ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印散歩 東京都墨田区 牛嶋神社

2022年09月11日 09時10分24秒 | 旅行
浅草駅から吾妻橋を渡り、隅田公園へ歩く。隅田公園に隣接して牛嶋神社が鎮座する。もともとは、水戸徳川家の下屋敷があったところである。隅田公園に池泉回遊式庭園があるのはそのためである。

あいにくと、庭園は補修工事中だった。


牛嶋という名前に由来は、かっては、本所一帯を牛嶋と呼んだからである。江戸時代以前は、このあたりは、江戸湾が深く入り込んでいて、いくつかの島が点在していた。徳川幕府が埋め立て、現在のような地形になった。地名に「島」がつくものがあるが、昔のなごりである。



三ツ鳥居が珍しい。


社殿は重厚である。祭神は、須佐之男命。創建は、860年という。



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御朱印散歩 東京都台東区 浅草神社

2022年09月10日 08時23分48秒 | 旅行
吉原弁財天から浅草寺へ向う。浅草寺の巨大本堂の右横に浅草神社がある。浅草寺の境内に間借りしているようで、印象はよろしくない。

浅草寺の開創にかかわった神様を祀っているので浅草寺の境内にあるのは正しいのだが…。



祭神は、土師真中知命、檜前浜成命、檜前竹成命で、三社様と呼ばれている。


浅草寺の本堂。参詣者は増えたが、以前ほどではない。


雷門。コロナ前の賑わいを取り戻すのはいつになるだろう。



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御朱印散歩 東京都台東区 吉原弁財天

2022年09月09日 16時25分39秒 | 旅行
吉原神社の南30メートルの所に吉原弁財天がある。


境内は一見華やかだが、どこか、冷え込んでいる。背筋が寒くなった。


創立は不明。ここには大きな池があった。池といえば弁財天である。その連想で弁財天を祀るようになったらしい。

この池で、関東大震災の時、悲劇が起きた。逃げてきた吉原の娼妓がこの池で溺死したのだ。その数は460人という。460人も溺死するかという疑問が起きるが、猛火で酸欠状態になり意識を失ったことで、池で溺死したものだろう。

慰霊のための観音像が境内に立っている。


弁天堂。色彩が鮮やかだ。



お堂の前に池があり、鯉が泳いでいた。悲劇の池は、その後、埋め立てられ、その一部が残るのみである。


境内の雰囲気からパワースポットに取り上げられているが、震災時の悲劇を思えば、魔界のように思える。怨霊がさ迷っていると感じる。東京魔界めぐりに入れたいぐらいだ。

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御朱印散歩 東京都台東区 吉原神社

2022年09月08日 08時33分01秒 | 旅行
鷲神社を参拝後、吉原神社へ向う。鷲神社の背後は都立台東病院だが、病院の吉原ソープ街寄りに吉原神社がある。都立台東病院を挟んで、国際通り側に鷲神社、ソープ街側に吉原神社が鎮座する。

吉原神社の創建は、1872年。明治になってからである。もともと吉原遊郭には五つの稲荷神社があった。それを一つにまとめ、最終的に現在地に移した。



もともとが稲荷神社だったため、祭神は、倉稲魂命である。これに加え、市杵島姫命(=弁財天)を祀っている。


御朱印に「江戸新吉原仲之町鎮座」とあるのは、吉原遊郭ができた当時は「新吉原」と呼ばれたからである。

もともと吉原遊郭は1617年に江戸の日本橋近くにできた。葭の生い茂った原っぱにできたことから、「葭原(あしはら)」と呼ばれた。しかし、「葭=悪し」に通じるということ縁起をかついて、「良し=𠮷」と変え、吉原になったものだ。

