明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1054)東日本大震災と福島原発事故から4年、私たちは何をしなければいけないのか(上)

2015年03月13日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150313 11:00)

みなさま。一昨日は東日本大震災と福島原発事故から4年の日でした。
この災害で亡くなられたすべてのみなさま、ご遺族のみなさまに哀悼の意を表したいと思います。
また被災されたみなさま、今なお避難生活の中におられるみなさまにも心からのお見舞いを申し上げます。

事故から4年が経った今、私たちは何をしなければならないのでしょうか。
一つは沿岸部の広く長い地域で大津波の被害からの立ち直りを進めることです。
二つは福島第一原発事故による放射能漏れに対して放射線防護活動を強化することです。
三つに福島第一原発事故の真の収束を進め、並行して原発災害対策を進めることです。
四つに原発再稼働を許さず、原発ゼロの道をめざすことです。
五つにこれらすべてと連動しつつ、憲法9条と平和を守ることです。

大津波の被害に対してこれまで政府は非常に貧しい対応しかしてきていません。
例えば岩手県の大槌町を見た場合、やっと新たに整備された土地のどこに誰が住むのかの割り振りができたところですが、そこに家を建てるのにあと3年も待たねばなりません。大震災後、7年も経たなければ自宅を持てないのです。
他の地域も多かれ少なかれ似た状況だと思います。被害が甚大で、盛り土を含み、大変な作業が必要なのは分かりますが、それでも生産力が世界のトップクラスにある国で、なぜ7年間も待たねばならないのでしょうか。

これまで再三再四、報道されてきたように、「復興予算」のかなりの額が無関係なことに流用されてしまっている一方で、肝心なところには回らずに相当な額が執行されていない状態が続いています。
この実態の一部を朝日新聞が次のように報じています。

 「東日本大震災の復興予算として国が2011~13年度に計上した総額約25兆円を会計検査院が調べたところ、13年度末現在で、少なくとも9兆円が使われていなかった。
  年度をまたぐ事業のためにつくった基金全体では、6割が使われていないことが判明。福島、宮城、岩手3県が主体の事業を初めて現地調査すると、被災地のニーズに事業が合っていない実態も浮かんだ。」

 復興予算、9兆円使われず 事業遅れ・需要とズレ 11~13年度、検査院調査
 朝日新聞2015年3月3日05時00分
 http://www.asahi.com/articles/DA3S11629496.html

「福島、宮城、岩手3県が主体の事業を初めて現地調査すると、被災地のニーズに事業が合っていない実態も浮かんだ」と書かれてあるところに、この国がいかに被災者に冷たい国であるかが分かります。
しかも東北の多くの地域の立ち直りが滞っている状態で、東京オリンピック招致を決めたことにより、大手ゼネコンがオリンピック関連施設の建設のために被災地から引き揚げていることなどもさらに滞りを助長してしまっています。
こうしたひどいあり方の象徴として東京の国立競技場の解体作業が始められてしまいました。施設としてはまだまだ使えるものを取り壊し、神宮外苑の一部も壊して巨大な施設を作ろうとしていますが、どうして被災者の住宅建設を優先しないのでしょうか。

津波被害とそこからの回復の遅れの実態、とくに三陸海岸にこの国が冷たい仕打ちを続けていることが、いわば福島第一原発事故の背後に隠れてしまって、クローズアップされていません。
僕自身、十分に論じられておらず、またこのところ三陸海岸に行くことができておらずにとても申し訳なく思いますが、ともあれ大震災から4年経った今、私たちは再度、津波被害からの回復に政府がまともに取り組むように要求しなければなりません。
東京オリンピックにしろ、自衛隊の海外派遣にしろ、安倍政権は現に国民・住民が苦しんでいることをまったく無視して推し進めようとしています。そのために多くの被災者が苦しみ続けています。この流れを断つために努力を続けましょう。


放射線防護活動はこれからますます重要になります。これまで政府や政府寄りの「科学者」たちが繰り返してきたのはチェルノブイリ原発事故による健康被害が「事故後4年経って現れてくる」という言説でした。
そんなことはまったくなくて、事故直後からさまざまな被害が起こりながら、旧ソ連政府が隠していたに過ぎません。また検査機器の精度が今よりも格段に低かったことの影響などもありました。
実際、僕のもとにはこれまででも本当にたくさんの健康被害情報が入ってきています。子どもの甲状腺がん、白血病、白内障など、ICRP(国際放射線防護委員会)などが認めている病以外のたくさんの情報があります。

この間、何度も触れていますが、2011年4月に発表された『ウクライナ政府報告書』では、国際機関が認めていないたくさんの病気が240万人もの被災者の追跡調査のもとに確認されたことが示されています。
詳しくはぜひ『低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害』(馬場朝子、山内太郎著 NHK出版)を読まれて欲しいのですが、心筋梗塞や脳血管障害など、死に至る深刻な病の報告もたくさんあります。
汚染地で生まれた第2世代のこどもたちはなんと8割が病にかかっていて、学校の授業を低学年は10分、高学年は5分短縮し、学年末テストの多くを廃止したりしているほどです。

このような、広島・長崎の被爆者よりも圧倒的多数の人々の調査による報告書があるにも関わらず、日本政府は国際原子力村であるICRP(国際放射線防護委員会)、UNSCER(国連科学委員会)などともにこれを握りつぶしています。
そして福島原発からごく近い地域を強制避難とした以外、膨大な地域の被曝をなすがままに放置しています。しかも健康被害はないと繰り返し断言しているため、人々の自主的な防護策が解体されてしまっています。
胸が痛くなるばかりですが、このような状態であるため、避けられる被曝が避けられずに繰り返されており、当然にも健康被害は今後、爆発的に表れてくると思われます。

被曝と健康被害の拡大をなんとか少しでも食い止めたい。そのために私たちはできることはなんでもかんでもやっていく必要があります。とくに私たちの国にごくわずかしか認められていない避難の権利を拡充し、避難者を支援していくことが重要です。
被曝からの避難は、当人たちの命を守るだけでなく私たちの未来総体を守ることです。だから避難者に感謝しつつ、苦楽をシェアしあい、当然の賠償や補償を国や東電から引き出していくことが大切です。
この点でも私たちの国は東京オリンピックなど絶対にやるべきではない。その予算をすべて被災地と避難者にまわすべきです。健康被害に備えるべきです。そもそも東京とてまだまだ危険地帯です。このことを繰り返し訴えていきましょう。

続く

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明日に向けて(1053)今こそ東京大空襲を問う-アメリカは戦争犯罪を謝罪すべきだ(下)

2015年03月11日 12時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150311 12:30)

東京大空襲の問い直しの続きです。
なお東日本大震災からまる4年を経過した3月11日を迎えた感慨については稿をあらためて論じさせていただきます・・・。

空襲指揮官を賞賛した戦後ニッポン

東京大空襲という全くもって非人道的な都市空襲を考案し、指揮したのはアメリカ空軍のカーチス・ルメイ少将でした。戦闘機パイロットから爆撃機に移り、やがて爆撃部隊の指揮官となった人物でした。
第二次世界大戦へのアメリカの参戦とともにイギリスに渡り、ドイツへの戦略空襲を指揮。多数のB17を使ったハンブルグ空襲で6万人とも10万人ともいわれる死者を出した爆撃を実行しました。
対日戦参戦以降は、日本の諸都市空襲の指揮をとり、広島、長崎への原爆投下にも関与しました。

ルメイは日本の防空体制の研究から、超低空での本土進入を考案し、アメリカ空軍が行っていた軍事基地や工場などを対象とした高高度からの「精密爆撃」方法を一新して、住宅地への無差別徹底攻撃を編み出し、実行に移したのでした。
自伝の中で彼は本土空襲を次のように肯定しています。「私は、日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の家屋は、すべてこれ軍需工場だった。
スズキ家がボルトを作れば、隣のコンドウ家はナットをつくり、向かいのタナカ家はワッシャをつくっていたという具合に。・・・これをやっつけてなにが悪いことがあろう。」

彼は爆弾投下を指揮した地域には、民間人はいなかったと豪語したのでした。日本の諸都市には民間人は皆無だった、だから爆撃したのだ。何が悪いんだと。
その後もルメイは米空軍に居残り続け、朝鮮戦争を経て61年には参謀総長に就任し、キューバ危機に際してはケネディ大統領にキューバ空襲を強く進言しました。
アメリカ軍はソ連がまだキューバに核ミサイルを搬入していない、先に叩けば反撃も受けないと判断していたのですが、実際にはすでに多数の核ミサイルが設置済みであり、ルメイの進言をケネディが採用すれば核戦争になった可能性がありました。

