ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
高校野球の‘進化’に驚く
先月は2週続けて高校野球を観戦に行ったのだが7月21日の5回
戦は、第2試合に入ると第1試合に比べて観客が2/3に減っていた
のでネット裏の最前列で観戦した。
ここで驚いたのは第1試合で勝ったチームの選手達が4人ばかり
我々の後ろに座り偵察をしていた。
1人づつ それぞれのチームのスコアを付けているのだが驚いたの
はスコアブックが通常の物ではなくプロ野球の先乗りスコアラーが
使うようなタイプだったし、3人目は球種を分析し4人目はスマホの
ような大きさのスピードガンでスピードを測っていたのだ。
また通路を隔てた横の席では1試合目からビデオカメラが回って
おり、翌日試合をするチームの選手が操作していたのだ。
つまり勝ち進むと21日の勝者と対戦する事になるので試合ぶりを
収録して研究していたようで、残念ながら そのチームは翌日敗れた
ので収録した2試合分は不要になってしまった。
我々がやっていた頃は録画機などないし相手を偵察して研究する
など不要で、そんな事より目の前の試合を1つづつ勝って行く事こ
そ重要という考えだった。
試合も28日の決勝を含めた3試合に登場した6校とも我々の頃
とは違って上位下位関係なくバットをしっかり振り抜いているから
打球が鋭いし、内野手も正面のゴロでも逆シングルで取りに行くな
ど今風のスタイルでプレーしているのだ。
私がプレーしていた33年前などゴロは全て体の正面で捕るのが
セオリーで逆シングルで捕っていたら怒られていたし、バットも短
く持ってミート中心のダウンスイングばかりやっていたのを考え
ると隔世の感がある。
敵を偵察したりする姿やプレーぶりなどを見ると高校野球がいかに
進化しているかが分かるし、こういうスタイルを批判する者達は進化
を妨げる者という事になるだろう。
コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )
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確かに昭和の時代は、遠い地方のチームと対戦する場合、相手はいつも初見で、口頭による傾向対策はあったとしても全くの未知数と同じだもんね。
敵情視察に足繁く動き、相手校を研究する場面が頻繁に出てきたプレイボール(ちばあきお著)を思い出すネタでした^^
やはりそういう要素が大きいでしょうね。
にも拘わらず安楽1枚に拘った済美の監督っていったいという事になりますよ。
98年に今治西に惨敗した福岡県代表が今治西が九州大会のビデオを取り寄せて徹底的に研究したのに対し、そのチームは‘進学校だから練習以外は勉強していた’と
言ってヒンシュクを買いましてそれ以降出場してません。
まるで墨谷と言問の関係みたいですね。
とはいえ勝つためには仕方ないでしょう。
むしろTaroさんにレスしたように今治西など98年に対戦相手の地区大会の映像を入手して練習が終わると徹底的に分析したのに対し初戦で惨敗した福岡の某校は全く
対策を立てずに臨んでましたからね。
それ以来そのチームは甲子園出場できません。
明徳義塾が松井敬遠の後に部員が増えたように本気で勝つ事を考えるチームでないと好素材の選手は集まりませんからね。
関大一 14-1 鈴鹿
今治西 14-2 東筑
岡山理大付 18-2 京都成章 京都成章はこの大敗を糧に夏に大躍進。横浜には敗れたとはいえ見事な準優勝でした。渾身なフォームから黙々と投げまくった古岡投手の姿いまだ記憶に鮮明です☆
98年3月30日の3試合は覚えてますよ。
他の2試合が知名度のないカードだったからか、マスゴミは‘進学校対決’と盛り上げてくれたのですけどね。
実力通りに大敗した事よりも勝つ気が全くない姿勢に
怒りを覚えた次第です。
84年秋の予選で桧山は投げてまして、全く打てなかったようですよ。
今治西は現小松監督の宇佐美氏が移動してからこういう策のないチームになってしまったのでしょうかね。
77智弁学園は選抜でもベスト4で箕島相手に2安打完封負けしてますから、この年は強さとモロさを併せ持っていたという事でしょうか。
高島監督はこの大会で山口が試合を重ねる毎に調子を落としていった事から複数投手制に考えを変えていったようですね。
99年の今治西はベスト4を突破していれば優勝できていたのではないかと思いますよ。
日南学園は自力はありますけど ここ一番の勝負強さに
欠けますよね。
07年など桐光学園に延長の死闘を制したのに3回戦で常葉菊川に奇跡の3ランを浴びて追いつかれ、サヨナラ負けするなど勝負弱さを露呈してます。
大物選手を輩出するわりに勝ちきれないのは伝統になっているのかもしれません。
予選でも04年は佐土原、08年は宮崎商と格下相手の決勝で負けて甲子園に行けなかったところなど然るべしですね。
智弁学園が今治西に完敗したのは3試合目と2試合目の違いもあるでしょうね。
日南学園は01年チームこそ最強だと思いますし昨年の延岡学園よりも間違いなく強かったと思います。
ただ足を引っ張ったのが大黒柱と思われた寺原で特に
2回戦前日に冷房を入れっぱなしで寝てノドを痛め39度の
発熱をするなど体調管理の甘さを露呈しました。
だから大一番の横浜戦は控え投手のリレーで臨んだ方が勝ったかもしれません。
ちなみに佐賀北の優勝は野村の1枚エースだった広陵相手だったからこそで、左の2枚エースの常葉菊川だったら
厳しかったでしょうね。
佐賀北打線は左投手を苦手にしてましたから。
ちなみに77年東邦のキャッチャーでバンビ坂本をリードしていた大矢がNHK解説者として出演してますが、東邦の試合の解説を大矢がやったら面白いかもしれませんね。
森田監督は80年代に悪名高いNHKの両校ゲスト解説で
東邦OBという事から放送席でよく見かけてましたよ。
寺原の場合は夏の大会後11月の台湾W杯で先発予定だったようですが前夜に刺身と生水を飲んで下痢をして登板回避となったし、1年目のキャンプ初日にはインフルエンザでダウンするなど自己管理能力に欠けているのですよ。
最近の帝京は勝ちきれてないですよね。
07年の佐賀北戦もですが09年など九国大付にサヨナラ勝ちしながらベスト8で県岐阜商にまさかの負けを喫したり、10年選抜では興南に完敗し11年も八幡商に逆転満塁HRを打たれるなど驚く結末が多いですからね。
前田監督の神通力も衰えてきたという事でしょうか。