♪~ Stargazers ~♬
星に願いを
Omar Akram
勢多郡東村。
1700年初頭から彫刻集団を形成し始めた村。
1700年初頭から彫刻集団を形成し始めた村。
1743年花輪へ2つの峠を越えて12歳の少年が、
あかぎれの指に小さい仏像を抱えて、
あかぎれの指に小さい仏像を抱えて、
東照宮の飾り彫刻の修繕を手掛ける、
公儀彫物師・石原吟八郎さんののもとへ。
即決、弟子を許されました。
公儀彫物師・石原吟八郎さんののもとへ。
即決、弟子を許されました。
以後、独立した後も吟八郎さんが亡くなる
1767年、最後も看取ったのが、関口文治郎。
1767年、最後も看取ったのが、関口文治郎。
彼の遺骨は、黒保根村の医光寺に在ります。
医光寺は文治郎が、師匠を失って傷心のまま、
隠れるように一人、
21歳の時から、欄間に彫刻を施したお寺。
医光寺は文治郎が、師匠を失って傷心のまま、
隠れるように一人、
21歳の時から、欄間に彫刻を施したお寺。
👇その一部です
関口文治郎、榛名山の
榛名神社の海老虹梁の龍を彫り上げ、
一度は給金の全額を、受け取りながら、
一年後、彫物代金を全額、寄進した実話。
更に一年後
榛名神社の海老虹梁の龍を彫り上げ、
一度は給金の全額を、受け取りながら、
一年後、彫物代金を全額、寄進した実話。
更に一年後
妻と子ら、ライバルらに看取られて・・・・
1807年7月17日、享年77歳。
1807年7月17日、享年77歳。
平成30年5月、近くの関口家墓地から移して、
子孫たちと一緒に・・・・
子孫たちと一緒に・・・・
花輪宿で会ったネコ、
私はこの猫の名を、文治郎と名付けてました。
2022年5月、墓参りの前倒しで、
訪れた時は、もう居なかった・・‼
私はこの猫の名を、文治郎と名付けてました。
2022年5月、墓参りの前倒しで、
訪れた時は、もう居なかった・・‼
今日だったら居たろうか
・・・・・
一人の人間を慕い、尊敬してお墓をおとずれる
とよ様。
花輪彫刻集団が住んだ場所も知らず、無知な私は
驚きとその彫刻師の素晴らしさを知ります。
圧巻の彫刻。その方はどんな気持ちでひ たすら
彫っていたのでしょう。
とよ様が惹かれる気持ちが少しずつ分かってくるようですが、あまりの奥深さに脱帽です。
訪れて、墓参り・・・なぁんにもありません。
心に刻まれた人のことは、自分だけが知ってるだけ。
彫刻集団、地元の方たちも・・へえ~となる時勢です。
でも、遠い場所であっても、たまたま、歴史に残ってるだけのことです。
愛するか、素通りするかは・・・・・ウン‼
たまたま、共鳴するものがありました。
明日もまた、彼らが枕元に現れるのを期待して・・です。