佐瀬稔氏が亡くなって20年

 今から20年前の今日98年5月23日にスポーツライターの佐瀬
稔氏が大腸癌のため65歳で亡くなっている。

 私にとって佐瀬氏を最初に知ったのは名著・リングサイドでうた
を聞いたが当時ボクシングマガジンの広告欄に掲載されていたので、
就職後にもらった最初の給料で購入して読んだのが始まり。

 特に印象に残ったのは75年12月のガッツ石松-アルバロ・ロハス
戦についてのレビューで‘あくびの出るようなダラダラした試合が進
む中、14Rに右アッパー一発で決まったわけだが聞けば1ヶ月で18
㌔を落としたという。18㌔も落として凄いとエディさんは言っていた
が1ヶ月に18㌔落とすとは普段どれだけ不摂生だったかという事で
はないか'と他のマスコミが快挙扱いする中で異を唱えていた事。

 また海老原博幸がバンコクでの初防衛戦前に予想記事を上げた時
にKO防衛と判定防衛まではイメージが浮かんだものの判定負けの
イメージはできなかったので記者の目から見た海老原の弱点を踏ま
えた攻略法で事前記事を書いたらその通りになってしまったわけで、
最終的に海老原が2度とも防衛できずに終わった事から自分が予想
した海老原の負けパターンを事前に教えておけばと今でも悔やんで
いるという記事も記者の洞察力に驚いたものだった。

 この本を読んでから氏のコラムなどには必ずチェックするように
なっていた中で、86年7月に浜田剛史がレネ・アルレドントを1R
でKOし悲願の世界タイトルを奪取した試合前に拳を骨折した浜田
の復活までの道のりを追ったドキュメントの中で浜田へのインタビ
ューなどは秀悦だったので今でも保存している。

 残念ながらリングサイドでうたを聞いたは人に貸してから戻って
来なくなっているのだが、一方で平成に入っての著書は必ず購入し
コラムなども読んでいたし特に91年4月に42歳のジョージ・フォ
アマンがイベンダー・ホリフィールドに挑戦した試合のレポなど
‘相変わらず素晴らしい'と思いながら熟読したものだ。

 佐瀬氏はボクサーを崇拝しており‘つまらない試合なんてない’
というのが口癖だった一方でドン・キング的なボクシングを食い
物にする輩を徹底的に軽蔑していたようだが、氏が生きていたな
らボクシングを食い物にしていた某一家やTV局を‘空辣な’な
どとコラムで批判していたのではないかと思うのだ。

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