高校の修学旅行から40年

 今から40年前の今日80年10月15日から19日までが、高校の
修学旅行だった。

 スケジュール的にはバスで小倉まで行くと新幹線で名古屋に
到着すると遠州鉄道のバスで一路美ヶ原高原まで向かい初日の
宿泊、2日目は松本城から黒部ダム経由で善光寺に行って万座温
泉で宿泊となる。

 3日目は午前中が白根山に行って午後からは華厳の滝を回って
鬼怒川温泉に宿泊、4日目は午前中に日光東照宮で参拝し東京に
到着してから各班毎に分かれて自由行動で5日目の午前中に皇居
見学した後に帰途に就くというもの。

 今見ても相当な距離をバスで回っており結果的にバスガイドさ
んの雰囲気もよかったので大いに楽しい旅行になったので、唯一
悔いが残ったのは後日挙げる東京自由行動ぐらいだったのだが実
は地元の高校の修学旅行のスタイルが翌年から変わったのだ。

 というのも翌年からの修学旅行のスケジュールが信州~北陸~
北関東~東京から、4泊5日のスキー教室に変更されたのだった。

 確かに九州在住の我々にとってスキーというのは基本的に縁が
ない土地柄なのだから、スキー教室でスキーを体験させるという
のは悪い事ではない。

 実際に福岡での修業時代の最終年に大阪での修行を終え戻って
来た師匠の息子は鳥取の大山にスキーに行っていたようで冬にな
るとスキーに行きたがっていたし、蒲田では87年度の慰安旅行を
スキー旅行にしていただけでなく冬場の連休にはスタッフ同士で
誘い合わせてスキーに行っていたのを思い出す。

 おりしも当時はバブルの真っ最中で三上博史と原田知世の映画
・私をスキーに連れて行ってが大ヒットしていた事もありスキー
ブームの真っ最中だったし、スタッフ達はスキーに縁のない地域
出身でも高校の修学旅行で経験済みだったから馴染めていたのに
対し私などはプライベートの誘いは断っていた。

 そういう意味で店の慰安旅行で体験できるのかと思っていたら
88年度の慰安旅行は中止し89年度に統合する代わりに、グァム&
ロタ島への海外旅行になったのだから結果的にスキーとの携わり
のきっかけが2度にわたってなくなったのだ。

 それでも個人的にはスキーの修学旅行より信州~北関東~東京
コースの方がよかったし、慰安旅行でもグァム&ロタ行きの方で
よかったと思う。

 しかも帰郷してみると九州圏内には楽しそうなスキー場がなさ
そうだしメジャーな所では山陰までに行かないといけない事を考
えると、なまじっかスキーをかじっていたら行きたくなるだろう
から縁がなくても悔やむ事はないと思ったのだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
スキーは (こうちゃん)
2020-10-15 22:31:24
高校の修学旅行で経験したけど、別になくても良かった気もしたけど楽しかったよ。折角の事だし。楽しめないなら、行かなければいいだけだし。因みに、映画の‘私をスキーに連れて行って’は織田裕二ではなく、三上博史と原田知世がメインキャストですよ。お間違いなき様に。
 
 
 
指摘ありがとうございます (こーじ)
2020-10-16 11:08:13
>こうちゃん様

 指摘ありがとうございます。

 そうでした、早速書き換えしました。

 スキーに関しては嫌いではなく、縁がなかったという事ですよ。
 
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