融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2022年09月24日 | 礼拝のご案内

 明日9月25日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校は、お休みしています。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「愛はお金に勝る」、賛美歌は「神はわが力」、「信仰こそ旅路を」です。感染症対策をして礼拝を守っています。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 9月も最後の日曜日となります。振り返れば、夏は酷暑が続き、コロナ第7波が猛威を振るい、台風が大きな被害をもたらし、ほとほと疲れました。これから値上げラッシュが控え、上級国民気取りの人たちは、果たして庶民生活の痛みや苦しみを理解しようとしているのでしょうか。

 そんな上級国民気取りの自民党の議員は、法的根拠のない国葬という行事を国民の税金で実施することを、国会の議論なしで決定して構わないと考えているようです。法治国家として、甚だ疑問です。国民の大多数が疑問をもって反対しているのに、それを強行したら世界からどのように見られるのか想像できないというのも終わっています。国葬などではなく、関係の深い自民党と統一協会で合同葬にしていただく分については、何の疑問も反対もありません。

 

 

 


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「愛は高ぶらない」

2022年09月24日 | 聖書のお話

「愛は高ぶらない」 マルコによる福音書 12章35~40節

 宗教とは、簡単に言えば神さまを信じることです。神さまを信じるとは、神さまを自分より上に置くようなものです。それが、神さまの教えに耳を傾け、教えに従って生きようとすることの動機となります。それとは反対に、宗教の装いをしていても、神さまを人間より下に置き、これが神さまの教えであると偽装された人間の教えに聞き従わせようとする偽宗教も存在しています。

 ダビデは、メシアを「主」と呼びました。それは、メシアを自分より上に置くという考えです。反対に、律法学者はメシアを「ダビデの子」と呼びました。それは、メシアをダビデの子孫である自分たちと同格に置くという考えです。

 イエスさんが教えてくれたのは、神さまを自分より上に置き、神さまの愛の教えに耳を傾け、その愛の教えにふさわしい生き方をしているのかを自問自答し、悔い改めるという生き方なのです。神さまを自分より下に置いているから、神さまと自分が同一の存在であるとか、自分の考えが神さまの教えであるかのような高ぶった思いをしてしまうのです。

 


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