ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

四国霊場第47番札所 八坂寺

2017年07月08日 12時20分29秒 | 旅行
四国霊場の札所は四国に均一にあるわけではない。偏在している。四国南部の高知県は数が少ない。高知県は関西から遠いので理解できるところだが、中には首を傾げるところもある。

第43番札所の明石寺のあと、巡礼道は石鎚山地に向かう。西予市から四国中央に向うわけで、大洲市、八幡浜市、佐多岬半島、内子町には札所がない。空白地帯である。関西からも行きやすい場所だろうが、なぜここに札所がないのか不思議に思う。

石鎚山地にある45番・岩屋寺と44番・大宝寺は体力的にきついところがあるので、元気な午前中にお参りするスケジュールだった。ということで、この二つは飛ばし、第46番・浄瑠璃寺と第47番・八坂寺とお参りする。

順番は逆で、八坂寺をお参りしたあと、遍路道を歩き、浄瑠璃寺をお参りした。

八坂寺は記憶に残る。特徴がある。お寺の入り口である。船のような形をしている。ここだけである。何か、インデックスになるようなものがあると、記憶を引き出すのも簡単だ。





本堂。



大師堂。



横から二つのお堂を見る。



境内はかくのごとし。



階段を降りる。





手水の前の木に猫がのっていたのだ。覚えている。





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四国霊場第43番札所 明石寺

2017年07月08日 11時34分07秒 | 旅行
四国八十八カ所霊場巡りツアーに参加してから早2ヶ月が過ぎた。巡礼記が全然進まない。第2回は70番札所までお参りしたが、明石寺(めいせきじ)は43番。先が長い。

明石寺は鉄道駅から言えば卯之町駅に近い。山の中のお寺である。ところが、このお寺については記憶がない。四国八十八箇所霊場は88のお寺を巡るのだから、全然記憶に残らないお寺もかなり出てくる。何か、一箇所、特徴があれば、思い出すことができるが、このお寺についてはそういう特徴がない。少なくとも私にはそう思える。

写真をずっと見ていると、こういうお寺もあったなと思う。多分、お勤めをしている最中に小鳥の鳴き声を聞いたのはこの寺である。しかし、ほかの寺でも聞いたので記憶は曖昧である。

写真を見る限り、正統的な立派な寺院である。ノーマルすぎて、印象に残らなかったのだろう。

仁王門から入り、階段をふたつあがり、本堂・大師堂へ行った(らしい)。



(本堂)



(大師堂)



本堂・大師堂の前は砂利で清潔である。




夫婦杉があったらしいが、記憶にない。



駐車場から見た風景。



全く記憶がない。記憶がないのに写真があるというのは不気味である。





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読響 名曲シリーズ

2017年07月08日 11時00分49秒 | 雑感
7月7日。つまり七夕の日。池袋の東京芸術劇場で読響のコンサートを聴く。ネルソン・フレイレのピアノに惹かれて。

指揮:飯守泰次郎 読売日本交響楽団

プログラム。

(1)ブラームス協奏曲第2番(ピアノ:ネルソン・フレイレ)アンコールは、グルックの「メロディー」。これはオペラの「オルフェウスとエウリディチェ」より編曲したもの。

後半は飯守泰次郎お得意のワーグナーを並べた。

(2)「パルジファル」から第1幕への前奏曲
(3)「パルジファル」から”聖金曜日の音楽”
(4)「ワルキューレ」から”ワルキューレの騎行”
(5)「タンホイザー」序曲

ネルソン・フレイレはもう73歳になる。舞台に出てきた時の足取りはおぼつかないように見えた。デビュー当時は、南米系のピアニストとして注目を浴びたと記憶する。1960年代は、どういうわけか、南米系のピアニストが輩出した。アルゲリッチ、バレンボイム、ゲルバーとすぐ名前をあげることができる。

ネルソン・フレイレは、ブラジル生まれである。初めて聴いたが、音の美しいピアニストという印象だ。アンコールは惚れ惚れするような美音だった。ブラームスの協奏曲は、第3楽章が素晴らしかった。この楽章のチェロを弾いたのが遠藤真理だった(らしい)。ソリストとばかり思っていたが読響のメンバーになった。楽団員の名簿に載っている。

ブラームスのピアノ協奏曲では読響の音に魅力がなかったのはどういうわけか。私にはそう聞こえた。

これが後半のワーグナーになると、オケも全開で華々しい演奏をしたのだから、私の耳がどうにかなってしまったのか。

正直なところ、自分の耳は衰えている。耳鳴りもするようになった。高音は、多分、聞こえないはず。子供の声はイライラするようなノイズにしか聞こえない。生理的には高齢になれば、こうなって当然なのだが、高齢の音楽家や音楽評論家は、どういう音を聞いているのが不思議に思っている。



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「男と女」(クロード・ルルーシュ)

2017年07月07日 10時51分00秒 | 映画
DVDで「男と女」を観る。1966年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品である。アカデミー賞でも外国映画賞を受賞した。当時、一世を風靡した映画である。

やはり、この映画の美しい映像が与えた影響が大きかった。「映像主義」と呼ばれたと思う。他の国でも真似され、当然ながら日本も影響を受けた。

モノクロとカラーの場面が交互に出現するが、これも映像効果を考えての選択ということではなく、単にすべてをカラーで撮影する予算がなかったかららしい。予算の制約が印象的な映像を生んだ。

