たやすく‘悲劇’という言葉は使うべきではない

 早いものでサッカーW杯ロシア大会もベスト4を迎え日本がベルギーとの壮絶な死闘の末、敗れてから10日近くが経つ。 この間メディアが2-0とリードしながら追い付かれロスタイムでカウンターから決勝点を挙げられたのを同じロスタイムの失点で次に進めなかった事の類似性から、ドーハの悲劇になぞらえ‘ロストフナドヌーの悲劇’と呼称するのを目にするが大いに違和感がある。 以前サッカーライターの後藤健生氏がドーハの悲劇の時に‘悲願のW杯出場という言葉が蔓延っているが悲願というのは全力全霊を注いで努力してきたにも拘らず達成できなかった目的であり、ドーハ以前の日本にとってW杯は行ければラッキー程度のものだったから悲願という言葉は使うものではない’と語っていたのを思い出した。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

セブン暗殺計画が もたらしたもの

 ウルトラセブンの人気EPといえば特集雑誌などでは最終回やノンマルト編にメトロン星人編、ペロリンガ星人編などが挙げられていたし一昨年BSプレミアムでOAされた‘もう1度見たいウルトラシリーズ'的な特集番組でもこれらとギエロン星獣編は挙げられていたが不思議とガッツ星人編は入ってない。 メトロン星人編やノンマルト編などはセブンならではの内容だから仕方ないとはいえ、ワクワク度はキングジョー編や最終回と比べても遜色ないはずだが・・・と思ったりする。 実はガッツ星人編は侵略宇宙人がヒーローを徹底的に分析して弱点を見つけ出して倒すものの、最後はヒーローが復活して逆転勝利という視聴者にカタルシスを味あわせる要素がふんだんにあるし第2期ウルトラ以降にもフォーマットが流用されている。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )