志和稲荷神社を参拝後、待たせてあったタクシーで志賀理和気(しがりわけ)神社へ移動する。一番近い駅は東北本線の志波中央駅である。
この神社は注目に値する。いわゆる延喜式明神帳に記載された3132の神社の中で最北の神社である。つまり最北の式内社である。(最南の式内社は屋久島の益救神社である。)
延喜式が完成したのは927年。当時の京都朝廷の勢力範囲はこのあたりまでだったと云うことである。
804年に坂上田村麻呂が東北守護神として、香取神宮から勧請して創建された。祭神は、香取神宮と同じく武神の経津主之大神と武甕槌之大神である。
田園地帯の中にあった。
新しい社殿を別の場所に建築中である。防災上の観点から移すらしい。コロナ騒ぎで完成時期は未定。
今の社殿の名残を惜しむ。
御朱印に「南部一の宮」とあるのは、戦国時代末期の領主・南部重直が献じたことに由来する。南部領の中で最も重要な神社という意味で、普通に言われるところの諸国一之宮とは異なる。