融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「悔い改めの実」

2020年11月14日 | 聖書のお話

「悔い改めの実」 マタイによる福音書 3章7~12節

 苦しみが大きければ大きい人ほど、無条件で救われたいと願うものではないでしょうか。ユダヤ社会の指導的立場であったファリサイ派やサドカイ派の人々もまた、救われたいと願っていたようです。しかし、彼らは救われる条件を「我々の父はアブラハムだ」という思いに置いていました。それは、他人を見下す選民意識や特権意識を拠り所にする考えでもありました。彼らは、たいして苦しんでもいないのに、救われたいと願っていたのでした。

 バプテスマのヨハネは、罪の悔い改めもなければ、たいして苦しんでもいないファリサイ派やサドカイ派の人々に向かって、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」と言って、厳しく叱りつけました。

 悔い改めの実とは、愛の神さまによる裁きが平等に行われることを信じ、おごり高ぶらず、平安のうちに信仰生活を送り、互いが差別をせず、助け、愛し合えるような社会になるために奉仕をするということではないかと思います。

 


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明日は礼拝です

2020年11月07日 | 礼拝のご案内

 明日11月8日(日)は、召天者記念礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「悔い改めの実」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。その後、11月の定例役員会があります。

 今週は、義父の納骨式に出席するため、栃木に行って来ました。一つの節目を終えることができ、また義父との縁の方々との交わりもでき、充実した時を過ごすことができました。けれども、浜坂に帰ってから、これまでの疲れが一気に出たことや、喪失感もあって、気持ちの沈んだ日を過ごしています。

 こうやって、人間は時間を掛けて悲しいことを乗り越えて行くのだろうと思いますが、なかなか辛いものがあります。ちなみに、私の父の納骨もあるのですが、それはまだまだ先のことになりそうです。2020年は、色々なことがいっぺんに起こりましたので、今後振り返ることが出来るようになったら、それはそれは特別な年だったと思えるようになるでしょう。

 しばらくは、当面の課題に向き合い、体調を崩さないように注意して過ごしたいと思います。

 


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「信仰の闘い」

2020年11月07日 | 聖書のお話

「信仰の闘い」 マタイによる福音書 10章34~39節

 家族とは何物にも代えがたい存在なのですが、イエスさんは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。」と言い、自分の家族の者と敵対することについて教えられました。それは、どういうことなのでしょう。

 考えてみれば、自分の信仰を貫き通そうとするとき、不正の横行する腐敗した世の中の常識としばしば対立することもあります。自分が大切であると思う「愛の教え」を貫き通そうとしたいなら、たとえ家族の者が敵になろうとも、語り、伝え、納得してもらえるような努力を惜しまない訳にはいきません。

 不正の横行する腐敗した世の中にあっては、家族と対立することを避け、イエスさんの愛の教えを宣べ伝えることを諦めることの方が波風が立たないし、傷つきもしないのかも知れません。それが信仰であると言うのなら、そのような信仰は世の中を少しでも良い方向へと変えることなどできないでしょう。信仰の闘いは、愛と平和を実現するための厳しい闘いでもあると教えられているように思います。

 


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