明日に向けて

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明日に向けて(1006)ケインズ主義の崩壊と新自由主義の跋扈・・・年頭に世界を俯瞰する-2

2015年01月06日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150106 17:00)

ケインズ主義が血塗られたアメリカの戦争政策の中で進められたことを見てきましたが、そのベトナム戦争でアメリカは大きく後退を始めました。何よりも弱小ですぐにも叩き潰せるとたかをくくっていたベトナム民衆の根強い抵抗にあって戦況が膠着し、戦費がいたずらに嵩んでスペンディングポリシーを越え、アメリカの財政危機をもたらすようになりました。
また長引く戦争のもとでアメリカ兵の多くが死傷するとともに、さまざまな社会的歪みがあらわれるようになり、社会的疲弊が強まるばかりでした。ベトナム戦争の継続はアメリカに大きな重荷となっていきました。
こうした中で1971年「ドルショック」が起こります。アメリカの金保有が減少し、ドルとの交換を保証する「兌換券」であることを維持できなくなって、ドルと金との交換の停止が宣言されたのです。このことで世界は「貨幣の金との交換」という安定性を永遠に欠いた変動相場制に移行しました。

変動相場制への移行は資本主義社会にとって決定的なことでした。なぜか。貨幣の信用の大元が崩れてしまったからです。それまでドルは実物である金とリンクしていました。いざとなればドルを金と交換できることがドルの大きな信用を担保していました。
各国通貨もこのドルとリンクすることで二次的に信用を獲得していました。そのためどの国もいざというときのためにドルを溜めこんでいました。
「ドルショック」によってこの信用の根拠が資本主義世界経済の中から消滅してしまいました。このことはアメリカの豊富なドルを背景としたスペンディング・ポリシーがもはや不可能になったことを意味していました。これ以降、資本主義はいつ世界的な通貨危機が発生するかもわからない根底的な不安定性を宿すことになってしまいました。

これに1973年「オイルショック」が追撃を与えました。それまで安価な価格で原油供給に応じてきたアラブの産油国(OPEC)が第四次中東戦争(イスラエル対アラブの戦争)の勃発の中で原油価格の大幅な引き上げを主張したのでした。
世界の絶対的軍事大国と思われたアメリカが、小国のベトナムに打ち勝てないありさまが第三世界各国を勇気づけることとなり、アメリカの軍事的経済的世界的支配への抵抗が広がる中で起こった事件でした。
この二度にわたる経済的ショックによって資本主義各国は一気に経済停滞に陥っていきます。それまでの経験では物価が上昇すると同時に景気も拡大するとされてきたものの、この時期には物価が上昇するのに経済が停滞するスタグフレーションという現象が発生し、資本主義各国を苦しめました。

しかも疲弊を深めるアメリカはベトナムからの完全撤退に追い込まれ、1975年にベトナム戦争が終結し、アメリカの国際的影響力は下がるばかりでした。
一方で第二次世界大戦まで植民地とされ、独立後も資本主義巨大国の政治的経済的支配の中に置かれてきた多くの国々で解放運動が大きく前進し、1979年にはイランとニカラグアで相次いで革命が起こりました。
イランで倒されたパーレビ王政は「アメリカの中東の憲兵」と言われていた政体でした。一方、ニカラグアを含む中南米は「アメリカの裏庭」と称されてきた地域であり、そこでの革命がエルサルバドルなどへも波及しつつありました。

こうした中でアメリカを中心とした資本主義各国の中で「経済の停滞や資本主義圏の政治権益の後退の理由はケインズ主義にある」とする主張が流行りだします。とくに経済停滞の理由として挙げられたのが、社会の安定化のためのさまざまな社会保障政策でした。
かくして資本主義各国は1970年代の中葉からケインズ主義政策からの離脱を始めますが、その代わりに浮上してきたのがアメリカのミルトン・フリードマンによって唱えられてきた新自由主義=市場原理主義でした。
フリードマンが唱えたのは極めて単純な放任主義でした。「政府が経済過程に介入するからいけない、社会保障制度などで弱者救済をするからいけない、すべてを市場に任せよ」というもので、そもそものケインズ主義が出てきた社会的背景など無視し、昔に帰ろうというものでしかありませんでした。

その理論はあまりに粗野であり、それゆえ1960年代には見向きもされなかったのですが、この時期、アメリカとイギリスがこの主張を取り入れて行くようになります。なぜか。ケインズ主義政策が破産して他に代替するものがなかったからでした。
繰り返しますが「新自由主義」は何ら新しいイデオロギーではありませんでした。経済を市場の自由に任せればすべてうまくいくと述べただけであり、競争を礼賛するだけのものでした。
それはある意味で、社会主義の台頭に対して、革命を防ぐために資本主義が対抗的に備えてきた社会の安定化装置を壊してしまうことでもあり、その点で歴史の過去の例からすれば、社会主義革命勃発の可能性をも広げうるものとしてもありました。

にもかかわらず1980年代、1990年代と新自由主義はますます勢力を拡大し、猛威を振るうようになっていき、弱肉強食の姿を一層強めて今日まで継承されてきています。
なぜでしょうか。なぜ社会主義への対抗措置でもあったケインズ主義を捨て去った資本主義各国において社会主義は伸長しなかったのでしょうか。
ここには歴史の大きな皮肉がありました。なぜならこのケインズ主義が崩壊していく時期に、アメリカと戦略的に対峙し、対抗していた旧ソ連邦を盟主とする社会主義各国の内部でも経済停滞が起こり、社会の行き詰まりが作りだされてしまっていたからでした。

1980年代に社会主義各国はますます疲弊を深め、同年代末から90年代初頭にかけて次々と倒れていきました。かくして資本主義への転換が図られていきましたが、それはかって社会主義国が対抗したケインズ主義的資本主義ではなく、粗野な市場原理主義の資本主義でした。
旧ソ連を中心とする東欧社会主義とは別の方向性を目指したはずの中国も、1960年代の文化大革命の大混乱の中から次第に資本主義への門戸開放=「改革・開放経済」に舵を切っていきましたが、まさに新自由主義の跳梁の時代、1980年代にその論理を導入して「赤い資本主義」にすっかり変貌してしまいました。
こうした歴史的背景のもとに、社会主義を大きな拠り所としていた資本主義各国の社会運動や労働運動がのきなみ後退していきました。かくしてケインズ主義のもとで獲得されたいたさまざまな市民的労働者的権利が削減され、ますます市場原理主義が猛威を振るっていくこととなりました。

例えば1929年恐慌の経験から、強く戒められてきた投資ならぬ投機が次々と再度、合法化されるようになりました。投資とは何かの事業にお金を投じ、事業の成功のもとで利潤の分配を得るものですが、投機は株価の上下だけで儲けていくことを目指すもので、両者の間には大きな差があります。
投機は社会全体を不安定にするために1929年恐慌以降、さまざまに歯止めがかけられてきたのですが、それがどんどん取り払われてきたのがここ30数年の流れでした。このようにして社会の安定化は日に日に奪われて、そのもとで貧富の格差がますます極端に広がってきました。
これらの結果、真っ先に疲弊を深めていったのは第三世界諸国でした。それまでのアメリカを中心とした、旧ソ連と競う形で行われてきたケインズ主義的援助政策が打ち切られ、かわって資本主義各国への借入金を返すために社会構造を変えよという「構造調整プログラム」が押し付けられ、外側から強引に新自由主義への転換が図られたためでした。世界はますます混迷を深めていきました。

続く

 

 


 

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