな人が集ってくる理由も分かります。
だからずらずらホテルも並んでいるのだなあ。なるほど、ここで長く過ごしてきたカルビンさんが、琵琶湖にも心を寄せるわけだ。








アジサイの会の方たちとースイスは何でも話し合う!

散策を終えてホテルでまたひと寝してから街中のレストランへ。スイス在住の日本人4人が、そのださんと僕を歓迎して下さることになり、待ち合わせていたのでした。
「アジサイの会」といって福島原発事故後にスイスで原発反対を訴えてきた方たちです。そこでスイスについて興味深い話をたくさん聞けました。
ポイントだけ言うとスイスはネゴシエーション文化に長けているというのです。とにかくなんでも話し合う。

福島原発事故の時もデモを申請したら「申請は2ヶ月前」という規定に間に合わなかった。でも警察内部で「緊急にデモをしなければならない時もあるだろう。この規定はおかしいのでは?」という論議が起こり、延々協議。結局、許可にはならなかったのですが、「シュプレヒコールなどを繰り返さないパレードに変えてくれたら許可できる」とのことで、パレードをしたのだそうです。
とにかくなんでも話し合う。素晴らしい。戦乱のヨーロッパの中で、永世中立国の地位を保ってきたスイスを読み解く鍵がここにありそうな気がしました。

ここ、もっと掘り下げたいですが、長くなるのでここからは先の報告に回しますね。
今日は日曜日。さらにジュネーブ散策を行ってきます!



アジサイの会の方たちと レマン湖岸イギリス公園にて

ジュネーブで一番の目抜き通りにてーアジサイの会の方たちが連れて行って下さいました。

ジュネーブ旧市街地への上り口にあるモニュメント 攻め来るフランス軍を撃退したのだとか

イギリス公園内の二人の女神像。剣を持っている。ジュネーブが1815年にスイス連邦に参加するのを記念して建立された


#ジュネーブ #国連 #壊れた椅子 #IDSL #国際民主法律家協会 #レマン湖 #ネゴシエーション #スイスは何でも話し合う #永世中立国

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明日に向けて(2344)ジュネーブに向かう道中からーマレーシアについて

2023年07月02日 10時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20230702 10:00ジュネーブ時間)

ジュネーブに着きました!

みなさま。ジュネーブに来ています。福島原発事故避難者の人権をググッとあげるためです。

明後日7月4日に、日本に来て避難者調査をして下さったセシリア・ヒメネス=ダマリーさんの正式報告がなされます。またそれに合わせて3日にサイドイベントが行われます。双方共にLIVE中継するのでご注目を!もちろんがっつりとした取材も行います。

イベントの詳細については以下の記事をご覧ください。
明日に向けて(2342)福島原発事故避難者の権利を守り、向上させるため国連に行ってきます!ぜひ支えて下さい - 明日に向けて (goo.ne.jp)

今回は旅の途中のFacebookへの投稿をご紹介します。

 

6月29日午前9時 関空より

みなさま。まもなく出国です!

マレーシア航空でクアラルンプールに行きトランスファー、さらにマレーシア航空でドーハに行きトランスファー、そこからカタール航空でジュネーブ着。日本時間の明日の15時ぐらいの予定です。29時間の旅を選んで航空券代を削りました!
ただしジュネーブ空港、ぬわんと、空港の労働者たちがストライキに突入するらしい!スイスの労働者強い!なんか嬉しい(笑)

でもこちらはどこに着くのやら。関空で聞いてもさっぱり分からず。スイス内の遠い空港に降ろされるとか、手荷物が届かないとか、いろいろありうるそうです。
まあなあ。それもええやん!

スイスの労働者連帯!で頑張ってジュネーブに辿り着きます。
ちなみに搭乗する飛行機を見たら虎でした(笑)虎だあ。虎になるんだあ!
行ってきます!



 

6月30日午前1時過ぎ(現地時間) ドーハより

みなさま。ドーハまでやってきました。こちらは午前1時過ぎです。家を出てからすでに26時間。それで問題のジュネーブ行きのフライトですが、無事に飛ぶそうです!ただし3時間遅れの出発。こちらの午前5時、日本の午前11時発です。

それで6時間半のフライトで、スイス時間の午前10時半にジュネーブ空港に着きます。

総計で36時間の旅。7時間のフライトが3回。うーむ。結構、ダメージは大きいなあ。
高度12000メートルを飛んでいたので、たぶん5μSvぐらいの宇宙線被曝が続いていると思います。

今回は被曝対応のオイルなどなどいろいろなグッズを持ってきていますが、ある方からいただいた良い塩も持ってきました!ここのところ被曝のダメージ回復に塩が効くとの証言にたくさん接してのことです。ホテルに着いたら白湯で飲みます。とにかくジュネーブまで確実に辿りつかなくちゃだ!