その後、ルメイはベトナム戦争に参戦。B29を「黒い殺人機」と呼ばれたB52にかえて北爆を指揮しました。
この時彼は「ベトナムを石器時代に引き戻してやる」という言葉を残しています。ジェノサイドといわれたベトナムへの猛爆は、日本本土大空襲の経験の蓄積のもと、同じ司令官によって行なわれたのでした。
ルメイは1965年、北爆の最中に引退しましたが、式典ではなぜかアメリカ軍の軍楽隊が「君が代」を演奏しています。

そのルメイに対して、なんと日本政府(佐藤首相)は、1964年7月に「勲一等旭日大綬章」を授けています。「日本国天皇裕仁」の名の下にです。理由は「航空自衛隊の育成に功労があった」からだそうです。
何十万の国民を無差別に殺戮した残虐きわまる戦闘を指揮したルメイに、何の批判も行なわないばかりか、感謝の大勲章を与えたのが私たちの国なのです。「自虐的」という言葉は、使うことがあるとすれば、こういう卑屈な態度に対してなのではないでしょうか。
実はこの時、昭和天皇は勲章授与を一度は拒否したそうです。戦中に日本が「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と呼んだ相手だっだからです。嫌がる昭和天皇を説得したのが自民党の小泉純也防衛庁長官でした。後の小泉純一郎首相の父親です。

NHKが70年代に作成した番組、「東京大空襲」にカーチス・ルメイが登場しています。NHKの取材に対し、退役してプール付の豪邸に住まう彼は「戦争のことはもう忘れたい」といい、インタビューも映像もNOだと轟然と言い放ちました。
そのかわり勲章なら撮影してもよいと指差した勲章陳列棚の真ん中に、日本から授与された勲章が光を放っておかれていました。ルメイは民間人の大量虐殺をついにただの一度も反省せぬまま、数々の勲章を自慢に余生を送ったのでした。
僕にはこのように虐殺者を賞賛した日本の姿勢が、アメリカのその後の中東での横暴な振る舞いに繋がっていると思えてなりません。

 なおこの映像がネットにアップされていたのでご紹介しておきます。番組の一部です。
 https://www.youtube.com/watch?v=ThvwC3XkgCo

アメリカに法的裁きを

この東京大空襲を記録し広くその惨劇を世の中に訴える目的で2002年3月9日に東京都江東区に「東京大空襲戦災資料センター」がオープンしました。4000人から1億円の寄付金を集めて建てられた同センターに早乙女氏が館長として就任しました。
僕もその年の夏に訪れました。資料センターは3階建て。当時は1階に研究所と資料室、2階にミーティングルームとおのざわさんいちさんの空襲の絵、3階に大きなB29の模型とさまざまな展示品がありました。
おのざわさんの絵からは、すべてが焼き尽くされたがゆえに映像の残っていない空襲の様子を垣間見ることが出来ました。

印象的だったのは3階に展示されていたM69ナパーム焼夷弾の残骸でした。さび付いたおよそ高さ50センチ幅10センチぐらいの六角の筒でした。これが1機あたり5000発もあの人懐っこい江戸っ子たちの頭上にばら撒かれたのだと思うと胸がつまりました。
同時に資料センターには、空襲に対する聞き取り調査や、アメリカの図書館の公文書の分析から得られた資料など、実にたくさんのものが蓄積されていることを知りました。
政府がサボタージュした空襲の被害調査が、東京のみならず、各地の空襲を記録する会等々の人々によって行われてきたのでした。これをなんとかしてアメリカやひろく世界に知らしめたいと思いました。

東京大空襲や諸都市の空襲に対して、まだまだ知られていない事実もあることでしょう。犠牲者の名もすべてが明らかになったわけではなく、各地で聞き取りなどの調査も継続中のようです。
こうした資料を積み重ね、戦争を後世に語り継ぐことは大事ですが、より大事なのは今からでも70年前のアメリカの戦争犯罪を世界に向かって告発していくことだと僕は思っています。
真っ当な告発がなかったために、アメリカの中に今も無差別大量虐殺肯定の思想が強烈に残っているからです。これを正すことが戦争を食い止める道です。同時に多くのアメリカ人をも殺人の大罪から救うことにもなります。

アメリカで、2001年に911事件が起こった際、キッシンジャー元国務長官は「これはパールハーバーだ。あのときパールハーバーを襲った国民と同じ思いを敵に味あわせてやる」と発言しました。
「パールハーバーを襲った国民と同じ思い」、すなわち広島、長崎原爆であり、東京大空襲など諸都市の空襲であり、沖縄上陸戦です。
アメリカは今なおこれらを正義と考え、アフガニスタンでもイラクでも空襲を繰り返し、秩序をめちゃくちゃにした上で、今また同じことを繰り返しています。

この非道の限りを尽くすアメリカの「正義」に待ったをかけ、同時にこのアメリカが行っている戦争に自衛隊を積極的に参戦させようとしている安倍政権の戦争政策を止めるためにも、日本本土空襲におけるアメリカ軍の戦争犯罪を告発することがとても重要です。
先にも述べましたが、このことは多くのアメリカ人をも救うことにつながります。アメリカの戦争犯罪が正されてこそ、新たなる殺りくに参加させられる人々をも減らし、やがては皆無にしていく道が開かれるからです。
私たちはアメリカのためにもアメリカが今日まで繰り返してきた戦争犯罪を告発し、止めさせていく必要があるのです。東京大空襲から70年を迎えた今、不戦の心、すべての戦争を無くす決意を新たにしたいと思います。

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明日に向けて(1052)今こそ東京大空襲を問う-アメリカは戦争犯罪を謝罪すべきだ(上)

2015年03月10日 20時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150310 20:00)

今日、3月10日は東京大空襲から70年の日です。この日未明、アメリカは東京に住まう人々を空から襲い、10万人以上を焼き尽くしました。今こそ東京大空襲を問い直し、アメリカに戦争犯罪への謝罪を求めたいと思います。

この間、放射線防護活動ばかりでなく、中東の問題や集団的自衛権に関する講演を依頼されることが増えてきました。僕が強調しているのは、大量破壊兵器などなかったのに一方的に攻め込んだイラク戦争の犯罪性を捉え返すことです。
さらに私たちはイラク戦争だけでなく、これまでアメリカが繰り返してきたさまざま戦争犯罪に目を向ける必要があります。
なぜそう思うかと言えば、アメリカが横暴を繰り返す理由のひとつに、わたしたち日本人が、広島・長崎原爆や、沖縄戦、東京・名古屋・大阪をはじめとした都市空襲での民間人の大量殺戮へのまっとうな批判を怠ってきたことがあると思うからです。

中国や朝鮮をはじめとするアジアの人々と対話するとき、わたしたちはかつての侵略戦争のことを思わないわけにはいきません。それを無視しては友好も成り立たないし、むしろ捉え返しの中でこそ友情を深めることができます。
おなじことがアメリカ人との間にもあっていいし、もっとそんな機会を作らなくてはならないと思います。私たちはアメリカの人々に対して「あなたたちは過去の民間人大量殺戮をどう考えますか」と問わなければいけないのです。
過去の戦争を捉え返すことは何よりもその国の人々のためになります。アメリカ人もまた酷い殺人に何度も加担させられる苦しみを背負ってきているのだからです。ベトナム戦争でもイラク戦争でも戦死者を退役後の自殺者が上回っています。

この点を強調するのは、私の亡き母が東京・深川の出身で、大空襲の中を逃げ惑い、機銃掃射などにさらされながら辛くも生き延びた経験を持っているからでもあります。
母方の実家は生粋の江戸っ子の家で、親戚の皆が、映画『男はつらいよ』の登場人物のようなしゃべりかたをするのですが、その人懐っこい東京庶民の頭上に、アメリカは容赦なく大量の爆弾を降り注いだのでした。
陸軍中尉だった亡き父も、香川県善通寺に本体のいた陸軍船舶隊で原爆の報を聞きました。部隊は救援のために呉まで行き、偵察隊が広島市内に入って二次被曝で亡くなりました。父は入市はしませんでしたが放射能は呉まで届いていました。

若き娘だった母はいうまでもなく民間人でした。父は軍人でしたがすでに日本軍は抵抗力のほとんどを奪われていました。その無抵抗の人々を無差別かつ組織的に大量殺戮したのがアメリカの都市空襲であり、原爆投下だったのです。
アメリカは沖縄では地上戦をしかけました。軍人と民間人を区別なく攻撃し、島民の四分の一を死に至らしめました。にもかかわらずアメリカは民間人大量殺戮の繰り返しをただの一度も反省も謝罪もしていません。日本政府も一度も批判をしていません。
私の命は東京大空襲と広島原爆の狭間から生み出されたものです。だから私には平和を守り創造していく責務があると思っています。この観点から、70年目のこの日に、東京大空襲を問い直してみたいと思います。