屋外場面の、望遠による詩的な映像も素晴らしいが、これはカメラの音がうるさすぎて遠くから撮影するしかなかったらしい。

結局、制約が見事な映像を生み出したことになる。ケガの功名とはよくいったものだ。

ちょっと見だと、結構、雑な映画のようにも思える。メイキングをみると、ルルーシュはリハーサルを嫌ったようだ。リハーサルを重ねると「真実」から遠くなると考えていたらしい。撮影するのも一回で撮り直しはやらない。これなら、雑に見える場面があっても当然だろう。

それぞれの子を連れて、母子、父子の4人のレストランの場面は、普通の家族連れの会話を盗み撮りしているかのようだ。全然ドラマ的ではない。

男やもめがジャン・ルイ・トランティニャンで、未亡人がアヌーク・エーメ。子供が同じ寄宿舎学校に通っていることで知り合う。ストーリーは3週間の出来事だが、ルルーシュは同じ3週間で撮影したかったようだ。実際は4週間で撮影した。

最後の、男に抱擁された女が死んだ夫を脳裏に浮かべる場面が衝撃的だと批評された。

もう51年前の作品である。風俗も違ってきている。一番の違いは、タバコ! この映画では、すぐにタバコを吸う。子供の前でも平気でタバコを吸っている。今なら、受動喫煙でこの場面はカットだ。

昔は、いいと言われたものが、今では悪と言われる。高齢になると頭の切り替えができにくくなるから、こういう価値の転換はきついし、不満も起きる。

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新国立劇場「ジゼル」

2017年07月04日 21時39分29秒 | 雑感
先月の話になるが、6月24日に新国立劇場で「ジゼル」を見た。

ボリショイ・バレエの「白鳥の湖」に感動したので、ほかのバレエも見たくなったのだ。

日本のバレエはどうか?

第1幕はこじんまりとしていたように思う。華やかな場面が続くので、もう少しダイナミックさが欲しかった。

第2幕は、もともと幻想的な場面なので、優美さ、繊細さが必要とされる。こういう場面は日本人は強いよね。

ほかのバレエも見に行く気になっているが、日本のバレエ団は数が多くて、どれを見たら、いいものか。個人立のバレエ団が多く、派閥になってしまっているようだ。

24日の昼の公演は

(ジゼル)米沢唯
(アルベルト)井澤駿

(追記)

7月7日の日経夕刊にこのバレエ公演の批評が掲載された。米沢唯のジゼルは希に見る名演だったそうだ。第2幕の素晴らしさは同感する。

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モスクワ・フィル演奏会

2017年07月04日 21時24分34秒 | 雑感
2017年7月3日。東京芸術劇場で、モスクワ・フィルのコンサートを聴く。指揮は、ユーリ・シモノフでした。

シモノフの指揮は初めてだが、プログラムの案内によると、シモノフはブラス・セクションを大きく鳴らし、打楽器を炸裂させるのだそうだ。これなら居眠りせずにすみそうだ。

それにしても、何というか、入りが悪い。座席は半分ぐらいしか埋まっていない。演奏者に気の毒になってしまう。

プログラム

(1)ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:上原彩子)

(2)プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:大谷康子)

(3)チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」

(アンコール)チャイコフスキー「白鳥の湖」から序奏

ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番は弦楽器とトランペット一つ、それに独奏のピアノしかない。私は、これはシンフォニック・ジャズとして聴く。上原彩子は、指がよく動くというのか、メリハリをつけて、これは快演でした。楽しかったです。

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番はダレた。大谷康子は、今年でデビュー42年になるそうで、これから計算すると年齢は60台であろう。60を過ぎると、馬力がなくなるから、弦楽器奏者はきついところがある。音が非力で平板になっている。メディアへの露出は多いようだが、どこがいいのか、分かりませんでした。

チャイコフスキーの第6番は、シモノフの特徴がよく出ていた。ブラスセクションの鳴りっぷりはすさまじく、これを聴くと、日本のオケはおとなしすぎるのじゃないかと思える。音楽的にはどうかと思うところもあったが、鳴りっぷりがすさまじく、ストレス解消にうってつけ。たまにはいいじゃないの。

特に第3楽章は迫力満点。思わず拍手したくなったが(一人、拍手したものがいた)間を置かずに第4楽章に入ったのは正解だった。

(チャイコフスキーの曲にはフライイングの拍手をしたくなるものが結構ある。ピアノ協奏曲第1番とヴァイオリン協奏曲は、第1楽章が終わると拍手するものが出る。交響曲第5番もそうだね。第4楽章は一度終わってしまう感じになるので、ここで拍手する人がいる。先日、フルトヴェングラー指揮のトリノ放送オケとの実演盤を聴いたが、第4楽章の途中で拍手が聞こえた。)

「悲愴」の最後は段々と音が弱くなるので、どこで終わったのかがわからない。拍手するタイミングが難しい。もっとも先日聴いたマーラーの第9番よりはまだマシだ。

アンコールは時計を見ながら「白鳥の湖」から「序奏」でした。序奏だけで終わったのでほんの2、3分。9時15分ぴたりに終わった。この序奏は壮麗でした。もっと聴きたかった。






















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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