ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

古い御朱印帳から 浅草 鷲神社

2020年08月24日 06時09分57秒 | 旅行
平成25年の一の酉。浅草田圃の鷲神社参拝。東京酉の市と云えば、ここの鷲神社、新宿の花園神社、府中の大国魂神社が賑わう。

令和2年、今年の酉の市は、どうなるのか? まず無理だろう。写真の賑わいを見れば一目瞭然である。

付け加えると、来年の初詣も難しい。近場の神社で済ませようと思っている。
















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古い御朱印帳から 志摩国一之宮 伊射波神社

2020年08月23日 05時44分21秒 | 旅行
志摩国一宮・伊雑宮から同じく志摩国一之宮の伊射波(いざわ)神社へ移動する。

ここは地元の氏子さんが管理する神社で、御朱印を貰いたいときは予め電話しなければならない。

駐車場から歩いた。1.5キロである。


海辺を歩いた。




鳥居が見えた。


ここから階段を上がる。


これが社殿。素朴なので気が抜けた。



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古い御朱印帳から 志摩国一宮 伊雑宮

2020年08月21日 06時28分51秒 | 旅行
伊勢に宿泊した翌日、伊勢神宮内宮・外宮を参拝したあと、志摩国一宮・伊雑宮(いざわのみや)を参拝する。伊勢神宮の別宮である。

公共機関を利用する場合は、近鉄伊勢線の上野郷駅でおりる。




社殿。



伊雑宮の横に御料田がある。



森になっているのが伊雑宮である。



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古い御朱印帳から 伊賀一宮 敢国神社

2020年08月20日 05時00分09秒 | 旅行
都波岐奈加等神社を参拝後、伊賀上野に向う。伊賀一宮の敢国(あえくに)神社を参拝。

以前に個人でお詣りしたことがあるが、伊賀上野駅でレンタサイクルを借りて、田舎道を走った記憶がある。町の郊外に鎮座する。

田舎である。


鳥居。


社殿は階段を上がった上にある。





横長の社殿である。



上から鳥居を見る。



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古い御朱印帳から 伊勢国一宮 都波岐奈加等神社

2020年08月19日 05時09分12秒 | 旅行
伊勢の一宮は二社あり、一つが椿大神社、もう一つが都波岐奈加等神社(つばきなかと)である。

鈴鹿市の一宮町に鎮座する。鈴鹿川に近い。

椿大神社は参拝客の絶えない神社だが、こちらはどうなのか。神職さんは一人で、休むときもあるという。御朱印をもらうときには電話で確認した方がいい。



都波岐神社と奈加等神社が相殿して祀られている。





社殿は耐火建築物で古社の趣はない。



かって弘法大師が参籠したことがあり、別宮寺が存在していた。


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古い御朱印帳から 伊勢一之宮 椿大神社

2020年08月18日 13時53分25秒 | 旅行
平成25年9月、伊勢・志摩一宮めぐりのツアーに参加する。

最初に訪れたのが、伊勢一之宮・椿大神社(つばきおおかみやしろ)である。読み方が難しい。

以前に個人でお詣りしたことがあるが、四日市駅からバスで1時間ほどかかった。旅行会社のツアーは楽だ。


伊勢國の一之宮というと伊勢神宮ではないかと思うだろうが、伊勢神宮は別格である。

椿大神社の祭神は猿田彦で、御朱印にもあるように猿田彦の大本宮である。猿田彦大神御陵の前に創建された。紀元前3年のことだというから、雲をつかむような話である。社家の山本家が代々宮司を務めている。97代目という。