310大空襲の実態

そもそも米軍による東京への空襲は合計で106回も行われたのですが、最大のものが3月10日未明に行なわれたいわゆる3・10大空襲でした。
空襲の実態は、自らも被災した早乙女勝元さんの『東京大空襲』(岩波新書)や『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)にその断片が記録されています。
日本政府は、戦後、東京空襲をはじめ都市被害の実態把握を推し進めようとはしませんでした。そのため公式記録があまりに少ないのですが、自ら空襲をうけた早乙女さんは執念をもって聞き取り調査を行い、これらの書物を執筆しました。

3・10空襲の概要は以下の如しです。10日未明零時過ぎに東京上空に約300機のB29が飛来しました。従来の高高度からの爆撃ではなくまず数機が超低空で侵入。深川区(現在の江東区)、本所区(現在の墨田区)を皮切りに爆弾を投下しはじめました。
使われたのは、M47ガソリン焼夷弾とM69高性能ナパーム性油脂焼夷弾。のちにベトナムなどで繰り返し使われた悪名高い爆弾でした。
米軍はまずM47ガソリン焼夷弾の投下によって、目標地点に予備火災を起こしました。当日は非常に激しい北西風が東京に吹き付けていましたが、米軍はこのことを事前に察知してこの日を選んで攻撃をしかけたのでした。

米軍は激しく燃える初弾の投下地点に集結した消防車を直接に攻撃し防火体制を一蹴しました。それから東京の下町一帯に焼夷弾で火の壁を作りはじめました。群集を逃がさないためにでした。下町一帯は、たちまち灼熱地獄と化しました。
その後、後続のB29が1機あたり6トンも積載されたM67ナパーム焼夷弾の爆撃を開始。編隊は、巨大な火の壁に閉じ込められて逃げ惑う群集の上に、繰り返し超低空で襲いかかっては、雨あられと焼夷弾をばら撒いたのでした。
このM69はアフガニスタン空襲で使われたクラスター爆弾(収束爆弾)と同じ構造のクラスター焼夷弾でもありました。「モロトフのパンかご」と命名され、空中で48ないし72個の小型焼夷筒にわかれ、それぞれが落下して猛火を発生させました。

早乙女さんは、自分の直前を避難していた男性が、爆発音に上空を仰ぎ見た間際に、のど元に焼夷筒が突き刺さるのを見たといいます。
米軍はそれだけでなく、ガソリンのような液体も直接に空から撒いたと多くの避難民が証言しています。銃座からの機銃掃射も行いました。総計で2000トンの焼夷弾を落とし、わずか二時間半あまりの攻撃で10万人以上を焼き尽くしたのでした。
猛火に耐え切れず、人々は水を求めて川に殺到しましたが、その川の上をも火炎が巨大な火の玉となって覆いつくし、隅田川や江戸川は累々たる死骸で埋まりました。

私のは母はこのとき、烈火が大きな火の玉をつくり、機関車のように町の中を横に駆け抜けたことを見ています。そんなものを目にした彼女が生き延びたのは奇跡としかいいようがありません。
避難中に家族と離れ離れになった祖父は、翌朝、川に浮かんだ死骸をひっくり返しながら、離散した家族を探したそうです。結局、家族は無事だったので見たのは他人の遺体ばかりでしたがホッとすると同時にハッとしてナンマンダブと唱え続けたそうです。
この日の火災は、人類史上、記録に残るもっとも甚大な都市火災でもありました。死者の数は、一晩では広島、長崎における原爆投下で亡くなった方の数をも上回っていました。

続く

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明日に向けて(1051)原発ゼロの実現に向けて問われていること

2015年03月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150309 23:30)

6日から8日にかけて各地で講演を行い、デモにも参加してきました。
とくに7日には舞鶴で原発ゼロ京都北部集会に参加し、一時間ほど講演させていただきました。

いつも僕を迎えて下さる舞鶴の田中ユージさんが、録画してFacebookページにアップしてくださったのでご紹介します。
ピンマイクもつけての録画・録音だったので音声がとてもクリアに入っています。
ユージさんの紹介文(ちょっと恥ずかしい)とともにご案内します。

*****

 昨日、京都府舞鶴市であったジャーナリスト守田敏也さんのお話です。
 いやー、ほんとにね無気力とかしょげたりとかしなくていいんやん♪
 て思わせてくれる守田さんに感謝です。
 すっごく具体的で経験に基づいたお話なので聞き応えあります!

 今までお聞きしてきた「原発」についてのアレコレがギュッと詰まった内容でした。
 1時間くらいなので、ぜひ観てほしいなあ。シェアとかもして欲しいな。
 どんな話かって?

 1.高浜原発再稼働の問題点
 2.被曝で広がる健康被害
 3.生きつづけられる故郷を
 4.原発ゼロの実現に向けて

 前日、夜中三時まで晩酌してたとは思えないほどテンションの高い守田さんに敬礼。

 「原発」のことがほとんどわかるわかりやすいお話。by守田敏也さん2015.03.07
 いきつづけられる故郷を
 http://youtu.be/_t7ZXCN3i2g

 *****

音声がクリアで聴きやすいのでぜひご覧下さい。ちょうど1時間です。
ちなみに前日、6日の夜は西方寺ふれあい会館に田中ユージさんたちが声掛けして下さった方たちが集まってくださり、トークと座談会が行われました。
その後、添田潤さん光子さん宅に泊めていただき、さらに話し込んでしまいました・・・。温かく迎えてくださった舞鶴のみなさん。ありがとうございました!

お話の内容はユージさんが触れて下さっているように4点です。

1番目では福島原発の現状を踏まえた上で、原子力規制庁が3月3日より高浜ケーブルテレビで流しているビデオの批判をしました。
新基準を説明したものですが、規制庁はこの中ではっきりと重大事故が起こりうることを前提に対策を考えたと言っています。
「重大事故を越えて、原発が重大な損壊を受けることも感がている」とも明確に語っています。原発が安全ではないことをはっきりと認めているのです。

川内原発の審査でも原子力規制庁は、「川内原発は新基準の審査をクリアしたがだからといって安全だというわけではない」と明言しました。
ところが政府は「規制庁が安全を確認した原発から動かす」と言っています。両者の発言の食い違いに「責任のなすりつけ合いだ」という批判が生じました。
そうも言えるのですが、しかしよく規制庁の発言を聴いてみると、規制庁は「重大事故は起こらないという従来の見解を転換した」と繰り返しています。

つまり重大事故を起こさないための対策を施すが、それでも起こることはありうると言っているのです。
その場合に対処する対策を施すことにしたのがそもそもの新規制基準の中身なのです。私たちはもっとこの点をハイライトさせなくてはいけません。
問題は新たな稼働は、重大事故、いやそれも越える「原発が重大な損壊を受ける事態」すら想定してまでの稼働なのだということです。もちろんそんなもの許せるわけがありません。

2番目の話では、広島、長崎への原爆投下以来、アメリカの核戦略の元で被曝が過小評価され、とくに内部被曝が隠されてきたことを語りました。
重要なポイントは、加害者であるアメリカが被害者である被爆者を調査し、被害を極端に過小評価したデータが、現在まで続く放射線学の基礎データとされてきたことです。
とくに重要なのは内部被曝による被害がまったく無視されてきたことです。原爆投下後の広島、長崎市内に家族や知人を探して入って被曝してしまった「入市被曝」が無視されてきたのです。

このために内部被曝による被害の大半が無視されてきたのですが、同じことが今も起こっています。
福島原発事故以降、東北・関東を中心に、さまざまな病気が福島原発事故以前よりも急速に増え続けています。
その中には心筋梗塞など、これまで国際機関が放射線による被害を認めてこなかった病もたくさんあります。

しかし被曝により心筋梗塞をはじめたくさんの病が起こっていることは、すでにウクライナ政府による240万人にも及ぶ広域の疫学的調査でもはっきりとデータ化されているのです。
ウクライナでは汚染地の第二世代の子どもたちがなんと8割も病にかかっている。このため学校では授業を低学年で10分、高学年で5分、短縮し、学年末テストの多くも止めてしまっている。
子どもたちが倒れてしまうからです。こうした被害が出ているのに国際機関は被害を一切無視している。国際原子力村=核武装勢力が、低線量放射線被曝の影響を隠したがっているのです。

3番目の話では、高浜原発直近の舞鶴市はまさに当事者であることを示しました。舞鶴市は高浜原発から半径30キロ以内にすっぽり収まってしまいます。市役所からの距離は12キロちょっとしかない。
しかし高浜原発から90キロも離れた福井市に県庁を持つ福井県と高浜町だけが「当事者」とされています。こんなことはまったくおかしい。直近の舞鶴市も、60キロに市役所がある京都市もまさに当事者です。
もっとたくさんの市町村の人々が当事者としての発言権をもって当たり前なのです。

