ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
長野五輪開幕から10年!
今日は2月7日。ちょうど10年前の今日、長野五輪が開幕
した日である。
思えば自国開催の五輪は、64年の東京は生まれた年。
72年の札幌は笠谷幸生らジャンプ陣の‘日の丸飛行隊’の
表彰台独占やジャネット・リンの女子フィギュアスケートなどが
有名だが、全体を俯瞰して見るには小2では厳しい。
つまりウィンタースポーツの醍醐味が分かり、全体を俯瞰して
見られるようになって最初の自国開催の五輪だったのである。
91年に長野開催が、決まってから大いに楽しみにしていたの
だが日本勢の大活躍も手伝って かなり印象に残る五輪になった。
このブログでは10年前に行われた競技を 振り返っていこうと思う。
さて当時、私が開幕前に予想した獲得メダル数は
金5:スピードスケート男子500・清水
スピードスケート男子1000・堀井
ジャンプ・ラージH・船木
ジャンプ団体
ノルディック複合・個人・荻原
銀1:ジャンプ・ノーマルH・原田
銅4:ジャンプ・ノーマルH・岡部
ジャンプ・ラージH・斎藤
スピードスケート男子500・堀井
スピードスケート女子500・岡崎
ショートトラック男子リレー というもの。
実際は
金5:スピードスケート男子500・清水
女子モーグル・里谷
ジャンプ・ラージH・船木
ジャンプ団体
ショートトラック男子500・西谷
銀1:ジャンプ・ノーマルH・船木
銅4:ジャンプ・ラージH・原田
スピードスケート女子500・岡崎
スピードスケート男子1000・清水
ショートトラック男子500・植松 だった。
誤差は1つだが、荻原や堀井が予想外のメダルなしだった
ものの 里谷、西谷、植松といった予想外の選手や種目での
メダル獲得が印象的だった。
ただしア○・マスコミは、この長野五輪の成績を判断
基準にしてしまったので4年後のソルトレイクシティや、
8年後のトリノでは過大予想を立て 一般の視聴者達を
騙す事になっている。
« 遂に逮捕者が... | 捨てなくてよ... » |
思い起こせば、札幌の後のインスブルックなんて、『入賞者ゼロ』だったんですから。
また、スキーのジャンプ競技で、スキー板に制限がかかるのは、ファンとしては不満でした。
しかしこれも、鈴木大地のバサロに制限がかかったことを思い出せば、別に不思議なことではないわけで。
ようするに、世界各国のスポーツ委員会は、
日本に勝たせてはイケナイ
という、条約があるようです。
後から詳しく書こうと思いますが、日本だけでなく
1人勝ちをしているとルールが変るというのは、よく
ある事のようです。
特に冬季種目は露骨で、アルペンのステンマルクや
ジャンプのニッカネンもこれでやられてますからね。
この頃の日本の競技力は、トップでしたのでどうしても標的になりやすい傾向が強いですけどね。