社殿。




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古い御朱印帳から 武蔵一宮 氷川女體神社

2020年08月16日 09時58分35秒 | 旅行
大宮の氷川神社を参拝したあと、大宮駅から東浦和駅へ移動。


駅前に見沼の竜神像があった。見沼=御沼で、神の宿る沼である。


東浦和駅からバスに乗り、芝原小学校前で降車。ここから徒歩10分である。

氷川女體神社は見沼氷川公園に隣接する。氷川女體神社とは生々しい神社名だが、氷川神社が男体社、氷川女體神社が女体社ということが分かる。ペアの神社である。

見沼氷川公園。見沼は、古代は海だった。海面が後退し、沼となった。その後、徳川時代に干拓され農地となった。




階段を上がる。かっては海を見下ろす丘だった。


浦和という地名は、ここがかって「浦」だったことを示す。つまり、海辺だったのだ。


境内は素朴。


社殿。


神職さんが常駐しているわけではないので、電話で確認してからお詣りした方がいい。

氷川神社、氷川女體神社の他に、この二つの神社の中間地に氷王子社がある。今の中山神社である。古代人は、この三社を氷川大神として崇めたという。

中山神社はまだお詣りしたことがない。さいたま市見沼区中川に鎮座する。

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古い御朱印帳から 武蔵一宮 氷川神社

2020年08月15日 11時20分44秒 | 旅行
武蔵一宮・氷川神社を参拝する。大宮駅から歩く。

大宮駅の「大宮」はもちろん氷川神社のことをいう。大宮駅から歩くと、参道の途中から入ることになるが、それでも長い。


二の鳥居。



三の鳥居。



神橋を渡る。


朱塗りの楼門が豪華だ。


社殿は、案外と素朴である。


武蔵一宮は氷川神社と云うことになっているが、別の説もある。

武蔵國総社は府中の大国魂神社だが、その略記よると、武蔵一宮は小野神社である。府中から多摩川を超えた聖蹟桜ヶ丘駅の近くに鎮座する。武蔵国府のあった府中から近い。もともとは小野神社が武蔵一宮だったのだろう。

氷川神社の祭神は、須佐之男命、大己貴命(おおあなむちのみこと)=大国主命、稲田姫であり、出雲系である。

出雲の神々は、長野県へ進出した。諏訪の神々は出雲系である。諏訪地方から南下し、大菩薩峠を越え、奥多摩地方に入った。JR青梅線の奥多摩駅前に奥氷川神社が鎮座する。付近一帯の渓谷は氷川渓谷である。

奥氷川神社から関東平野に向い、所沢市にある中氷川神社を経由し、現在の大宮市に進出した。当時の大宮付近は東京湾が入り込んでいて海辺だった。つまり、氷川神社は海を臨む神社だった。

氷川という名前の由来は、出雲の簸川(現在の斐川)から来ている。簸川は須佐之男命が八岐大蛇を退治した地である。

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古い御朱印帳から 伊豆國一之宮 三嶋大社

2020年08月14日 15時37分01秒 | 旅行
駿河國一之宮・富士山本宮浅間大社をお詣りし、富士川沿いの生まれ故郷を訪れた。その帰りに、東海道線の三島駅で下り、伊豆國一之宮・三嶋大社をお詣りした。

三嶋大社は父と関係が深い神社である。三嶋大社の近くで、父が生まれ育ったからである。

旧東海道沿いに三嶋大社が鎮座する。JR三島駅から徒歩10分ほど。



毎年のようにお詣りしたときもあった。心が安定してくる。やる気が出てくる。




社殿。現在の建物は、東海大地震(1854年)で倒壊したあと、慶応年間(1866年)に復旧したものである。



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古い御朱印帳から 駿河國一之宮 富士山本宮浅間大社

2020年08月13日 01時38分01秒 | 旅行
平成25年9月、身延線・富士宮駅に鎮座する駿河國一之宮・富士山本宮浅間大社を参拝する。

夏も終わり、何か、行き詰まりを感じたときだった。こういう時は、初心に帰るのがいい。自分の生まれ故郷へ行ったのだ。

その途上で、富士山本宮を参拝した。






社殿。



ここで全国一之宮巡礼を完成させようと決めた。平成13年から始めたのだから、13年たってもまだ全部回り終えていない。年内にお詣りしていない一之宮を巡ることにした。

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古い御朱印帳から 山形県 出羽三山神社                                                                                                                                                                                                                                            

2020年08月12日 01時56分50秒 | 旅行
出羽三山神社の一つ、羽黒山へ行く。羽黒山には、羽黒山神社があるのではなく、出羽三山神社が鎮座する。三神の合祭殿である。