このことを踏まえるとともに、高浜原発を見下ろすことのできる青葉山から撮った高浜・内浦湾の写真をお見せし、高浜原発が日本の中で他にない内海に放水している原発であることをお話しました。
そもそも福井県には南北問題があります。県庁がありより豊かな嶺北に対して、原発の矛盾がより貧しい嶺南に押し付けられているのです。そしてその嶺南の中でもとくに高浜の内浦に矛盾が押し付けられている。
原発からは海水温より7度も高い温排水が大量に出るので、排水口は外海に向けられるのが原則です。しかし高浜原発だけは内浦湾に放水しているのです。

この内浦を僕はかつて地元の方に案内していただきました。今でも美しいところなのですが、温排水で沿岸部の生態系が悪化していました。
「このあたりは昔は本当に美しかったのですよ」という話を聞いてとても悲しくなりました。こんなことは許しておくことができません。
同時にこの内浦の一部は事故があった時にまず原発に近づいてからでないと避難ができない。避難のための道も限られており避難は困難です。だから高浜の人々のために再稼働を止める必要があります。

4番目の話では原発ゼロに向けて私たち民衆の力にもっと自信を持とうと提案しました。
原発は3月7日時点で539日間動いていません。私たち民衆の力が止めているのです。さらにそもそも大飯原発をのぞけばほぼ3年以上どこの原発も止まっています。
一番長く止まっているのは柏崎刈羽原発で8年近く動いていません。実はこの原発は世界最大の出力を誇る原発です。

あれだけの絶対多数の議席を誇る安倍政権が再稼働を強行できない。
なぜかを示すために昨年末の総選挙の分析を行いました。ここから見えてくるのは実は安倍自民党が獲得できている有権者の支持は約18%、六分の一ぐらいしかないということです。
安倍政権は小選挙区制度の歪みでのみ多数派を作り出せていること、実際にはそれほどの支持がないことを実は良く知っている。だからこれまで再稼働ができてこなかったのです。

そのためにウラン価格が暴落するなど世界の原子力村が疲弊が続いています。私たちはもう本当に長い間、原発の稼働を阻み、国際原子力村にダメージを与えているのです。このことにもっと自信をもつべきです。
これに対して国際原子力村が日本政府に対して安倍首相に対して原発を動かせと言う強い圧力をかけているのでしょうが、私たちは私たちの力の強さを知り、原発ゼロに向かう必要がある。
そのために東日本の痛みをシェアし、東日本を助けながら、しかし痛みを背負った東日本の人々の声と動きこそが原発を止めている原動力であること、西日本が先に助けられていることを自覚して、原発ゼロに向けて歩もうと提案しました。

みなさん。熱心に聞いてくださいました。話していて心地よかったです。
講演後、小雨降る中を2コースに分かれて舞鶴市内をデモ。僕も前の方を歩かせていただきました。駆けつけてこられた高浜の方とご一緒し、いろんなことを語り合いながらデモをしました。雨の中でも心が熱くなるデモでした。

このように6、7日と舞鶴の方たちと素晴らしい時間を過ごさせていただきました。僕自身、高浜原発再稼働を止めるためになお一層、奮闘を続けます!みなさん。さらに頑張りましょう!

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明日に向けて(1050)「テロ」と原発と食のつながりを考えよう!(6日舞鶴、8日東近江)

2015年03月04日 12時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150304 12:00)

今週末に脱原発企画がひしめいています。
僕は6日午後に京都府綾部市の竹松うどん店さん、夕方に舞鶴市の西方寺ふれあい会館でお話し、7日に同じ舞鶴市で原発ゼロ京都北部集会に参加しますが、さらに8日に滋賀県東近江市でもお話します。
東近江市での集いは「でこ姉妹舎」さんが声掛けして下さいました。午前10時から東近江市の「たむたむ畑(ゆるママ)」で行います。詳しくは「でこ姉妹舎」さんにお尋ねください。(僕もたむたむ畑がどういう場か知りません。ワクワクしています)

でこ姉妹舎さんのFacebookページと、イベントページをご紹介しておきます。イベント詳細案内は末尾に貼り付けます。
 https://www.facebook.com/dekosimaisha
 https://www.facebook.com/events/401425040026014

さて今回のタイトルに掲げた「「テロ」と原発と食」については6日夕方の舞鶴市西方寺ふれあい会館でのお話会のお題ですが、8日の東近江市の企画でも、でこ姉妹舎さんからも中東問題と被曝問題のつながりを語って欲しいと頼まれました。
僕もまさにこの点を聞いていただきたい。そのためどんなお話をしようと思うか、あらかじめ概略を述べてみたいと思います。

「テロ」について。これは僕がお願いしてあえてテロではなく「テロ」と書かせていただいたものです。なぜって「テロ」という言葉、定義があいまいなままに、とにかく「卑劣な暴力行為」をひとくくりにする形で使われているからです。
しかし僕は中東の問題について「テロ」という言葉を使うなら、イラクの側に何の落ち度もなかったのに「大量破壊兵器を隠している」という理由で全面侵攻したイラク戦争こそが最大のテロだったと思います。イラク戦争は明確な戦争犯罪です。

パレスチナにもイスラエルによる「国家テロ」が、繰り返しかけられてきました。ガザへの軍事攻撃はその最たるものですが、今も続く経済封鎖も卑劣なテロ行為です。しかしこれらは「テロ」とは言われない。あまりに理不尽です。
IS(イスラミック・ステート)は、こうしたアメリカやイギリスが行ったイラク戦争や、パレスチナへの繰り返される暴力の中で作られたモンスターだとしかいいようがないと思います。

私たちにとって最も大事なことは、歴史的にこの米英を中心とするヨーロッパの中東への暴力のつらなりに、これまで常に距離をとってきたのが日本だったということです。
中東の人々にとって欧米はかつて自分たちを植民地支配していた人々であることに対して、日本は欧米の盟主のアメリカに原爆を投下されるなど、国内をめちゃくちゃにされながら、平和産業で復興してきた国というイメージを持たれてきました。

だから石油の安定確保もできたし、何より、争いを仲裁できる位置性も日本は持ってきました。それが戦後70年に私たちの国が築き上げてきた財産でした。
ところが好戦的な安倍首相が、これをすべて投げ棄ててしまおうとしています。その象徴として中東訪問であたかもISとの戦争を支援するかのような言動を発し、ISの態度を硬化させ、二人のみせしめ殺害という結果を招いてしまったのです。

今、私たちがなすべきことは、暴力の連鎖を断ち切るために努力することです。そのために私たちは、ISの残忍さだけでなく近代国家全体の残忍さを問題にすべきです。その中には南京大虐殺や軍隊「慰安婦」制度など日本の行った残忍さもあります。
さらに私たちは、被爆国として、アメリカが行った原爆投下の非人道性を、今こそさらに深める形で告発していく必要があります。その暴力が、イラク戦争などにも引き継がれてきているからです。

ここで暴力の問題は原発の問題と内部被曝の問題に深く重なっていきます。なぜかと言えば原発はもともと原爆の製造装置である原子炉の排熱を利用して発電につなげたものだからです。
その際、「原子力の平和利用」のために、放射線被曝の危険性、特に低線量被曝の危険性が隠されました。中心になったのが内部被曝隠しでした。

内部被曝はそもそも正確に測ることなどできないものです。放射線が身体の中の細胞のごくごく小さな点にあたり、壊滅的な作用をもたらしますが、そこに計測器などつけようがないからです。だから本来、管理もとても難しいのです。
私たちの身体はとても複雑で同じ打撃でも全く違う意味を持ちます。例えば針で身体を刺すのが被曝だとすると刺されるのがほっぺたと目の玉では全く違う意味があります。だからどこにどう被曝するか、被曝の具体性が分からないと被害影響が評価できないのです。

実際に原爆においてもたくさんの人々が投下後に爆心地に近親者を探すために入り、放射性微粒子を吸い込んで内部被曝し、深刻な症状に陥りました。亡くなった方もたくさんいました。
ところがアメリカはこれらを一切なかったことにしてしまいました。深刻さを隠すと同時に、そもそもなかなか管理できない内部被曝に無視を決め込んだのです。その内部被曝被害を除外した被爆者データを使って放射線防護学が作られてしまった。

そのために今なお被曝の危険性が主に外部被曝で評価され、内部被曝の危険性が見過ごされているのです。
もともと原爆投下は無差別殺戮であり戦争犯罪です。しかも通常爆弾による空襲と違って、何年、何十年にわたって被害を及ぼし殺していくのでより悪質です。その長期にわたって人を殺す作用をもたらすのが主に内部被曝なのです。

僕が内部被曝の影響を極端に過小評価した放射線防護体系を作っているICRP(国際放射線防護委員会)批判に全力をあげているのもこのためです。原爆投下だけではない、核実験で、原発事故で、おそらく何千万もの人々が殺されてきているのです。
この現代におけるもっとも巨大な暴力の構造を解き明かし、ストップさせていく必要があります。

