思わぬところに、「鳴る」龍がいた。
高幡不動尊は、立川からモノレールで10分足らずである。この寺は、タイミングがあえば、不動堂の中に入って座し、僧侶たちの読経と声明が聞ける。そして、身代わり本尊である不動明王坐像の前に進み出て、ひとりひとり拝むことができる。身体の底に響く真言宗の太鼓の音は、次第次第に、こころの奥、奥へと響き、そして感動が全身に伝わってくる。その後、管主の説教の言葉も素直に聞くことができ、なんだか、古都に来たようで得した気がしてくる。
不動堂のひとつ奥、大日堂の中に入ると、古来日本一といわれる丈六の不動三尊像(重要文化財)が拝める。不動明王は像高285.8cm、火炎光背は419.8cm。中に入って拝観しなくても、ガラス越しに外から参拝できるが、こうして間近に仰ぎ見ると、その迫力はまったく違う。
朱の中で、燃え上がる人間の情念、怒り、迷いを鎮めるかのように赤く座しておられる。もともと不動明王は如来の化身であるから、仏格では最高位にある仏像だ。大日如来と同等の格をもち、霊験と威厳に満ちている。如来三尊のように優しく落着いた前に座すのもいいけれど、このきわめて雄偉な像の前に立ち、“ああ、ほんとに力づくでもいいから、なんとか、なんとかしてほしい”という時には、しみじみすがりつくように拝みたくなる。
さらに奥の山門をくぐって、大日堂に入る。そこに「鳴る」龍がいた。天井画のこの龍が、日光東照宮の「鳴き龍」と違って「鳴り龍」といわれるのは、実際に「声」を聞いてみれば分かる。東照宮の龍は、拍子木をたたくと“キュィン、キィン、キィン”と金属音を出して、確かに鳴く。
ここ大日堂の天井画の中央、真下に立って、両手を打つ。“びゅるん、びゅる、びゅる”と聞こえる。鳴いているというより堂の天井か何かが震えて響いてくる。まさに「鳴って」いるように聞こえる。龍はおそらく「鳴く」のではなく、全身で「鳴る」のであろう。そうすると、こちらの龍のほうが、よほど本当に鳴いているように聞こえる。
東照宮では、堂内で寺職の人が拍子木を叩いて龍を鳴かしてくれた。でも勝手に参拝者が鳴かすわけにはいかない。うれしいことに、この高幡不動の大日堂内では、天井の龍の下に立ちさえすれば、誰でも何度でも両手を打てば鳴いてくれる。面白がって、何度も叩いて龍を鳴かしてみた。
そのたびに龍は、“びゅるん、びゅる、びゅる”と鳴ったのである。
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