Iクンが亡くなって10年経ち

 今から10年前の今日12年3月7日は、蒲田時代の同僚で友人の
Iクンが亡くなった日である。

 2日前の3月5日に‘Iさんが倒れた’と同じ地区のSクンから連絡が
あり状況を聞いてみると‘朝起きてから奥さんと買い物に行こうと
いう事で奥さんの準備ができるまで一眠りしていたら目が覚めず、
昏睡状態になっており2日の間に目が覚めなかったら厳しい’との
事。

 その報告を受けた時に大いに驚いたと同時に‘何としても目覚め
てくれ’と祈るような思いだったが、2日後の7日にSクンからのSNS
で‘Iクン逝きました’という無情のメッセージが入ったのだ。

 本当にショックだった。

 Iクン高校時代に野球の名門校出身で2年の時に春夏連続で甲子園
出場しているだけでなく、試合にこそ出場してないがベンチ入りし
ているのだから高校時代に野球部に所属して一応甲子園を目指した
私としては憧れの存在だった。

 一緒に働いていると典型的な体育会系で凄く楽しい男で多くの人
達から愛されるタイプだったし、いないと火が消えたようになる存
在だったと思う。

 腕も確かで帰郷した95年に佐賀で行われた業界の全国大会に出場
していたようにセンスも素晴らしく、結婚して2人の子供をもうけて
野球チームの指導もしていたようだ。

 遡る事2年前の10年11月に師匠の還暦祝いを兼ねたOB会が初めて
行われた時に発起人として名を連ねており、前日から集まって一緒
に楽しく過ごしOB会では司会まで担当してくれていたのだ。

 そして連絡先が分かった事から11年から年賀状が毎年届き、11年
のでは‘11月は楽しかったですね、またお会いしましょう’というメッ
セージが添えられていて次のOB会で会うのを楽しみにしていた。

 おりしも倒れる前週の日曜日12年2月26日に行われた東京マラソン
に師匠が出場し見事に完走した事がSNSで流されて、OBやOG達が大
いに盛り上がっていた矢先の悲報だった。

 それから2年後の14年6月に2回目のOB会が行われたが、やはりIク
ンの存在の大きさを出席者達は実感していたし
改めて1日1日を悔い
なく生きなければと思うのだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
顔見知りがいないのは (こうちゃん)
2022-03-07 21:45:44
何時も元気でいるだろう、と言う顔見知りがいないのは淋しい事この上ないですね。
 
 
 
まさしくです (こーじ)
2022-03-08 22:43:13
>こうちゃん様
 
 特に存在感満点のヤツがいないというのはホントに寂しいわけですよ。
 
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