平成17年6月。御朱印旅は、蝦夷三官寺巡りだった。
蝦夷三官寺は、1804年に江戸幕府が現地民の教化のために建立した寺院で、有珠、様似、厚岸と三つある。北海道の太平洋岸を三等分する地に建てられた。
蝦夷三官寺を知ったとき、ここは是非巡ろうと決めていた。北海道の太平洋岸を東西に移動するのだから、綿密にプランを立てて実行した。交通の便は悪い。
平成17年6月14日。まず有珠善光寺を参拝した。新千歳空港から千歳線で苫小牧まで行く。苫小牧で室蘭本線に乗り換え、東室蘭へ。東室蘭で函館本線に乗り換え、有珠駅まで行った。
これが有珠駅。
ここから有珠善光寺まで歩く。徒歩で20分ほど。
<御朱印>
千歳市に戻る。本来なら苫小牧に泊まるのが便利だが、ホテルの予約がとれなかったためである。
6月15日。千歳駅から苫小牧経由、日高本線で様似駅まで行く。(現在は日高本線はほぼ全線不通でバスで運行している。)
様似駅からタクシーで等澍院へ。
お寺から見た様似の町。
<御朱印> この御朱印は、後日郵送されたもの。15日は住職さんは法要の最中だった。お金と住所を書いて、留守番の檀家さんに渡し、御朱印を郵送するように頼んだのである。
様似からバスで襟裳岬へ。
襟裳岬で宿泊し、翌日、バスで襟裳岬から広尾に出る。
広尾からなおバスを乗り継いで、帯広へ。
帯広駅から電車で釧路駅、釧路駅から電車で厚岸駅まで。厚岸のホテルに宿泊する。結局この日は移動するのに費やされた。
翌日の17日にバスで国泰寺へ行く。
<御朱印>
帰りは釧路空港から羽田へ戻る。
蝦夷三官寺は、1804年に江戸幕府が現地民の教化のために建立した寺院で、有珠、様似、厚岸と三つある。北海道の太平洋岸を三等分する地に建てられた。
蝦夷三官寺を知ったとき、ここは是非巡ろうと決めていた。北海道の太平洋岸を東西に移動するのだから、綿密にプランを立てて実行した。交通の便は悪い。
平成17年6月14日。まず有珠善光寺を参拝した。新千歳空港から千歳線で苫小牧まで行く。苫小牧で室蘭本線に乗り換え、東室蘭へ。東室蘭で函館本線に乗り換え、有珠駅まで行った。
これが有珠駅。
ここから有珠善光寺まで歩く。徒歩で20分ほど。
<御朱印>
千歳市に戻る。本来なら苫小牧に泊まるのが便利だが、ホテルの予約がとれなかったためである。
6月15日。千歳駅から苫小牧経由、日高本線で様似駅まで行く。(現在は日高本線はほぼ全線不通でバスで運行している。)
様似駅からタクシーで等澍院へ。
お寺から見た様似の町。
<御朱印> この御朱印は、後日郵送されたもの。15日は住職さんは法要の最中だった。お金と住所を書いて、留守番の檀家さんに渡し、御朱印を郵送するように頼んだのである。
様似からバスで襟裳岬へ。
襟裳岬で宿泊し、翌日、バスで襟裳岬から広尾に出る。
広尾からなおバスを乗り継いで、帯広へ。
帯広駅から電車で釧路駅、釧路駅から電車で厚岸駅まで。厚岸のホテルに宿泊する。結局この日は移動するのに費やされた。
翌日の17日にバスで国泰寺へ行く。
<御朱印>
帰りは釧路空港から羽田へ戻る。