その際、大切なのは、この巨大な暴力を止める行動を非暴力的に行うことです。その中でこそ、アメリカの暴力が生んだものだとはいえ、対抗的に残虐性を強めているISのような人々にも道義的で最も説得力のある批判を貫けると僕は思います。
「あなたたちは全く間違っている。あなたたちはアメリカの残忍性を真似ているだけだ。あなたたちが怒りを抱いた卑劣さと同じことをあなたたちは行っている。原爆を受けた私たちは暴力的な仕返しなんか絶対にしない」と僕は言いたい。

さてこの話は食の話にどう結び付くのでしょうか。二つあります。現代ではこの暴力の思想、お金が儲かればどんな酷いことも平気で行うモメントが食べ物の世界に押し寄せ、健康被害が作られている点です。被曝と放射能汚染の上に悪い食べ物が蔓延しています。
一方で放射線被曝による被害をはじめ、私たちの命を危機にさらすこの現代世界の流れを逆転させていく展望も、私たちが食べ物を見直し、食べ方や作り方を見直すことの中に大きく存在しています。

僕はこの点が、社会主義を始め、これまでの社会変革論の中に一番欠けている点だと思うのです。ただし「論」はまだ形作られてなくとも、すでにさまざまに実践が進んでいる。
その点では今回訪問する綾部市の竹松うどん店さんも、舞鶴市西方寺ふれあい会館に集ってくださるみなさんも、東近江のでこ姉妹舎さんも、食に関する実践を僕などよりずっと高いレベルで行ってきている方たちです。

そんなみなさんと一緒になって、世界から暴力をなくしていくにはどうしたらいいのか。被曝から命を守り、未来を明るい展望を切り開くためにどんなことができるのかを語り合いたいと思います。
美味しい食べ物に舌鼓を打ちながら。ぜひお越しください!

*****

琵琶湖とあしたの今に vol.5

守田敏也さんお話会
 『いま日本と世界で起きていること』

 日時:3月8日(日)10:00~
 会場:東近江市 たむたむ畑(ゆるママ)

漏れ続けている放射能、すぐ近くに感じられる戦争の気配、誰かが受け続けている差別、暴力…
それは遠い世界のどこかのお話ではなく、私たちみんなが今まさに直面している問題です。

内部被曝を避けるための知を得て、子どもや次の世代の健康や平和を守りたいという願いを込めて、守田敏也さんにお話していただきます。
知りたいこと、わからないことをみなさんで分け合い、思いをめぐらし、自由にお喋りしたいと思います。

会場:東近江市 たむたむ畑(ゆるママ)
(ご予約の際に詳しい場所をお知らせします)

10:00 守田さんのお話
12:00 お昼ご飯
13:00 質疑応答・フリートーク
15:00 終了

 参加費:一家族 800円
 (諸費用捻出のため、別途カンパ熱烈歓迎!)

 定員:30名

・人数把握のため、ご予約をお願いいたします。

・昼食、飲み物をお持ちください。
でこ姉妹舎の玄米菜食ランチ販売もあります。(※ご予約の際お申し込みください)

・小さな子どもさん連れ大歓迎。
 会場は畳のお部屋で赤ちゃんも安心です。

・子どもを育てるかたにぜひ聞いてほしいお話なので、お子さん連れでたくさんご来場いただきたいです。
なので、子どもの泣き声などがあちこちで聞こえると思いますが、どうぞ温かく見守ってくださいますようお願いいたします。

・守田さんにお聞きしたいことがあれば、答えてくださるとのことですので、どしどしご要望をお寄せください。

ご予約:dekosimaisha@yahoo.co.jp(でこ姉妹舎)

 

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明日に向けて(1049)週末は脱原発集会へ!3月11日の行動もあります!

2015年03月03日 10時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150303 10:00)                                

福島原発事故から4年が経過した3月11日を前後して全国でたくさんのデモが予定されています。
僕自身は舞鶴で行われる「3・7原発ゼロ京都北部集会」に参加し講演をさせていただきます。
みなさま。各地で行われているデモや企画ぜひご参加下さい。またそれぞれの企画案内をご覧になってエールを交換しあいましょう。

ご存知のように川内原発に続いて高浜原発の再稼働に向けた動きが活発化しています。原子力規制委員会は2月12日に高浜原発3、4号機の再稼働にゴーサインを出しました。
最終的責任をとることを回避して「安全だとは言ってない」とかなんとか言いながらゴーサインを出す規制委員会と「規制委員会が大丈夫と言ったから再稼働させる」という政府。要するに誰も本当は安全だなどとは思っていないのです。
にもかかわらず自分たちに都合のよいことだけを見て、目先の利益だけで進もうとしている安倍内閣。都合の悪いものは無視をする。都合の悪い突っ込みをされたら逆切れする。でも無視をしたって現実が変わるわけではないのです。

安倍政権がさまざまな問題に高圧的な態度を取り続けていることもあって、暗い気持ちになっている方もおられるかと思います。
確かに日本は今、とんでもない方向に走り出しています。「国家百年の計」などまったくない。ある方が「まるで玉砕国家だ」と指摘していましたが、言い得て妙。その意味でこそ、今の日本は戦前に似ています。
国家としての戦略を失っている。危機管理能力がどんどん低下している。そのために「勝てる展望などまったくない」と天皇の「御前会議」に参加していたすべての大臣が思っていたのに、絶望的な対米戦争に突き進んだ時期と多くのものがダブります。

要するに誰も本気で国を守ろうなどと思っていないのです。少しまともに考えれば分かるはずの原発の再稼働の危険性を無視し続けている。確実な避難体制などとても作れないことが分かっているのに、みせかけの避難計画でお茶を濁そうとしている。
およそ私たちの国の中枢にいる人々で、純粋な「愛国心」を持っている人士など皆無です。だから内閣の暴走を止められない。命をかけてでも国を、人々を守ろうとする人士がまったくいない。この国の政治体制はもう根腐れしてしまっているのです。
だから今、私たち民衆自身が行動することが必要です。僕は国という統治機構など壊れてもいっこうにかまいませんが、私たちの社会が壊されてはたまらない。モラルハザードのもとに無責任に危険を放置する人々を私たちが止めなくてはなりません。

そのために次のことをしっかり認識しておきましょう。再稼働はまだ実現したわけではなく、たくさんの課題が残っており、抵抗が行われているということです。まだまだできることはたくさんあるということです。
そもそも絶対多数の議席を獲得している安倍政権でも原発の再稼働を実現できずにきました。大飯原発が2013年9月15日にとまってから連続500日間以上、私たちは原発を止めています。
いや他の原発はそれ以前から長く止まっていました。最長は柏崎刈羽原発2号機の7年8カ月。3、4号機も7年7カ月も止まっています。柏崎刈羽原発は世界最大の出力を誇ってきた原発です。

これらをはじめ日本の全ての原発がおよそ3年以上動いていないのです。止めているのは私たち民衆のパワーです。
このことで世界のウラン価格が暴落を続けてきて、ウラン燃料製造大手が倒産したりしています。世界の原子力村が困り果てています。
もちろん彼ら、彼女らは巻き返しに必死になっています。「日本の原発は絶対に動くから底値のうちにウランを買った方がいい」という商戦をしているのだそうです。そうして安倍内閣に「原発を動かせ」と大変な圧力をかけています。

しかし再稼働に向けてはまだまだ問題が山積みです。川内原発の動きは「大きく遅れており、稼動は高浜原発が先になる」などとも言われています。
九電が規制委の指摘を受け、修正した補正書を昨年9月末に再提出する計画だったのに、現在に至るまで提出できていないからです。九電は「平成27年3月期」の連結決算が4期連続の最終赤字となり民間企業としての危機すら迎えています。
ここに現れているのは、本当は原発が安全ではないことを知っている原子力規制委員会の中に大きな揺れがあり、電力会社のひどさの全てを無視することができずにいるということです。規制委もまた原発の危険性を指摘する多くの声に規定されてもいるのです。

一方、高浜原発再稼働の動きも順調なのかといえば否です。差し止め訴訟が行われていますし、「地元合意」の問題もあります。
規制庁が「防災指針の目安」としている半径30キロ圏に京都府や滋賀県が含まれ、地元の範囲をめぐって批判が高まっています。高浜だけのことではありません。日本中の原発の近隣で、「地元」の範囲を見直すべきだと言う声が強まっています。
これらもすべて民衆のパワーが作りだしているもの。だから私たちはこの力をもっと高めましょう。そのためにもデモや企画を行うことはとても重要です。再稼働反対、原発なくせの声をさらに広げるために一人一人が行動しましょう。

なおぜひお願いしたいのは、それぞれの行動をぜひ参加したみなさんが取材し、さまざまな手段でもって発信して欲しいということです。
その時、ぜひ英語をはじめ日本語以外のさまざまな言語を付け加えて下さい。多言語が苦手な人でもせめて少しでも英語を付け加えましょう。日本の脱原発運動の動きを知りたいと思う世界の人々にとって日本語の壁はとても大きく、日本語情報の検索はほとんど無理です。
だから短くて良いので英語などの言語を付け加えてた写真をどんどんネット世界にアップして下さい。それがさまざまな形で世界に伝わっていきます。福島原発事故から4年が経った私たちの国の今、脱原発運動の今を積極的に発信しましょう。

「あの福島原発事故が起こった日本で脱原発運動が大きくならなかったら絶望だ!」。それが僕も直接聞いた海外の声です。だから反対に、全国でデモを行っている私たちの行動は世界の希望になりうるのです。
私たち一人一人の歩みが世界に未来の可能性を発信するのです。そんな誇りと自信を持って、ぜひ各地のデモへと出かけ、情報発信しましょう。
以下、僕が参加する京都北部集会の詳細と、各地のデモ情報を掲載します。「明日に向けて(1041)」にも掲載しましたが、さらにバージョンアップしました。ご活用ください。

*****

3・7原発ゼロ京都北部集会
http://www.labor.or.jp/sohyo/genpatu-20150307tirashi.pdf

2015年3月7日(土)13:00開会
 舞鶴市民会館【舞鶴市南田辺】ホール

高浜3・4号機の再稼働阻止!

