地獄の水腹1週間減量のウソ

 今から30年前の今日80年1月3日に行われたWBCのJフライ級タイトル
マッチで挑戦者の中島成雄が王者の金性俊に大差の判定で勝ち80年代
最初の世界王者誕生となった。

 本来この日は11月に予定されていたWBCバンタム級王者のルペ・ピン
トールと前王者のカルロス・サラテとのリターンマッチの勝者に3位の磯上
修一が挑戦する予定だったが、王者のケガで延期された関係でキャンセル
され金性俊-中島成雄戦が代替えカードとして行われる事になったのだ。

 とはいえ中島はフライ級でもウェートのきつい選手だけに Jフライ級に
落とすには10㌔以上落とさないといけない。
 そんなわけで専門誌の試合前の予想では
‘敵は王者のみにあらず、過酷な減量とも戦わないといけない
中島に何の勝ち目があるのか!’
と辛辣だった。

  ところが試合が始まると中島は絶好調。
 スピード溢れる攻撃で金を圧倒し特に10Rにはバッティングで出血した金を
一方的に打ちまくり大差の判定で完勝したのだった。

 翌日のスポーツ紙には‘中島 地獄の10㌔減量、水腹だけで1週間’ などと
いう見出しが躍っていた。
 これを読んだ殆どの読者は
‘中島は水だけで10㌔落として世界を獲ったのだから凄い根性を
している’
と思ったのだろうが、意外にも真相を記してなかったのだ。

 スポーツ紙は試合後に勝者の中島が‘金のボディブローが効いて厳しい
場面もあったけど、水腹だけで1週間落とした時のきつさを思い出して
耐えた’というコメントを受けての事。

  ところが中島コーナーで臨時トレーナーを務めたジョー小泉氏に言わせ
ると
‘1週間を水腹だけで過ごした者が、試合で

あんな動きができるわけない。

 試合前日まで中島は1日2食は食べていた’
という事。

 事の真相は11月6日に東洋王者の楊弘洙にノンタイトルで勝った後に
1階級下のJフライ級で世界挑戦の話が来たため、11月下旬という期日を
設けてJフライ級までテスト減量したというもの。
 その時に中島は最後の1週間を水腹減量したらしい。

 しかし体重は落ちたものの異常な体力の低下を自覚した中島が
一気にガクンと落とす方法から、ジワジワと落とす方法に替えたと
いう事。

 試合後の中島が‘水腹1週間’というコメントは11月のテスト減量を指して
いるのだが、当時のマスコミは水腹減量=根性があるという図式でタイトル
奪取翌日のスポーツ紙の見出しを‘水腹1週間’などというものにしたと思わ
れる。

  今なら心あるファンから かなりの批判を浴びる

報道ではないだろうか。 

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