ドーハ国際空港にて


熊のモニュメントの前で


ここでマレーシア航空機からカタール航空機に乗り換え


マレーシアのこと。。。

さて今回の旅の目的は、国連人権理事会を取材すること。福島原発事故避難者の人権をグッとあげることを目指すこと、また福島原発からの放射能汚染水の放出に歯止めをかけるためです。
それでもここに来るまで、クアラルンプール空港についてそこでトランスファーしましたが、5時間の滞在中に、いろいろ調べ、考えました。

それで過去に調べたことも含めて書きますが、クアラルンプールはマレーシアの首都です。と、これはどなたもご存知ですね。表記はご存知でしょうか?Kuala Lumpurで、意味は「2つの泥の川が合流するところ」だそうです。

この国際空港は、さすがにマレーシアを構成するマレー系の方、中華系の方、インド系の方が闊歩している。ああ、アジアなんだなあと感じました。白人よりアジア人の方が圧倒的。でも英語がすごく使われているのが分かりました。隣にいたたぶんマレーシア人の家族が英語で話していました。小さい子もでした。

これはイギリスの植民地支配が長かった影響なのですね。そもそもかつては英語が公用語だったのだそうです。いまはマレー語が公用語ですが。

イギリスはこの地域を英領マラヤとして支配していた。もっとも最初にこの地域にきたのはポルトガルで1511年のことでした。そのあとはオランダが1641年にきました。この時代はポルトガル領マラッカ、オランダ領マラッカと言います。そして1824年からイギリス領マラヤとなった。


1800年ごろの東南アジア 「東南アジアへの侵略と統治地図@世界の歴史マップ」より


クアラルンプール国際空港より


クアラルンプールからドーハにはこの飛行機に


日本軍が侵攻した!

第二次世界大戦のときに、そこに攻撃を仕掛けたのが日本軍でした。マレー半島に上陸した日本軍は、半島最南端にあるシンガポールへとイギリス軍を追い詰めていき、降伏させました。

当初、マラヤの方たちの中には、イギリス軍を打ち破る日本軍に共感した方もいたようです。でもその時、日本軍は、中国で八路軍ー中国労農紅軍に散々にやられていた経験などから中華系の方たちを敵視。弾圧を加え、拷問や虐殺を繰り返しました。

中心になったのは広島を本拠とする陸軍第五師団。それまでは中国を荒らしまわった部隊ですが、1937年7月7日の盧溝橋事件後に師団長となった板垣征四郎の元、「支那派遣軍」の中心として各地で戦闘を繰り返しまきた。ただし「平型関」の戦闘では林彪率いる八路軍に打ち負かされた経験も持っています。

ちなみに板垣征四郎は「満州国設立」の仕掛け人であり、石井731部隊の前身である関東軍防疫部の設立提言者でもありました。戦後にA級戦犯として死刑になっています。

さて日本軍は一方で中華系の人々への殺戮を行いながら他方でマラヤの王族の師弟などを「南方留学生」として日本に送り込み、大東亜共栄圏のリーダーにしようとしました。その1人がサイド・オマールさんでした。

温かい地が良かろうとのことで広島が選ばれましたが、オマールさんはそこで被爆し、命を落としてしまった。そのオマールさんのお墓は京都市左京区にあり、僕もここ数年、法要に参加しています。

マラヤは日本の敗北のあと、独立を目指していった。まずはマラヤ連合となり、すぐにマラヤ連邦となって1957年にイギリスから独立しています。さらにシンガポールも含めてマレーシアを形作ろうとした時に、シンガポールが独自に独立して国が別れたのだそうです。1963年のことです。

ここにも深い歴史がありますが、一言では書ききれません。また僕自身がまだまだ分かってないことも多い。

私たちはこの地域に日本軍が何をしたのかをもっと掘り下げなくてはならないし、それも含めてもっと大きくアジアの歴史をつかんでいかねばです。なぜってそこに私たちがなんであるのか。何を継承することで真に豊かなアジアを目指せば良いのかのカギがあるからです。ああ、マレーシアにもトランスファーでなくてちゃんと来なくちゃなあ。





日本軍の東南アジア侵攻図と当時の新聞記事 ともに読売新聞20211208の記事より

虎はマレーの象徴

ところでこのことを調べていて、マラヤーマレーの人々が密林に生息しているマレー虎をとても愛してきたこと、この地域の象徴としてきたことを知りました。
どうりでマレーシア航空機に虎があしらわれているわけだ!

いまも国の紋章に二匹の虎が登場しています。マラヤ連合の時も虎が描かれていた。この時には国旗にも。ちなみにいまの紋章と国旗は、三日月と星があしらわれています。イスラムの象徴です。

また一見するとアメリカの星条旗に似ていますが、これはアメリカもマレーシアもイギリスのユニオンジャックの影響を受けているからだとのこと。アメリカとは無関係だそうです。僕はそんなことを知らずに虎を見てはしゃいでいました。お恥ずかしい。

ともあれわずか数時間の滞在でしたが、クアラルンプール、とても強いインスピレーションを僕にもたらしてくれました。あ、帰りにももう一度、トランスファーだ。帰りにも何かをつかんで来ます!








マレーシア国旗と紋章、およびマラヤ連合の国旗と紋章

#ジュネーブ #国連人権理事会 #マレーシア #マレー虎 #列強の東南アジア支配 #日本軍のマレー作戦 #クアラルンプール

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