当初の日本橋近くの吉原遊郭は、明暦の大火で焼失したため、新たに浅草田圃の中に新しい吉原遊郭をつくった。新吉原と呼ばれたのはそのためである。

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御朱印散歩 東京都台東区 鷲神社

2022年09月07日 08時16分22秒 | 旅行
日光街道沿いにある(下谷)三島神社から、国際通りへと歩く。10分ほどで鷲(おおとり)神社へ着く。

鷲神社は、なんといっても酉の市である。混雑ぶりは半端ではない。お参りするのも大変だ。

2022年は三の酉まである。11月4日、16日、28日である。

酉の市に行くと、提灯だらけで拝殿は見えない。拝殿の形を見るために立ち寄ったのである。

ちなみに樋口一葉の「たけくらべ」に出てくるが、「大鳥さま」と呼んでいる。


背後に見えるのが都立台東病院である。昔の吉原病院である。吉原のソープ街の真ん前にある神社だ。





拝殿はこういう形でした。祭神は天日鷲神、日本武尊である。


創建は不明。吉原遊郭が出来る前は周辺は田圃だった。御朱印にも「浅草田甫」と書いてある。

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御朱印散歩 東京都台東区下谷 三島神社

2022年09月05日 08時06分19秒 | 旅行
小野照﨑神社を参拝後、日光街道を北千住方向へ歩く。10分ほどで(下谷)三島神社に至る。



日光街道から少し入ったところにあるが、歩道橋のあるところで左に曲がればいいから分かりやすい。

境内は狭い。もともとは火除稲荷神社の敷地だったところである。

この(下谷)三島神社の由来はややこしい。

伊予の御家人だった河野通有は元寇の時、武勲を上げたが、出征前に三島大明神(大山祗神社)に祈願した。その戦いの帰りに夢で上野山内に三島大明神を奉齊するようにお告げがあった。伊予の御家人と上野は結びつきにくいが、河野氏の館があったらしい。1281年のことである。

三島大明神は、江戸時代に根岸に移され、その後、現在の田原町駅前に移された。今でも三島神社があるが、これが本社である。

ただ、本社までは遠く参拝に不便だということで、火除稲荷神社の敷地に三島大明神を分請した。これが今の下谷の三島神社である。だから、分社といえる。

樋口一葉の「たけくらべ」に出てくるが、土地の人は、「三島さま」と呼んでいた。




三島神社は、河野通有が創建したが、伊予の河野氏というと、時宗の創始者・一遍上人も河野氏の出自である。

調べると、河野通有の祖父は河野通久で、その兄が河野通広である。兄の河野通広の子が一遍上人であるから、同じ家系である。

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御朱印散歩 東京都台東区 小野照﨑神社

2022年09月04日 08時53分12秒 | 旅行
東京の入谷にある小野照﨑神社を参拝する。地下鉄日比谷線・入谷駅の4番出口を出ると、目の前が日光街道である。4番出口から右側へ2分ほど歩くと、小野照﨑神社に着く。

小野照﨑神社の祭神は、小野篁(おのたかむら)である。平安初期の屈指の詩人だった。相殿に菅原道真が祀れている。ということで、学問・芸能の神社で、芸術家の参拝が多い。

「照﨑」というのは、当初は上野照﨑の地に祀られていたからである。寛永寺の建立に従い現在地に移された、ということから、現在の上野公園にあったのだろう。創建は852年という。

小野篁は不思議な人で、毎夜、閻魔大王のもとに通って、補佐役を務めたという伝説がある。

天才肌で性格は狷介なところがあり、嵯峨天皇の怒りに触れ、隠岐の島に流罪となったことがある。その時に歌った和歌が百人一首に選ばれている。第11番の歌である。「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣り船」

小野照﨑神社は、樋口一葉の「たけくらべ」に出てくる。当時の土地の人は「小野照さま」(おのてるさま)と呼んだ。





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御朱印散歩 東京都高輪 高輪神社

2022年09月03日 09時04分40秒 | 旅行
高輪神社は、第一京浜沿いに鎮座している。高輪ゲートウェイ駅の正面に位置するので、高輪ゲートウェイ駅でおりる。

高輪ゲートウェイ駅は2020年に開業した新駅で、最新の設備を整えたものだ。やはり、新駅はゴージャスである。



もっとも駅ナカにあるのはスターバックスと無人のコンビニだけ。駅周辺は再開発工事中で、今のところは陸の孤島といったところか。

本開業は2024年ということである。どういう風景になるか、気になるところではある。


高輪ゲートウェイ駅前が工事中なので、高輪神社へは迂回しなければならない。再開発が終われば、駅から真っ直ぐ行けるようになる。



祭神は、宇迦御魂神である。もともとは、稲荷神社だった。創建は明応年間(1492年~1501年)であるという。



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御朱印散歩 東京都築地 波除神社

2022年09月01日 09時51分27秒 | 旅行
旧築地市場前に鎮座する波除神社を参拝する。大江戸線の築地市場駅から歩く。

築地市場は豊洲に移転したが、場外市場の方はそのままで、健在である。

正面奥に波除神社がある。


場外市場はまだまだ人気がある。若い人が多かった。こういう所が面白いらしい。


波除神社は、境内が狭い。


拝殿の獅子頭が目立つ。珍しい光景である。



波除神社の祭神は倉稲魂命であるから、もともとは稲荷神社である。

築地一帯は徳川時代に埋め立てられたところだが、非常な難工事だったらしい。堤防を築いてもすぐ波にさらわれたという。稲荷大明神の御神体を祀ったところ波風が収まり、埋め立てが完了した。ということで、稲荷神社をここに創建した。

獅子頭は、雲を従える龍と風を従える虎を威伏させるものとして奉納された。拝殿に獅子頭が置かれているのはそのためである。

波除神社の背後は旧築地市場だが、再開発される。汐留のような風景になると思うが、その時、波除神社がどのように映じるか気になるところである。



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