今から30年前の今日89年8月7日は神宮球場でサッカー日本
代表vsマンチェスターユナイテッド戦を観戦した日で、サッカー
の代表戦を初めて生観戦した事になる。
もっとも当時の私はサッカーの試合に全く興味はなく本来ならば
7月初旬に札幌で行われる予定だったジャイアンツ-カープ戦の予
備カードが、この日に東京ドームに組み込まれていたわけで発売3
日目の7月31日に買いに行ったら無情にも売り切れ。
8月いっぱいで帰郷しなければならなくなっていた事から貴重な
休日を何もせずに過ごすのももったいなかったため、何かスポーツ
イベントはないかと探していたら偶然サッカーの代表戦が行われて
いたので友人と出かけたのだ。
そんなわけでヒマ潰しがてらに出かけた代表戦だったがW杯アジ
ア1次予選で敗退したチームが監督も変わらずに親善試合に臨むと
いう今では考えられない形だったし、対戦相手のマンUの選手達の
名前すらまともに知らずに出かけたのだから正直言って失礼な話で
正しくヒマ潰しという言葉がピッタリな一戦だった。
危惧したのは神宮がコテコテの人工芝球場で当時の人工芝は固い
ので‘こんな所でサッカーなんぞできるのか?’と思いつつ神宮に
向かったのだが、試合は既に始まっており日本の生命線であるパス
回しが人工芝での球足の速さもあって上手くいかない。
一方マンUは得意のロングボールの放り込みをするので人工芝の
ハンデは大して見られずに、ダラダラ時間だけが過ぎて行き何分か
忘れたがゴールを決められそのまま0-1で日本は敗れた。
基本的に日本がパスを回しながら攻め込むのだがプレッシャーを
かけられると先述したように人工芝という事もあってパスミスを連
発し、そこからゴール前に放り込まれるなど全く同じパターンで時
間だけが過ぎて行く全く面白味のかけらもない試合で終了と同時に
配られた丸ウチワが次々とグランドに投げ込まれていたのが印象的
だった。
こういったどうしようもない代表チームではW杯など夢のまた夢
だと思ったのだが、それから3年後にハンス・オフトが監督に就任
してアジア杯で優勝し翌年にはドーハの悲劇にみまわれたもののW
杯まで後一歩と迫ったのだから代表チームを支える体制と監督次第
でここまで違うのかと実感するのだった。