春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

新日本紀行!・・・友から近藤富枝さん!

2016-07-26 22:15:28 | 残念・・・!

友が、「新聞見た?」と、別人のような声で尋ねてきた。
「近藤さん載っているわよ!」と、それっきりである。
私はかなりのあわてん坊であるが、慎重な時もある。
今日は、そのどちらでもなく、小雨が降り出した辺りから、
ぼんやりし始めて「どこかでのんびりしたいなと」思っていた。


尋ねた記事を見つけた「近藤富枝」さんの訃報記事だった。

近藤さんの語り。【NHKアーカイブから】
もっとも私はそそっかしいから、南仏蘭西を『なんふつらんせい』と読んだりして、
たくさん失敗もしましたけれど(笑)。  
先輩や同僚と、戦況について話すこともありませんでした。
よけいなことを言ったら、すぐに“引っ張られてしまう”世の中でしたからね。
だんだん戦況が厳しくなって、これはおかしいと感じ始めました。
退却ではなく『転進』と言ってみたり、全滅を『玉砕』という表現に変えたり。
何よりも、(特攻隊戦死者のための)『2階級特進』のニュースをたくさん読むことになって、こんなに若い人が亡くなっていいのだろうか、という思いを持ちました」 


こんどう・とみえ 【NHKアーカイブスから】

1922年8月、東京生まれ
'43年9月、東京女子大学を卒業後、文部省教学局国語課に勤務。
'44年日本放送協会に入局、'45年退局。
'68年に処女作『永井荷風文がたみ#--ほろびし東京の歌』を執筆後、
作家として多くの作品を発表。大正・昭和の文壇史に始まり、
平安・明治・大正の服飾史、王朝継ぎ紙、『源氏物語』関連の著作などがある。
NHKでは、番組ゲストとして〈日曜美術館〉〈美の壺〉などに出演。
武蔵野女子大学(現武蔵野大学)元特任教授、財団法人民族衣裳文化普及協会理事、
王朝継ぎ紙研究会主宰。 

私が知っているのはせいぜい「紫式部の恋」や
節三資料の為に拝見した「本郷菊富士ホテル」
テレビ「佐藤千夜子の・いちばん星」の、関連で
「本日も晴天です」の連続ドラマの内容くらい。


ただ、本人を調べて、「すごい人がいた!」
「気になる作品を数多く書かれた方」
話題にしたことはある。
友は、よく知っているらしい。
近藤さんの生まれた1922年。
関東大震災の前年であって、

20歳のときには、アメリカでは12万人の日系人が強制収容所に送られた年でもある。
多感な青春を戦争に抓まれようとした中で
輝く一輪の花のような方であったでしょう!
「友」の気落ちを思い、近藤富枝さんには、お花・・・・・・・。


     

コメント
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