東日本大震災から4年。
今なお13万人がふるさとに帰れず避難所生活。
福島原発は今も放射能をまき散らし、原子炉の中も見ることができない。
しかし、川内原発の次に、高浜原発を再稼働させようとしています。
私たち、もう黙っているわけにはいきません。
私たちのくらしと安全を守るのは私たち自身です。

第1部文化企画
13:00 合唱構成「海の軌跡」
 福井県武生センター合唱団と京都北部うたごえの仲間

第2部大集会
13:50 福島の実相
 報告:後藤豪(つよし)さん(福島県生活生協労組組合連合会)
14:20 講演「いきつづけられるふるさとを」
 講演:守田敏也さん(ジャーナリスト)

第3部
15:00 デモ行進

主催団体 3・7原発ゼロ京都北部集会実行委員会

*****

以下、各地のデモ情報です。
はじめにすでに終わったものも含めて、チラシの一覧をご覧下さい。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10204700952142016&set=pcb.10204701035584102&type=1&theater


3月7日
バイバイ原発3・7きょうと(京都府京都市)
http://nonukeskyoto.com/


3月8日
原発事故から4年 フクシマを忘れない!さようなら原発北海道集会(北海道札幌市)
http://www.jichiro-hokkaido.gr.jp/archives/5156

力あわせる200万群馬 さよなら原発アクション(群馬県高崎市)
http://blog.goo.ne.jp/gk-sakai/e/9778c055d3bef0f36c87797d11978293

さよなら原発市川パレード(千葉県市川市)
http://blog.goo.ne.jp/311ichikawa/e/82ea96f72bd76cda1a3e7ec1078f06ab

NO!NUKES NO!WAR 浜岡原発再稼働反対!
3・8原発NO!浜松集会・デモ(静岡県浜松市)
http://middleearth.hamazo.tv/e5921704.html

3・8つながろうフクシマ・ひろげよう脱原発(長野県松本市)
http://no-genpatu.com/information/524.html

3・8さようなら原発 三重パレード(三重県津市)
https://www.coop-mie.jp/ai1ec_event/a_event-3330?instance_id=4013
http://www.asahi.com/articles/ASH2V3W2XH2VONFB004.html

原発のない社会へ 2015びわこ集会(滋賀県大津市)
http://biwako2015.shiga-saku.net/

さよなら原発 関西アクション(大阪府大阪市)
http://genpatsuzero-osaka.com/modules/contents/content0091.html

第13回なくせ原発!河内長野デモ(大阪府河内長野市)
http://knagano311.blog.fc2.com/blog-entry-40.html

フクシマを忘れない!原発ゼロへ
和歌山アクション2015(和歌山県和歌山市)
http://wgezero310.blog.fc2.com/

3・11メモリアル高知・四万十集会(高知県四万十市)
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/e/7f2618b541c3b0cc8aac854383a82dea

さよなら原発!3・8北九州集会(福岡県北九州市)
http://bye-nukes.com/kitaq/

さよなら原発 大牟田市民のつどい(福岡県大牟田市)
http://www.shiranuhi-law.com/

2015年原発ゼロへのカウントダウンinかわさき(神奈川県川崎市)
http://genpatsu-zero.com/syuukai2015.html

NO NUKES DAY 反原発★統一行動〜福島を忘れるな!再稼働を許すな!〜
 @東京・日比谷野音(大音楽堂)、国会議事堂周辺
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=5791

さよなら原発ねりまデモ(東京都練馬区)
http://nerima-action.com/?p=986

3.11への祈り-追悼と脱原発のつどい-(岡山県岡山市)
http://blog.goo.ne.jp/okakokyo_blog/e/9293a7cbfc15670b386b151bff8a4bbb


3月11日
忘れない「3・11」キャンドルプロジェクト(東京・代々木公園ケヤキ並木)
http://candle311tokyo.blog.fc2.com/

3・11全国一斉スタンディング(神奈川県茅ヶ崎市)
http://chi9sta.exblog.jp/20880997

さよなら原発!3・11福岡集会(福岡県福岡市)
https://drive.google.com/file/d/0B6EQ5_tZOVZcUWRPNklIeTNfLTA/view

第4回「311原発いらない! 地球のつどい」(福島県福島市)
http://onna100nin.seesaa.net/article/413894384.html

3.11反原発福島行動(福島県郡山市)
http://fukushimaaction.blog.fc2.com/blog-entry-274.html3.11

追悼ウォークin うらやす(千葉県浦安市)
http://suncoop-u-network.jimdo.com/

反原発抗議@関電本店前(大阪府大阪市)
http://twitnonukesosaka.blog.fc2.com/blog-entry-96.html


3月14日
2015原発のない福島を!県民集会(福島県福島市)
http://fukushima-kenmin311.jp/

さよなら原発inにしくアクション(愛知県名古屋市西区)
http://wkjcp.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/in-a069.html(個人ブログです)

3.14原発やめろデモin高松
http://ikatasaikadouno.blog.fc2.com/blog-entry-1.html


3月15日
さようなら原発・核燃「3・11」青森集会(青森県青森市)
http://nakuso-gk.net/event.html#a26

3・15 NO NUKES!DEMO 原発ゼロを永遠に!
NAGOYA ACTION(愛知県名古屋市)
http://blog.livedoor.jp/genpatuiranganena/

第3回 さよなら原発小田原パレード with LOVEデモ(神奈川県小田原市)
http://blogs.yahoo.co.jp/nonukes_odawara/folder/1071898.html

福島原発から4年。高浜原発再稼働許さない 原発なくそう宇治集会(京都府宇治市)
https://www.facebook.com/events/745378375570114

ストップ川内原発再稼働!3.15かごしまパレード (鹿児島県鹿児島市)
http://goodbyenukes-kagoshima.jimdo.com/


3月21日
上関原発を建てさせない山口県民集会(山口県山口市)
http://stop-kaminoseki-assembly.net/

ふるさとを放射能から守ろう!3.21 みやぎアクション(宮城県仙台市)
http://miyagi-kazenokai.com/archives/3022

*****

情報元
NO NUKES WEEK 2015  -原発関連デモ集会情報-
http://nobuhirob.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

日本全国デモ情報
http://www.magazine9.jp/demoinfo/

 

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明日に向けて(1048)高原発直近の町・舞鶴で暴力と平和と未来について話し合います(3月6日)

2015年03月02日 22時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150302 22:00)

福島原発事故から4年の3月11日に前後に全国で脱原発企画が行われますが、僕は3月6日午後に京都府綾部市の竹松うどん店で、夕方から舞鶴市の西方寺ふれあい会館でお話することになりました。
3月7日には原発ゼロ京都北部集会(舞鶴市)で講演し、デモにも参加します。3月8日には東近江市の「たむたむ畑」でお話します。今回は西方寺ふれあい会館での企画についてご紹介します。
まずは企画を案内してくれているFacebookのイベントページをご紹介します。

 「つながる晩餐会~守田さんを囲んで、「テロ」と原発と食!のお話」
  https://www.facebook.com/events/803092849784001

お題は「テロ」、原発、食ですが、総じて暴力と平和について、未来についての話になればよいなと思っています。

今回、僕を呼んで下さったのは、これまでしばしば僕を舞鶴や近辺に呼んでくださった田中ゆーじさんや添田みつこさんなど舞鶴の方たち。
これに昼間の綾部市竹松うどん店での企画をセットしてくださった今井葉波さんを含めて、若狭湾周辺でずいぶんいろいろなところでの企画をこれらの方たちと共にしてきました。
京丹後半島の伊根町や天橋立のある宮津市、舞鶴市、綾部市の他、福井県の高浜町、大飯町でも企画を持ちました。僕自身はこの他に、京都府の与謝野町、福井県の小浜市でもお話したことがあります。

