小野照﨑神社を参拝後、日光街道を北千住方向へ歩く。10分ほどで(下谷)三島神社に至る。
日光街道から少し入ったところにあるが、歩道橋のあるところで左に曲がればいいから分かりやすい。
境内は狭い。もともとは火除稲荷神社の敷地だったところである。
この(下谷)三島神社の由来はややこしい。
伊予の御家人だった河野通有は元寇の時、武勲を上げたが、出征前に三島大明神(大山祗神社)に祈願した。その戦いの帰りに夢で上野山内に三島大明神を奉齊するようにお告げがあった。伊予の御家人と上野は結びつきにくいが、河野氏の館があったらしい。1281年のことである。
三島大明神は、江戸時代に根岸に移され、その後、現在の田原町駅前に移された。今でも三島神社があるが、これが本社である。
ただ、本社までは遠く参拝に不便だということで、火除稲荷神社の敷地に三島大明神を分請した。これが今の下谷の三島神社である。だから、分社といえる。
樋口一葉の「たけくらべ」に出てくるが、土地の人は、「三島さま」と呼んでいた。
三島神社は、河野通有が創建したが、伊予の河野氏というと、時宗の創始者・一遍上人も河野氏の出自である。
調べると、河野通有の祖父は河野通久で、その兄が河野通広である。兄の河野通広の子が一遍上人であるから、同じ家系である。