月山は1984メートル、湯殿山は1500メートル。冬場は登山が困難だ。羽黒山は414メートルである。

国宝の五重塔から入る。





国宝の五重塔。


ここから1.7キロの坂道を上がるのだ。もっともバスで上がることもできる。

合祭殿。




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古い御朱印帳から 山形県 湯殿山神社

2020年08月11日 13時47分16秒 | 旅行
湯殿山神社は、出羽三山神社の一つである。月山神社、湯殿山神社、羽黒山神社を出羽三山神社という。

湯殿山神社は、”言わず語らず”の神社で、写真撮影ができない。

鳥居が目立つが、ここは駐車場である。



駐車場からシャトルバスで神社入口まで行く。歩いても行けるが、登りはきつい。帰りは下りなので歩く人も結構いる。



湯殿山神社の御神体については、奇岩信仰であると云っておく。見ると、生々しく思え、ナニかを想像してしまった。

駐車場に戻る。



気にする人は少ないが、駐車場にお墓が並んでいる。即身仏の修行をした人の墓である。

即身仏は、生存中に自分をミイラ化しながら死ぬ。無事に即身仏になればいいが、失敗する人もいるし、一旦は即身仏になりながらその後腐敗してしまう人もいる。そのような人たちの墓がここにある。

即身仏を見たければ、近くの大日坊や注連寺に行くといい。不気味に見えるから気の弱い人は避けた方がいい。




































































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昭和新撰江戸三十三観音 第6番札所 清水観音堂

2020年08月09日 10時13分23秒 | 旅行
昭和新撰江戸三十三観音めぐり、第2番札所の清水寺(せいすいじ)から上野公園にある第6番札所の清水観音堂へと移動する。

ここは専門の書き手がいて、御朱印も大丈夫でしょと、清水寺の住職さんに言われたからである。

清水観音堂は寛永寺の塔頭である。

3月11日。上野公園の入口は桜が開花していた。



清水観音堂。




御堂の前に名物の”月の松”がある。真正面にあるのが弁天堂だ。



上野公園の桜並木。ここは開花していず、閑散。




博物館、美術館は臨時休館だった。




2月29日から3月16日まで外出は控えるようにと云われていたのだ。その後、17日から外出可能になったが、上野公園は花見客で賑わい、顰蹙をかった。ということで強制的な自粛期間に入ったのだった。これを書いている8月からみると、夢のような出来事に思える。




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昭和新撰江戸三十三観音めぐり 第2番札所 清水寺

2020年08月08日 13時01分59秒 | 旅行
第1番札所の浅草寺から第2番札所の清水寺へ歩く。清水寺は合羽橋商店街の中にある。

合羽橋商店街。外国人観光客で賑わう商店街だったが、3月は既に観光客がいなかった。



かっぱ河太郎の像がある。


第2番札所の清水寺。実は、すぐに分からなかった。商店街の建物に溶け込んでいて見分けがつかなかった。

以前は、ここだけ樹木に覆われていた。樹木は伐採され、お堂も真新しくなった。ついでにいうと、背後は賃貸マンションになっていた。本堂は小さくなった。


全体、建物は瀟洒になった。



ここで御朱印をもらい、住職さんと話した。

御朱印は2週間ぶりということだった。お詣りする人がいなかったのだ。御朱印は1年間で4000枚ぐらい書くという話だった。既に霊場まわりの人は自粛していたらしい。

御朱印はやらないという所もあるらしい、という話を聞いて、霊場めぐりは諦めようという気になった。

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昭和新撰江戸三十三観音めぐり 第1番札所 浅草寺

2020年08月07日 20時40分01秒 | 旅行
今年の3月のことだ。今年は坂東三十三観音霊場めぐりを成就する予定が、旅行会社のツアーはコロナの影響で中止。秋以降に延期した。(もっとも8月現在、秋以降のツアーも中止だ。今年、来年春は無理だろう。)

それではということで、近場の観音霊場めぐりに切り替えた。鎌倉観音霊場は去年廻ったので江戸三十三観音霊場を廻ろうとした。

結局は、一日で、やめた形になっている。

昭和新撰江戸三十三観音霊場は、江戸時代の観音霊場とは札所が違う。異動がある。それ故、「昭和新撰」という名前になっている。

第1番札所は浅草寺で、これは江戸時代と変らない。

3月11日というと、すでに外出自粛が云われていたので、浅草寺も参拝客は少なかった。

浅草駅前の吾妻橋。スカイツリーも見える。



雷門。いつもは観光客で鈴なりだが、自粛モードで昼前なのにガラガラだった。


仲見世も人の姿が乏しかった。


宝蔵門。


本堂。


朱印所も空いていた。江戸三十三観音霊場は専門の朱印帳がない。雷門の派手な朱印帳を買い求めた。


8月現在、東京の感染者も増えているので、秋になってお詣りもできないだろう。このまま中断になるかどうか。

浅草寺から駒形橋まで歩く。ここに駒形堂がある。江戸時代は、ここが第2番札所だったのだ。



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