いずれも原発から30キロ圏内に入るかその少し外に位置する町々。高浜町では原発から数キロのところにある内浦の公民館でお話しました。小浜市の会場も、大飯原発から直線距離で10キロ以内、しかも間は海で遮るところが何もない会場でした。
宮津も与謝野も舞鶴も単に原発から距離が近いだけではなくて海に面しています。遮るものがない。原発事故時に海側から放射能が押し寄せればほんの数分の間に、激しい汚染を被ってしまいかねない町々です。
この原発直近の地域で繰り返し話をさせていただきながら、僕はいつも私たちの国が本当に最深部から変わりつつあることを感じてくることができました。大都市圏よりも変革の波が直に感じられたのです。

例えば京丹後半島の伊根町は美しい船宿でも有名な町ですが、現在の人口は2300人。ピークだった1954年の7700人の三分の一以下になっています。
その伊根町での集会、確か50人ぐらいの方が集まってくださったと記憶しています。正確な数ではないかもしれませんがとにかく活気が溢れていました。
同時に印象的だったのは美味しい食べ物がいろいろと並べられた中での企画だったこと、溢れる活気も柔らかくて温かいものでした。いっぺんでその場が好きになってしまいました。この地域の多くの企画に似た感じがありました。

伊根町でとても印象的だったのは、近くの生産者の方たちが参加してくれていたことでした。田舎の町々から呼ばれる場合、都会から移り住んだり戻ってきた若い人たちに呼ばれることが多く、地元の生産者の方たちが参加されることはまだまだ少ないのですが、伊根では違う。
忘れられないエピソードがあります。食べ物の話をしていて、僕が鶏舎のことを批判する発言をしたときのこと、「鶏舎はにわとりにとっては監獄ですよ」と言ったら、会場からどよめきに似た含み笑いが起こった。
「まずい。鶏舎を運営している方が来られているんだ」と思ったものの後のまつり。目でどの方だろうと年配の方を探したりしました。

質疑応答の時にその方が手を上げて笑いながら発言して下さいました。「守田さんのおっしゃる通りです。鶏舎は監獄です。あんなところに何万羽もいれてしまっていいわけがない。でもうちの場合は2000羽です。これぐらいの数だとにわとりの一羽一羽の顔を覚えて体調管理してやることができるんす。」
・・・とてもありがたい発言でした。僕はそれまで現場をよく知らずに平飼いはマルで鶏舎はバツと考えてしまっていたのです。鶏舎はにわとりのストレスが強いから病気になりやすい。そのためあらかじめ抗生物質を入れてしまったりしている。でも2000羽の鶏舎ならそんなことは必要がないことが分かりました。
さらに2度目の伊根町への訪問で今度は交流会でその方とお話したら、それこそ1960年代、どんどん当時の若者が都会に出て行ってしまったときに伊根に残って農の営みを行われてきた方だということが分かりました。中学の同窓生80人のうち、役場に残ったものを除き、ただこの方だけが伊根町に残って農の営みを始められたのだそうです。

「時代が一巡して今やトップランナーですね」と僕が語ると嬉しそうにされていました。今やその方のお子さんたちや、周りの方たちが新たに農の営みを始めています。さまざまな工夫が凝らされています。
ご存知のように今、日本政府はこの伊根町のすぐ近くにアメリカ軍のXバンドレーダーサイトを作らせてしまいました。伊根町は西にレーダー基地、東に原発群に挟まれる町になってしまった。いや、舞鶴にはもともと自衛隊の軍港もあります。
それでもこの町にいくと、農村から人を引きはがして工業化にまい進し、さらにその工業を潰して商業へと転身し、その商業の中身もまっとうな売り買いからバブル的なカジノ的取引にすり替えつつ、全体としてのモラルを荒廃させているこの国の歩みの真逆の流れを感じます。

ちなみにそんなことを考えていたら伊根町に関するこんな記事を見つけました。やっぱりやるなあ、伊根町!・・・ご覧下さい。(末尾に記事を貼り付けておきます)
 学校給食や修学旅行、4月から全部無料にする町
 読売新聞 2015年02月27日
 http://www.yomiuri.co.jp/national/20150227-OYT1T50085.html

現場で肌で感じるものを十分に言語化できないのがもどかしいのですが、僕はこうした戦後の開発経済の流れと早くから切り離され、かつ自覚的にも自分を切り離そうとし、穏やかな時の流れや人の和を大事にしてきた人々の住まう地域、そのために人間的温かみが残っているところにこそ、これからの私たちの国の展望を示す何かがあるように思えるのです。
そこに原発があり問題意識があるから・・・と単純にはとても言えません。原発があるから脱原発の意識が高い・・・というわけでもない。むしろ直近の町々は電源交付金などの存在で、少なくとも政治家はほとんど原発を批判することはありません。
しかしこれらの地域には、直感的にと言おうか、この国のこれまでの流れはもうダメなんだと言う気付き、ないし悟り(仄かな)があるように思えます。もちろんすべての方がそうだというのでもないし、まだまだ少数派でしょう。それでも都会のど真ん中での気付きよりももっとリアルで確かな何かがここにはある。

それだけに僕はこれらの地域から呼んでいただけると何とも心がウキウキします。もちろん直近には原発がある。矛盾がどーんと存在している。だけれども本当は都会の方がもっとさまざまな意味で危険であり、矛盾がひしめいていながら、それを見させないたくさんのカラクリがある。
若狭湾周辺には美しい農漁村と原発がドーンと並んでいる。「さあ、どっちがいいですか」と誰かがどこからか囁きかけてくるのを感じ取れるような面があるように思えます。都会では見えなくなってしまう二つの道がここでは少なくとも目を凝らせば見えてくる。
その町の中に再び三度、迎えていただき、今回もまた僕はこの地域の方と一緒になって、この国に今ある危機と、それを越えた展望がどこにあるのかを一緒に語り合い、考えたいと思います。

お近くの方、ぜひお越しください。いや今回は少し遠くの方にもぜひ舞鶴や若狭に訪れて欲しいと思います。
以下、企画案内を貼りつけます!

****

日本中、世界中を飛び回ってポジティブオーラを振りまく「これ核心問題なんですよ。」でおなじみの、守田敏也さんが、3月6日に京都府舞鶴市に遊びに来られます♪
そこで、守田さんを囲んでみんなで持ち寄りのおいしい晩ご飯を食べながら、今きっとみんなが気になっていることについて、わいわい話し合ってみない?ってことになりました~。

守田さんは、知識も経験も豊富で、とにかくポジティブ。
暗いニュースばかりが飛び交う世の中で、落ち込んだり悩んだりしてる僕達をいつも元気にしてくれます。

いろんな方にご参加してもらえたらうれしいです。ぜんぜん堅苦しくなーいメンバーと企画したイベントなので、ぜひぜひお誘いあわせの上、お気軽にご参加くださいませ。
いろんな人とつながって、世の中をゆるやかに楽しく良くしていけたらいいなあと思ってます~。

「つながる晩餐会~守田さんを囲んで、「テロ」と原発と食!のお話」
時 2015年3月6日(金)開場18:00 食事会18:30-21:30
場所 京都府舞鶴市 西方寺ふれあい会館(p有)
参加費 無料 一品持ち寄り(もしくはカンパ)
     お酒OK(ただし泥酔禁止♪運転禁止!)

お約束ごと  お互いの違いを認めてつながること。

問合せ 田中ゆーじ 090-4560-8560
    添田みつこ 080-3033-7479

つながる?晩餐会~守田さんを囲んで~ テーマは「テロ」と原発と食!
https://www.facebook.com/events/803092849784001

ちなみに田中ゆーじさんから「自撮りでメッセージを送れ」と言われて、初めて自撮りなるものに挑戦してメッセージを出しました。ちょっと恥ずかしいですがご覧下さい。
https://www.facebook.com/video.php?v=562357427239448&set=o.803092849784001&type=2&theater

*****

学校給食や修学旅行、4月から全部無料にする町
読売新聞 2015年02月27日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150227-OYT1T50085.html

京都府伊根町は27日、小中学生全員の給食や修学旅行にかかる費用、実験器材などの経費を新年度から所得制限なしで全額負担すると発表した。
 
保護者の負担は年10万円前後減る見込みで、子育て世代の定住化を促す狙いだ。同様の無償化は、山梨県の早川町や丹波山村などで行われている程度とみられ、文部科学省によると、こうした取り組みは珍しいという。

伊根町の人口は町制が施行された1954年がピークで約7700人いたが、今年1月末は約2300人に減少。基幹産業の漁業や農業の衰退が原因で、小中学生も62年のピーク時の1706人から、今月26日現在では、小学校2校、中学校1校の計99人になった。

