明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(701)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・4

2013年07月04日 22時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130704 22:00)

今回の号で「明日に向けて」は連載700回を越えました。多くのみなさんに支えられてここまで来ました。深い感謝を申し上げます!
700回を越えたコメントをと思うのですが、後藤政志さんの講演録が途中ですので、今日はこれを優先し、次号にコメントを掲載させていただきます。

さて前回までの3回で、後藤さんの講演はいったん終了するのですが、休憩を挟んでその後に補足説明が行われました。
ここで後藤さんは、「安全とは何か」ということを技術論的に話されています。

福島第一原発の現場でトラブルが起こったとき、あるいは原子力関連施設で問題が起きたとき、マスコミは多くの場合、対応の不十分性を指摘します。それは機器が十分に作動しなかったりということであったりします。
しかしそうした指摘は、「正しく運転されていれば事故は防げたはずだ。機器をちゃんと点検していれば良かったのだ」という主張につながり、システムそのものの不備に分析がおよびません。ベントに関する論調などはその最たるものです。

後藤さんが繰り返し指摘しているのは、機器の故障はありうることであり、それでも安全が確保されるようにシステムを構築しておかねばならないということです。原子力はそれができておらず、だから設計の段階で十分な安全性が担保されてないのです。
例として挙げられているのが、貨物列車のブレーキです。これはエアで動かしているそうですが、ブレーキペダルを踏むとエアが流れてブレーキがかかる・・・のではない。反対にエアが流れているときはブレーキが外れていて、ペダルを踏むとエアが切れてブレーキがかかるのだそうです。
そうすると何かの不具合で長く連なっているホースが切れると、エアが遮断されてブレーキがかかる。故障するとブレーキが作動するような体系になっているということです。
原子力規制委員会の新基準は、こうした安全思想に立っていないことに一番の問題があります。この点をしっかりとつかみとりましょう。

以下、お読みください。

*****

原子力発電所の真実を語る・・・4
後藤政志 2013年3月30日 
福井から原発を止める裁判の会主催講演会より
http://www.youtube.com/watch?v=7DgSaLgd1rc

一番、申し上げたいことの一つは安全とは何かということです。溶融デブリの状態すら把握できていない。冷却できているのかもよくわからない。こんな状態になってしまっているわけです。
これは対応が悪いという側面もよく指摘されますし、実際、けしからんことも多いですが、ただ私はそれは瑣末な問題だと思います。
東電であろうとなんであろうと、原発自身の持っている特性なのですよ。東電ではなければ良いのかというとそうではない。どこでも大して変わらない。
もっと「安全とは何か」という哲学がなければダメなのです。それで哲学があればできるのかというと、それもまた別次元です。

私が一番強調するのは、確実でないことは安全とは言えないということです。たぶん大丈夫とか、危険の兆候がないというのでは安全が証明されていないのです。
論理的に起こりうることは、いつか確実に起きると考えるべきなのです。実はこのセリフは畑村洋太郎さんも同じことを言っています。
安全装置をつけると何が違うのかというと、その分、事故の確率が減るのです。ですけどゼロにはならない。その安全装置が故障などで働かないことがあるからです。
ですから安全装置を二つつける。そうするとより安全になりますよね。それで確実かと言うとそうは言えない。事故の確率は残るのです。
そうすると起こりうる事故はいつか必ず起きる。シビアアクシデントや炉心溶融事故というのはそういう性格のものなのです。
私はこのように確実にできるというものでないので、どうしても原子力技術というのは砂上の楼閣にあるものとしか見えない。そう見えてしまします。

グレーゾーン問題というものがあります。安全か、危険かと考えたときに、グレーゾーン、判断がつかない状態がある。今の原発問題はどの分野もこれに入ります。
例えば被曝の問題がしかり。どれだけ被曝したら危ないのかというのはグレーゾーンです。活断層もそうです。つまりはっきりしない状態でどうするかが問われているのです。これが安全問題の本質です。

六本木のビルの回転ドアの問題をいつも例に出すのですが、回転ドアで子どもが挟まれて死にました。そのときに設計した側はなんと言ったのか。
「回転ドアは子どもが飛び込んできても大丈夫なように赤外線センサーをつけていて、働いて止まるようになっています」というのが説明でした。だから安全ですという話しでした。
しかし調べていったらセンサーの性能が不十分だった。もっとひどいのはセンサーが壊れている。そうしたら全然働かない。
あるいはセンサーが働いた時も、慣性力で25センチドアが動いた。十分に挟まれます。しかも重さは2.7トンもあった。小型トラックです。それが動いて子どもが挟まれた。大人でも持ちません。
そんなものを、センサーが働いているから安全ですということが事故を生んでいるのです。技術者としてどう考えるかというと、センサーをつけてもいいですけれども、もしこれを安全装置というのであれば、作動しないときのことを考えなくてはいけない。
センサーで検出できるかということも大事だし、センサーが壊れたら自動的にドアが止まるように設計するのです。安全装置であるセンサーが壊れているときには、ドアが動かないように設計するのですよ。それなら分かる。

