ガッツ石松、国内での唯一の世界戦敗戦から40年

 今から40年前の今日77年4月2日に蔵前国技館で行われたWBC
:Jウエルター級タイトルマッチで前ライト級王者のガッツ石松は、
王者のセンサク・ムアンスリンに挑戦したものの全くいいところなく
6RでKO負けし2階級制覇に失敗した。

 前年5月にプエルトリコでエステバン・デ・ヘススに判定負けし
ライト級タイトルを失って1年間のブランクを作った石松だが、再
起を表明し敗れた原因が減量苦だった事から1階級上のJウエルタ
ー級に上げてダイレクトの世界挑戦だった。

 当時WBC王者がタイのセンサクで挑戦しやすかったのだろうが
センサクは国際式転向から3戦目に世界タイトルを奪取し、1度は
不運な反則負けでタイトルを失ったもののすぐに取り返して迎えた
2度目の防衛戦だった。

 石松は過去の世界戦で敗れたのはパナマで2回とプエルトリコの
全て海外で、国内開催では敗れてないというのが拠り所という不安
を抱えたままの世界挑戦である。

 試合は立ち上がりから石松が足を使ってセンサクのパンチをかわ
そうとするのだが、いかんせんセンサクのパンチを恐れて逃げ回っ
ている感じで攻撃の糸口が掴めない。

 そうこうしている間に4Rあたりからセンサクの左が石松を脅か
し始めて一方的な内容になり、6Rには左右アッパーのボディブロー
で石松を沈めたのだった。

 1階級上げた事によりライト級時代より多少は減量苦からは開放
されたものの決して楽ではないのに対し、相手のパンチの威力は段
違いというワケで石松の受けるプレッシャーはかなりのものだった
らしく結果は一方的で いいところが1つもない絵に描いたような
ミスマッチだった。

 ちなみに4月2日の蔵前国技館といえば3年後の80年にWBAバンタ
ム級タイトルマッチが行われ王者のホルヘ・ルハンに3位の磯上修
一が挑戦したのだが、ルハンの技巧の前に翻弄され9RTKO負けでの
惨敗という残念な結果に終わったので4月2日の蔵前国技館というの
は日本人選手にとっては鬼門だったわけだ。

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