融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2019年03月23日 | 礼拝のご案内

 明日3月24日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝があります。メッセージは、「人が考える告白」です。讃美歌は、「栄えの主イエスよ」、「ああ主は誰がため」、「十字架のもとに」です。礼拝後には、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 年度末の月を迎えています。本年度も、たくさんの方々に祈られ、支えられましたことを感謝いたします。唯々、感謝いたします。何のお返しもできません。天国に宝を積んだと思ってください。心から感謝いたします。

 この時期は、卒業、進級、入学、就職という節目を迎えます。若い人たちが祝福され、希望を胸にして羽ばたいて欲しいと思います。それができるようにするのが、大人の役目ではないかと思います。自分さえ良ければそれでよしとする大人になっていないか、常に自問自答することを忘れないようにしたいと思います。

 酷かった口内炎も、峠を超したようです。口の中が痛むというのは相当なストレスです。口の中が痛むことなく、食べられるのは、本当に有り難いことなんだと思います。健康で生きられるということは、それだけで尊いことなんだと思わされます。平生から、そのことを忘れないようにしたいと思います。

 上の子どもの住む場所も決まり、契約にこぎ着けることができました。ギリギリ月末に入居できるそうで、これから荷物をまとめ始めているところです。業者さんに頼むほどではありませんので、私が軽バンで運びます。

 しかし、この一件、口内炎ができるほどに大変だとは思いませんでした。私にとって、これからしばらく何年も大変な状況が続くだろうと思います。何とか頑張りたいと思います。不足だらけだからこそ、時宜に応じて必要なものが備えられるという信仰が試されているのだと思います。笑われないように地に足をつけて頑張りたいと思います。

 


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「信仰の目的」

2019年03月23日 | 聖書のお話

「信仰の目的」 ルカによる福音書 11章24~28節

 人は何を目的として信仰を持つのでしょうか。聖書の時代では、社会の中で偉くなりたいために信仰を持つという傾向がありました。信仰深いと称えられるのは、社会的なステイタスも高いということであり、祭司、長老、律法学者、ファリサイ派等の人たちが、そうでした。反対に、社会的に最も低くされていたのが罪人と呼ばれる人たちでした。

 イエスさんは、そのような時代の中にあって、汚れた霊を追い出して信仰深くなろうとしたにも関わらず、かえって以前の状態よりも悪くなってしまう有様について教えています。偉くなりたいために信仰を持とうとすると、そうなると注意を促しているように思います。

 話しの最中に、群衆の中から「なんと幸いなことでしょう。あなたを宿した胎、あたなたが吸った乳房は。」という女性の声がありました。イエスさんを称える言葉なのですが、彼女の言葉は自然と“人を称える”言葉になっています。それに対して、イエスさんは「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」と教えました。信仰の目的は、神の言葉を聞き、それを守ることであると教えられているように思います。

 


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