1967年の作品。前作の「ある殺し屋」とは無関係。市川雷蔵は表向きは踊りの師匠、裏では殺しを請け負う。
前作に引き続き、宮川一夫のカメラが魅力である。前作ではブルーが基調だったが、今回は赤を目立たせている。
1967年というと、大映も斜陽が甚だしく、製作費も限られていたはずだ。ということで、セットもどこかチープに見えるが、これは製作費の安さを意図的に利用したもののように思える。抽象的であり、リアリティにかけるところがある。
ある意味、これは表現主義的なセット・構図を目指したものではないだろうか。
映画を見終えて題名を改めて思う。この題名に意味が込められている。
ラスト、立ち去っていく市川雷蔵の後姿は、こういうフィルム・ノワールものにつきものの主人公のやるせなさを感じさせるものだ。
前作に引き続き、宮川一夫のカメラが魅力である。前作ではブルーが基調だったが、今回は赤を目立たせている。
1967年というと、大映も斜陽が甚だしく、製作費も限られていたはずだ。ということで、セットもどこかチープに見えるが、これは製作費の安さを意図的に利用したもののように思える。抽象的であり、リアリティにかけるところがある。
ある意味、これは表現主義的なセット・構図を目指したものではないだろうか。
映画を見終えて題名を改めて思う。この題名に意味が込められている。
ラスト、立ち去っていく市川雷蔵の後姿は、こういうフィルム・ノワールものにつきものの主人公のやるせなさを感じさせるものだ。