こちらの高校英語のカリキュラムの中で、critical thinkingというのがありました。日本訳にすると「批判的思考」。この「批判」という響きから私は最初他人の意見を批判して攻撃するようなネガティブな第一印象を持ちました
でも実際はそういった事ではなく、自分が見聞きした情報が 本当に事実に基づく正しいものなのか。そういった事を客観的に判断しようとする思考力の事です。 メディアで使われる映像はメーカーのイメージに沿うように簡単に修正もできます。でもそれを見て「私もこうなれる」と思ってしまうのは違うのと同じ
私が取り組んだ課題は、CM映像を使ったもので、自分でもいくつかのCMを選んで分析し、どういった意図でこれらが作られているのか、この情報の裏にどういった目的が隠されているのか、私達はこれらの情報を見聞きする際に、どういった視点を持ち、その情報をどう受け止めると良いのか。というような事をエッセイに書くものでした。
日本の小学校5年生の国語の教科書にも、「言葉と事実」というお話しが掲載されています。「事実」は1つでも、その事実を受け止める側の「印象」はひとそれぞれ。よって、その「表現」も受けた印象によって変わってくる。
だから、新聞、テレビ、週刊誌、ネットのニュースでも同じ事実に対しても、報道のされ方に違いが生じる。
書き手によって情報操作がされている事だってあるし、ネット情報に関しては、自分の関心に近い情報が掲示されるようになっているから、さも、それが一般的な事実で、大衆が自分と同じ意見を持っているかのように錯覚してしまうことも珍しくない。Facebookがその辺り有名。
なので、自分が話したり、書いたりする時には、どのようにその事実をとらえ表現するかに気を配る必要があるし、逆に誰かの発言や書いたものを読むときは、その話し手や聞き手が どのような物の見方をし、どのような目的で、何を伝えようとしているのかをいうところまで考える必要がある。と書いてあります。 教育出版 言葉と事実より
子供達の方が、小さい頃からこう言った視点に触れる勉強をしているから、実は大人よりも素直に、critical thinkingを持っているのかもしれないあ。。と感じました
それと、私は以前日本語学校で教える仕事に携わっていましたが、例えば1週間に1度 たった2時間の授業の為に、あれやこれやと調べ、準備を整えるのに、集中しても毎週最低8時間。多い時はそれ以上 時間が必要でした。もちろん、この分のお時給など出ません。1クラスと言っても中身は5、6レベルに分かれていたという事もありますが、家でゆっくりくつろぐ時間なく大変でした。
でも、生徒達は授業の2時間の姿しか知らない。 親御さんは多分 自分のお子さんが何を学んできたか、先生が自分の子供に何をしてくれたか。という事に関心が強いと思います。
何が言いたいかというと、どんな仕事であれ、ボランティアであれ、表面で見えていないところで、努力や苦労が隠れているし、何かを犠牲にして、思い悩んでいたり、より良い物を作る為に多くの時間を費やして考えたり、調べたりと時間を費やしているという事。自分が見聞きした事は、一部であって、その相手は自分が知らない所で、全く想像した事もないような量や内容の仕事をしている事だってあるということ。
主婦業や育児が社会から評価されにくいのと同様に 見えない部分での努力や苦労の積み重ねは、本人にしかわからいって事。
それを その相手とほんの少しの間 直接関わったり、見聞きした一部分の情報や表現から、その人の人格や仕事の全てを決め付けたり、評価を下すというのは あまりに単純な思考で、人の苦労をねぎらったり、思いやる気持ちが私にはありません。と、わざわざ世間にアピールしているようなものだと私は思います。
カナダでもテレビのニュース1つで、ああ、、この局はこの政党が好きなんだな、嫌いなんだなって 私でもわかります(笑)
日本のニュースや情報番組でも、政治関係の話になると、コメントしてる本人が以前の発言と矛盾してる事に気がついてないのか、笑っちゃうくらい とにかく批判して世の中の同情を買おうとしてる?のが伝わってきます。アホらしくてチャンネル変えるけど。
で、そう言った発言が、ネットのニュースにあがっていたりして、これまたどういう意図なんだろう?? 同情票を集めたいのか、それとも、そのコメンテーターの評判を落としたい目的なのか。。 メディアに出る方達も、有る事無い事適当に判断されて書かれたり、お気の毒様ですね。
今まで以上に、造られた情報が出回っている世の中なので、大人も子供達に負けずcritical thinkingを持ちながら、情報処理する必要があるし、偽情報に振り回されず、見えない部分の労力を想像できる大人でありたいなあ。まとまりなく書いてしまいました。