去年は一度も山に登りませんでした。
今年もまだ、
600メートルほどの、
高尾山まで10分ほどの所に住んでるのに、
今年もまだ、
600メートルほどの、
高尾山まで10分ほどの所に住んでるのに、
麓までで、山の絵に額をくっつけて・・やま~・・。
思いがけず山道を歩きました。
札所26番・岩井堂の標高が380mで、
次の27番・大渕寺までの尾根には30メートルの、
岩場があり小山がありる1キロメートルばかり。
30メートルの岩場もあり、こぶもあり、
汗をかいて歩く・・・
岩井堂から
札所26番・岩井堂の標高が380mで、
次の27番・大渕寺までの尾根には30メートルの、
岩場があり小山がありる1キロメートルばかり。
30メートルの岩場もあり、こぶもあり、
汗をかいて歩く・・・
岩井堂から
苔むす巌道を登って
👇一際別天地のように、
神々しい大仏さんに出くわします。
ここの地名は「影森」名の通り、
立冬から立春までは武甲山の影になり、
日野では遠く、上水の便も悪く開発は遅れ、
これから訪れる護国観音様までの1キロばかり、
修験者は巌道を幾度も武甲山を見ながら、
幾度も往復し、邪心の去り行を積み、
江戸で観音講を広め、喜拾を受けこの大仏を造り、
運んだという、お堂も地元民の労力奉仕で建造されたもの。
奥武蔵、素朴で真摯な住民の心意気が伝わります。
神々しい大仏さんに出くわします。
ここの地名は「影森」名の通り、
立冬から立春までは武甲山の影になり、
日野では遠く、上水の便も悪く開発は遅れ、
これから訪れる護国観音様までの1キロばかり、
修験者は巌道を幾度も武甲山を見ながら、
幾度も往復し、邪心の去り行を積み、
江戸で観音講を広め、喜拾を受けこの大仏を造り、
運んだという、お堂も地元民の労力奉仕で建造されたもの。
奥武蔵、素朴で真摯な住民の心意気が伝わります。
👇大仏さんのちょっと向こうに、
再建された修験場が
再建された修験場が
祠の向こうには、今は樹木が茂って見えませんが、
武甲山が・・。
武甲山が・・。
江戸、羨望の伊勢神宮と金比羅宮、
修験場の中は、香川県象頭山金比羅大権現様を・・。
きっと、裕福でない秩父の人たちが、
ここで時を過ごしたのでしょうね。
修験場の中は、香川県象頭山金比羅大権現様を・・。
きっと、裕福でない秩父の人たちが、
ここで時を過ごしたのでしょうね。
麓には琴平神社もあります。
ここから巌道尾根、27番の大渕寺まで約一時間、
ハイキングです。
ハイキングです。
時折ロープで、👆護国観音様のところ、
鎖で登ると・・👇白衣観音。
鎖で登ると・・👇白衣観音。
高崎・大船とともに関東三大観音像と呼ばて、
1935年戦争の足跡が、ひしひしと伝わる頃、
左の手には、
1935年戦争の足跡が、ひしひしと伝わる頃、
左の手には、
蓮華の代わりに「剣」を持つ象に・・。
ここで3時間遅れの昼飯、
みちの駅「あしがくぼ」の、
手作りの握り飯。
あそこに家がある、高いところにも建ってる・・と
ぶつぶつ言いながら・・。
みちの駅「あしがくぼ」の、
手作りの握り飯。
あそこに家がある、高いところにも建ってる・・と
ぶつぶつ言いながら・・。
👇札所27番、大渕寺に着きました。
車で回る巡礼よりはるかに、
充実感がありました。でも大変なことです。
充実感がありました。でも大変なことです。
周りの景色は鬱蒼とした神々しい雰囲気。
秩父の人たちの篤い信仰心が沸々と感じて、本当に
素晴しい所だと感じています。
梅雨時の雨で滑らないうちに、お参り出来たのは
良かったですね。
ハッとする黄色い花が応援してくれました。(^^♪
梅雨時、晴れる予報を当てにしていきました。
歩いての札所巡りは、改めて大変なことなんだと、
この苦行をなしてきた人たち、
心から尊敬してしまいます。