鉄道でたくさんの車両があります。たくさんブレーキがついていますが、エアホースでつないでいます。ブレーキはそれを踏んだら貨物列車など長い車両の全てが停るようにしておきたい。
そういうときはエアを流しておいてエアが流れている状態ではブレーキがかからないようにしておくのです。
ブレーキを踏むとエアが遮断されてブレーキがかかる。つまりエアが抜けるとブレーキがかかるようにシステムを作っておくのです。そうすると、万一どこかが故障してエアが漏れた時にブレーキがかかるのです。壊れたら停るのです。停る安全なのです。
これが安全設計の根本です。フェールセーフというもので、安全設計の基本です。これができていない。

原子力では格納容器があるから安全と言っています。しかし圧力があがってしまった。だからガス抜きをする。なんじゃこれは。安全とはまったく対極にあるのです。
だから私は格納容器の安全性を完全にするものを作らなけばならないと言っているのです。「そんなものは簡単に作れませんよ」ということが分かった上で申し上げています。

事故は先程も述べたように、ヒューマンファクター(人為的ミス)と、機械の故障(内部事象)と、自然状態など(外部事象)から起こります。地震とか災害は制御がすごく難しいですが、実は機械の制御もとても難しいのです。
なぜかというと、非常用の装置はそれが壊れているかどうかは動かして初めて分かるのです。非常用のディーゼル機関は、ほんちゃんのときに本当に動くかどうかわからないのですよ。事故のときに稼働してみて、初めて壊れているのが分かるというものなのです。
だから故障というものは、大部分の事故ではわからないのです。動かしてみて初めて故障していることがわかる。この故障があらかじめわかれば、安全性は飛躍的に向上しますが、しかしそのようなシステムにはなっていません。

福島第一の所長が言ったことばです。「3月11日から一週間で死ぬだろうと思ったことは数度あった。・・・最悪、格納容器が爆発して・・・コントロール不能になってくれば、これで終わりだという感じがした」というものですが、全くよく分かります。
菅直人さんと、今年になって初めてお酒を飲んで話してよく分かったのですが、こういう感覚を持っている政治家がどれだけいるか聞きました。非常に少ないのです。政治家の方で分かっている方が。
あのときに菅さんが持っていた裏情報は、最悪のときには数千万人が避難しなければならないというものでした。そのシナリオが十分にありえた。4号機のプールがボンとなってしまうことで。

私の感覚ではどれかの原子炉が爆発して、めちゃくちゃな放射能が出て、周囲に人がいけない状態になったとします。そうしたら1号機から4号機まで全部冷却できません。
そうするとあれだけの放射性物質が全部出てくるのです。チェルノブイリのような甘い事態ではありません。あれはたったの1基です。
4基分だけではない。出力は高いし、使用済み燃料棒はたくさんあるし、ものすごいですよ。だからそのときに海外からは日本は壊滅するのではないかという危機的な予想があったのです。
ところが日本の中では5月までメルトダウンを認めませんでした。びっくりしましたね。あれはほとんどジョークに近いのですけれども。3月11日から1日たった時点で、これはやばいということは原子力をやっていた人間は分かっていました。
その先、最悪になるときには、数千万人の避難ということが、ありえなくない話として出てくるのが原子力の怖さですね。

ブラウンズフェリーというプラントで火災が発生しました。燃えるケーブルを使っていた。それで日本の原発でもケーブルを不燃性のものに変えなければいけないものがある。しかしケーブルをすべて変えるのは現実的には不可能です。
ケーブルは燃えにくもので作らなければならないのですが、昔のプラントではそうではなかった。それでどうしたのかというと、ルールを作って同等であればいいとした。同等とは何かと言うと上に燃えにくい塗料を塗れば同等と判断したのです。
さすがに今の規制委員会はそれを認めませんでした。なぜかというと上から塗っていたら、それが剥がれて、そこから中に火が入ってしまうことがあります。燃えやすいから広がってしまいます。そういうことを規制委員会でもやっています。

