【はっきり言いましょう。関係性はどうあれ、嫌いな人は嫌いなのです。どんなに頑張っても、嫌いになってしまうときは嫌いになってしまうのです。そして、嫌いな人との関係性をどうするかは、あなたの自由です。そして、嫌いの種類によってさまざまな選択肢があるのです。
だから、あなたの好きなように、適切に嫌えばよいのです。
嫌いと認め、なぜ嫌いか考察し、自分の人生にどう生かすのか考える、つまり、「嫌いを運用する」という選択肢をもつことが、賢く生きる知恵でもあるのです。】
なるほど。元気づけられる言葉だ。
綺麗事ばっかり書いてある記事が多い中、「嫌い」をこんなにも肯定してくれる記事はない。
私は「嫌い」の感情を抱きやすい。
学校では散々「みんなと仲良くしましょう」と教わる。それはまるで「人を嫌ってはいけない」と教わったように感じてしまい、罪悪感を持ってしまう。
私はそんなの無理って思ってた。
中野さんが言いきってくれたように
「嫌いなものは嫌い」でいいんだ。
どう振る舞うかが問題だと。
嫌いでも、気に入らなくても、妬ましくても、意地悪はしてはいけない。
お互いに自由に幸せに生きる権利がある。
どっちが正しいとか、間違ってるとかではなく、それぞれの考え方があるのだから。
自分なりの正義があり、相手にもある。
「こう思う」は内心の自由として、憲法でも保証されている。だから、心で嫌ってもいいのだよね。
ホント仕方がない。
どうにも好きになれないのに、無理していいところを探そうとかしても、嫌なところしか目につかない。
考えれば考えるほど、嫌なところばかりを探してしまう。
ホントどうにもならないのだから。
私はきっと共感が欲しいんだなと感じた。
それは散々、否定されてきたからだ。
嫌ってる人の言葉がなぜそんなにも嫌だったのか、考えてみた。
「そんなことより」
「こうだからね」
「こうなんじゃない?」
私の想いに共感した言葉をもらえず、持論をさも偉そうに語られるのが、どうにも耐えられなくなったんだなぁと。
なるべくこれから接点を減らそう。
なんか言葉をみるだけでも、イラつくようになってしまった。
生理的に無理になってしまったんだな。