町では4月以降、全小中学生を対象に、修学旅行費や給食費のほか、理科の実験に使う器材やテスト用紙などの費用を町が全額賄うという。新年度と2014年度補正の各予算案に関連経費計約700万円を盛り込む。

保護者の負担は、筆記用具や制服、体操服など、個人所有の道具類や衣類だけになる予定。同省児童生徒課は「所得制限を設けずに修学旅行や教材にかかる費用も無償とするのはあまり聞いたことがない」としている。

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明日に向けて(1047)ICRPは人の命を守っていない(矢ヶ崎さんのICRP批判のポイント-4)

2015年03月01日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150301 22:30)

ICRP批判に戻ります。
矢ヶ崎さんはICRP批判を始めるときに次のスライドを提示されます。

 ICRP(国際放射線防護委員会)の特徴=人の健康ではなく企業の利益を守る
 ①人命防護ではなく核推進と核企業防護 正当化、防護の最適化、線量限度の適用
 ②科学の放棄:具体性の捨象:平均化・単純化 内部被曝の政治的無視 科学的無視

ICRPは人命を守ってはいない。核推進と核企業防護を目的としているのだという指摘です。そのために科学の放棄が行われている。
今回、問題としたいのはここでスライドの中に上げらている「正当化、防護の最適化、線量限度の適用」についてです。これはICRPが自身の目的としてうたっているものです。
この分析のために、ICRP自身のテキストを使おうと思います。"ICRP Publication 103"、邦題は『国際放射線防護委員会の2007年勧告』です。(2007年勧告と略します)書籍としては、社団法人日本アイソトープ協会から発行されています。

「正当化、防護の最適化、線量限度の適用」はICRPによって「放射線防護の3つの基本原則」と呼ばれるものであり、ICRPによる自己規定の中で最も重要なものです。
2007年勧告の冒頭に掲げられた「総括」の中で次のようにまとめられています。

 「正当化原則:放射線被ばくの状況を変化させるようなあらゆる決定は、害よりも便益が大となるべきである」(同書p)
 「防護の最適化の原則:被ばくの生じる可能性、被ばくする人の数及び彼らの個人線量の大きさは、すべての経済的及び社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保つべきである」
 「線量限度の適用の原則:患者の医療被ばく以外の、計画被ばく状況における規制された線源からのいかなる個人の総線量も、委員会が特定する適切な限度を超えるべきではない」(同p)

「総括」に続く「用語解説」の中で「正当化(Justification)」は以下のように説明されています。

 「(1)放射線に関係する計画された活動が、総合的に見て有益であるかどうか、すなわち、その活動の導入又は継続が、活動の結果生じる害(放射線による損害を含む)よりも大きな便益を個人と社会にもたらすかどうか;
 あるいは(2)緊急時被ばく状況又は現存被ばく状況において提案されている救済措置が総合的に見て有益でありそうかどうか、すなわち、その救済措置の導入や継続によって個人及び社会にもたらさせる便益が、その費用及びその措置に起因する何らかの害又は損傷を上回るかどうかを決定するプロセス。」(同書pG7)

「防護(及び安全)の最適化(Optimisation of protection (and safety)」は以下のように説明されています。

 「いかなるレベルの防護と安全が、被ばく及び潜在被ばくの確率と大きさを、経済的・社会的要因を考慮の上、合理的に達成可能な限り低くできるかを決めるプロセス。」(同書pG13)

「線量限度(Doze limit)」は以下のように説明されています。

 「計画被ばく状況から個人が受ける、超えてはならない実効線量又は等価線量の値。」(同書pG9)

ICRPの文章と取り組んでいくためには、一つ一つの言葉の定義をきちんと押さえて進んでいく必要があります。さらっと語られた文言の中にたびたび重大な事柄が潜んでいるからです。
今、上げた3つの原則はとくに重要なのですが、まず大きく捉えておくべきことは、ICRPが放射線防護原則を「すべての経済的及び社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保つべきである」としていることです。
端的に純科学的な放射線と人体との関係の考察によって防護体系が作りだされているのではなく、その上に「経済的及び社会的要因」が取り入れられ、「合理的に達成できる限り低く保つべき」という考えが打ち出されています。

この点は同書の本文の「1.緒言」の中でもう少し具体的に語られています。というのはもともと放射線環境下で働く労働者の保護を目的として出発した同委員会は、当初は人間にとって被ばくをしてもここまでは安全だという「しきい値」があると考える立場にありました。
ところが「米国の放射線科医の間で悪性疾患が過剰に出現し、また日本の原爆被爆者に過剰な白血病の最初の疫学的証拠が初めて現れたことから、しきい値に関する支持は1954年までに減退した(ICRP,1955)」(同書p1)
つまり戦後に放射線被ばくには安全な「しきい値」がないという確認がなされたわけですが、ではどのように安全を確保するのかという点でICRPは次第に大きく変質していったのです。この点を同書より引用します。

 「委員会の1954年勧告は「すべてのタイプの電離放射線に対する被ばくを可能な限り低いレベルに低減するため、あらゆる努力をすべきである」と助言した(ICRP,1955)
   このことは、引き続いて被ばくを「実際的に可能な限り低く維持する」(ICRP,1959)、「容易に達成可能な限り低く維持する」(ICRP,1966)、またその後「経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り低く維持する」(ICRP,1973)という勧告として定式化された。」(同書p2)

ICRPの記述を読んでいると放射線防護の原則が、被ばく防護には「しきい値」がないことが確認されて以降、ただだんだんに見解が深められて現在にいたっているかのように映りますが、まったくそうではありません。
このわずか数行で表された文言の中で原則の重大な変更がなされているのです。それは「被ばくを可能な限り低いレベルに低減するため、あらゆる努力をすべきである」とされていたものが、「経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り低く維持する」と変更されていることです。
可能な限り被ばくを軽減すべきだという考えが明確に否定され、「経済的社会的」要因を導入した上で、「合理的に達成可能な限り」という文言がに変わったのです。

本書の中でこの点がもっと直接的に語られている個所があります。「5.8 防護の最適化」の項目です。ここでは以下のように記述されています。

 「防護の最適化は線量の最小化ではない。最適化された防護は、被ばくによる損害と個人の防護のために利用できる諸資材とで注意深くバランスをとった評価の結果である。したがって、最善の選択肢は、必ずしも最低の線量をもたらすとは限らない。」(同書p53)

ここまで見てきて明らかなことは二つの点です。
一つ目は次の点です。ICRPは放射線被ばく防護にしきい値が設けられないことを確認して以降、いったんは可能な限り被ばくを低く抑えるべきだと科学的に正しい主張を掲げていたのでした。放射線はどんなに小さな量でも人体に悪影響を及ぼすからです。
ところが中川保雄さんも明らかにしたように、当初はアメリカしか保有していなかった核兵器が数か国に保有されるようになったことや、原子力発電の普及で核産業が発達する中でICRPの態度が変質してしまい、核戦略や核産業にとって「合理的」と言える範囲で被ばくを押さえれば良いと言う立場に転換してしまったということです。

二つ目はその際に「経済的及び社会的な考慮」を持ち込むことで、放射線防護学は純粋科学と切り離されてしまったということです。
それまでのICRPは曲がりなりにも原爆被爆者のデータなどに基づいた線量管理を主張していました。そのデータ自身に大きな問題があったわけですが、この観点に立つ限り、データの誤りが見つかれば、線量評価を見直さざるを得ないことになります。
事実、中性子爆弾開発過程で、広島の放射線スペクトルがあやまって見積もられていたことが分かったときに、ICRPは線量体系の見直しを行い、公衆の被ばく限度量をそれまでの年間5ミリシーベルトから1ミリシーベルトへと下方修正しています。

一見、基準が強化されたように見えるわけですが、一方でICRPはそのように純粋科学とリンクしていると、新たな事実が見つかる度に基準を強化せざるを得ず、核産業が苦しくなって存続できなくなることを問題視し、純粋科学との切り離しを図ったのでした。
かくして持ち込まれたものこそ「経済的及び社会的な考慮」なのでした。これが持ち込まれてしまえば、もはや放射線が人体にどのような影響があるのかだけで被ばく防護を語らなくて良いことになる。
なぜなら「経済的及び社会的な考慮」なるものは、純粋科学としては導出のしようのないものであり、政治的、社会的判断として、社会的合意のもとでなされるものであって、純粋な科学の数値と比較して操作しやすいものだからです。

ICRPの放射線防護体系が、科学から遊離したものであることがここにはっきりと示されています。
「経済的及び社会的考慮」を加えたものが放射線の人体への影響を解き明かした科学だなどと言えるはずがないのです。
にもかかわらず、ICRPは自らの体系をあたかも科学であるかのように装い、ICRPの擁護者の多くもそれを無前提に信頼してしまっています。ここがICRP体系のもっとも大きな矛盾なのです。

続く

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