60歳に手が届きそうになり、両親が天に召されるとか、介護が必要な年齢になりました。先に母親が天に召され、92歳の父親が独りで生活を続けるにも限界を感じ、思案していたところグループホームへの入所が実現し、ほとんど奇跡だと受け止めています。それで、住み慣れたアパートを退去する必要があり、母の遺品整理もあって荷物整理に帰省したりしていました。
20数年暮らしたアパートは、ちょうど親からすれば孫の成長を見守った20数年でもありました。毎年、子どもを連れて帰省し、普段使わないテーブルやお皿を出して、孫と一緒に囲んだ食卓は、両親の喜びであり、数少ない親孝行であったと思っています。荷物整理をするうちに、あれも持って帰ろう、これも持って帰ろうとなってしまい、結構な量を車に積んで持って帰りました。
母親の葬儀の時は、認知症の父親が悲しまないように、看病をし続けた兄の心が折れないようにと、天国へ旅立ったのだからと努めて明るく振る舞っていたのですが、一人でアパートの整理をしつつ、いよいよ思い出の詰まったこの場所を引き払い、もうここに来ることが出来なくなると思うと、涙が止まりませんでした。兄に、その思いを電話で伝えたところ、「また新しい人が入って人生を紡いでいくのだよ。」と返事が返ってきました。脱帽。
両親のことと言えば、連れ合いもまた同様なことであろうと思います。ちょうど、同じような課題が重なっているところです。それなりの年齢になれば、否応なしに引き受けなければならない課題ではありますが、私のこと、連れ合いのこと、年度末のこと、それに世の中のコロナのこと、よりによってこの時期にと思ったりもしています。ちょうど3.11のことを想像すると、それぞれの一生懸命の生活の最中に、地震や津波があり、原子力発電所が爆発して放射性物質が飛散するという出来事に見舞われ、心が折れるくらいの大変さだったのだろうと思います。
ちょうど、教会暦でレント(受難節)を過ごしています。こんな状況だから、なおさら信仰が問われているのだと受け止めたいと思います。あぁ、礼拝のご案内を一回失念してしまいました。しかしまぁ、頑張るのも程々に、支え合って乗り切ることができるようにと願っています。
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