規制の話ですが、これまでも事故が起こったときに、機器が故障して動かなくなったときのことを想定しなさいとなっていました。しかし単数の機器でした。今度の問題は、電源がなくてさらに壊れるとか、複数が壊れるとかそういうことだった。
それでこのことを評価しなさいとなっているのですが、それでも突破されて過酷事故、シビアアクシデントになったときはこうしなさいと「新たな対策」が設けられています。
例えば火災で言えば、消火設備が機能しないかもしれない。「危ないじゃないか」と言ったら、「いや、ちゃんと対策します」と言う。「どうするのですか」と聞くと、「外に消防車をいっぱい用意します」と言う。
でも消防車が来られないかもしれない。「それならみんなでバケツリレーで消化します」・・・これがシビアアクシデント対策というのです。比喩的に言っていますが、これに近いのです。

なぜならこうなる前に事故が防げるのであれば、はじめからプラントをそう設計すればいいのです。できないから、プラントの中で処理できないから、外から消防車を呼ぶとか、人が人海でやるとかいう話なのです。
火災が起こったときに、どんなに耐火性のもので作っていても、いざというときのために消防車を用意しますと言われて、みなさん、安全だと思いますか。消防車の用意は被害を軽減するためであって、大規模な火災のときは火まかせじゃないですか。
原発はそうなのです。原発が燃えさかっていたらどうしようもないのです。運がよければ少しは軽減できるだけです。原発の危機的特性はあまりに大きすぎるからこれではダメです。

溶融物を冷やすと言っているけれども、蒸気爆発はどうだとか、さまざまな対策がすべて時間内にできるかどうかあまりに疑問です。電源車についても昔から用意すると言っていたのです。今回も何十台も要請しました。しかし渋滞でこれず、ついてもつなげなかった。
今回は訓練するというのですが、そのときに大雪だったらどうするのか。あるいは台風が来ていたらどうするのか。そういう条件を無視した形で、確実に機能しないものを重ねて安全を確保したというのは間違っているというのが私の意見です。
もちろんあったほうが良いのですが、それがあるから安全とは言えないのです。

さらにもっと酷いことは、念のための対策、信頼のための対策は、すぐにやらなくてよろしいという議論をしています。これはめちゃくちゃです。
飛行機で言えば、エンジントラブルがあって落ちそうになった。対策をしなくてはいけないのだけれど、間に合わないので、パラシュートを載せたとか、エンジンを補助するものをつけたとかそういうレベルの話をしているのです。それで稼働としようとしています。
これは詭弁です。福島を経験したわれわれはそんなことをしてはいけない。

傑作なのは第二制御室です。テロ対策だと言います。ないよりあったほうがいいけれど、本体がやられたときに100メートル離れたところから冷却を行えるというのです。
しかし飛行機が突っ込むことを考えると、加圧水型では格納容器本体がやられてしまう可能性が極めて高いのです。そうすると第二制御室など関係ないです。
しかもテロは人為的に狙うわけです。本体で冷却できなくなったら、次には当然第二制御室を襲います。そうするとこれを作ることの意味がなんなのか。非常に難しいし弱点だらけです。
私の東芝の先輩が、紙芝居でやっているのですが、日本は原発を並べているので戦争はできないと言うのです。万一戦争になったら核ミサイルなんか関係ない。原発をいっぱつボンとやればいいのです。

一応、ここまでにしますが、私はけして未来は暗いとは思っていません。エネルギーは化石燃料に頼っていてもいつかはなくなります。核物質は事故がなくても大量に処理できない汚染物がでますからありえない。
そうすると頼るのは自然界にあるエネルギーをいかに取り込んで持続可能に使うかです。これは自明な論理的帰結です。ただし今までのように湯水のように使えないから生活を変える必要があります。しかし技術開発によって長期的に可能だと思います。
しかも今、若者が仕事がないと言われています。これはとてもナンセンスなことです。エネルギーが問題なら、原発ではなくて、ここに人を投入すればいいのです。

私は工学部などで講義をしていますが、若い人たちはきちんとそういう問題が提示されれば、勉強してトライします。しかも技術者というのは問題が難しいほどトライします。簡単なものはダメなのです。
再生可能性エネルギーは難しい。その難しさが技術者を育てるのです。だからそういう方向で若者は頑張ってくれという旗が見えればみんな努力します。
しかし今はその旗が見えない。原発をやるのかやらないのかという議論になっています。それがいけないのです。

******

講演録はこれで終わりです。動画では質疑応答も映っていますが割愛します。
後藤さんの提言についてのまとめとコメントは、号をあらためて掲載します!

 

 

 

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