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こーじ苑
藤田ジャイアンツ最後の優勝から30年
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20200908-0087
今から30年前の今日90年9月8日に行われた東京ドームでのジャ
イアンツースワローズ戦で、延長10回に吉村禎章が川崎憲次郎か
らサヨナラHRを放って3-2で勝ち前年に続いて2年連続リーグ優
勝を決めた日である。
このシーズンのジャイアンツは5月8日にトップに立つと一気に
加速して独走し9月8日という異例の早さでのリーグ優勝を飾った
事になるのだが、約1か月半後に行われたライオンズとの日本シリ
ーズでは全くいいところなく4連敗したため勢いという名の力の怖
さを実感させられた。
この年は開幕戦で2点リードされた8回に篠塚利夫がライトポー
ル際へ極めてファールに近い同点2ランを放って追い付いてサヨナ
ラ勝ちすると、翌日も木田優夫のサヨナラHRで連勝して開幕ダッ
シュに成功していた。
この年から野村がスワローズの監督に就任していたのだが開幕
2連戦がスワローズ戦で、優勝を決めたのもスワローズ戦という
レギュラーシーズンのターニングポイントで対戦する事になって
いた。
リーグ優勝が決まった後に野村監督は‘結局開幕戦の篠塚の2ラ
ンがリーグ優勝に結び付いてしまった’と語っていたが、結果的に
藤田元司監督時代の通算7年のうちリーグ優勝4回&日本一2回を
達成している時は全て開幕ダッシュに成功し独走する形になって
おり失敗した年は優勝を逃していたのだ。
藤田監督時代のジャイアンツは第1期の時は江川卓・西本聖・
定岡正二に加藤初の4本柱を、第2期は斎藤雅樹・桑田真澄・槙原
寛巳に宮本和知といった強力投手陣を前面に押し出して戦うスタ
イルだった。
だからこそ強力投手陣を前面に押し出した戦い方で開幕ダッシ
ュをかけて飛び出して貯金を作り、余裕を持って終盤を戦うとい
うのが必勝パターンだったのだ。
逆に開幕ダッシュに失敗し終盤まで競った場合は投手陣が秋口
から息切れし、打線のいいドラゴンズやスワローズに振り切られ
るという結果に終わっていた。
それを考えると野村監督の‘開幕戦の幸運な2ランが’というのは
当たらずとも遠からずといった内容だった。
逆に日本シリーズではG1の1回表にオレステス・デストラーデ
の3ランで先制され、その裏に四球で出塁した1番の篠塚がキャッ
チャーからの牽制で刺されると流れを取り戻せないままズルズル
と終わってしまった形だ。
あまり早く優勝を決めるというのは日本シリーズまでの間が空
き過ぎるというデメリットを実感し、それ以降は早々とリーグ優
勝を決めるのは決していいものではないと思うようになったのだ。
日本シリーズの敗因についてはNumberで鷲田康氏が記している。
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