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こーじ苑
やはり‘常識’に拘っていても強敵には勝てない
新戦術「ハイブリッド6」で世界2位!日本女子の挑戦がバレーを変える。(Number Web) - goo ニュース
先日終了した女子バレーのWグランプリで真鍋政義監督率いる
日本代表はハイブリッド6という戦術でブラジルには敗れたものの
2位に入った。
ハイブリッド6はバレーのセオリーに背を向けた日本独自の戦術
で‘セオリー通りに戦っても格上には勝てない’と真鍋監督が考案
したものだ。
松原孝臣氏のコラムによれば‘64東京で回転レシーブ、72ミュン
ヘンで時間差攻撃、76モントリオールで ひかり攻撃といった日本
オリジナルの戦法が作り出された時に金メダルを獲得している‘と
真鍋監督は語っているという。
この言葉は以前 黒岩彰を指導した前嶋孝コーチも同じ事を
言っており、国際的にはセオリーから外れた滑走法で黒岩を世界
スプリントで優勝させたのだが真理はセオリーという名の道を
走っても強敵に追い付くことはできても追い越す事はできないと
いう事だ。
村田諒太がロンドン五輪で金を取れたのはタッチ&ランでポイン
トを掠め取るスタイルが主流のアマボクシングで、ガードを固めて
前進しボディを徹底的に攻める事によりボディブローがポイントに
なりづらい事からボディを鍛えてない選手達には効果的だった。
高校野球でも好投手を中心にした守りを全面に押し出して1-0で
勝つスタイルが主流だった時代に、池田の打ちまくるパワー野球は
セオリーから完全に外れていたのだが しっかり一時代を築きパワー
野球が主流になった。
佐賀北は先に左の変則投手を先発させエースを途中から投入する
事で帝京や広陵などの強豪校に勝って優勝すると、佐賀北に負けた
帝京が2年後にエースの前に控えを登板させるスタイルで強打を誇
る九国大付に競り勝った。
こうしてみるとセオリーというのは強豪が勝つための方法で力が
落ちる者がやっても勝ち目はないし、弱い者が強い者に勝つにはセ
オリーから外れてもやり通す気概が必要だ。
だからマスコミもセオリーから外れた事をやっても非難するべき
ではないと思うのだ。
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広島商や松山商の凋落は伝統を守る事に躍起になって
新しいものを取り入れるという一番大事な要素を拒否しているところでしょうね。
木内さんが03年に常総学院で優勝した時に「ダルビッシュはランナーが2塁に行くとスイッチが入って打てなくなるので、ランナー1塁で勝負すれば長打が出る確率が高いし長打や連打を浴びるとダルは頭に血が上って連打を浴びせるチャンスが出てくる」と1アウト2塁を作らない作戦でダルを攻略したのも然りですね。
考えてみれば今年で箕島が最後に夏の甲子園出場してから40年目なのですね。
その84年の箕島は打倒PLの筆頭に挙げられ初戦で対戦する取手二に関しては‘箕島からスキを突いて倒される大型チーム’というイメージでしたので、途中まで3-0で進んだ時は‘やっぱり’と思っていたら8回に一挙5点を奪われて‘ここからが箕島’と思いきや2イニングを
あっさり終わってしまったという印象が強いです。
甲子園の名物監督の交代劇と今なら思ってしまいますね。
もっとも木内監督も初出場までかなりの低迷を経験してますし初出場から優勝まで7年、その間8試合を経験してますのでその捲土重来の時期が木内氏を勝負士にした
のでしょうね。
取手二のユニは77夏の時に青でしたが翌78夏は白になってました。
77は初戦で掛川西に勝ったのに対し、78年は岡山東商相手に1-3であっさり敗れたためか以後は ずっと青ユニでした。
ちなみに77の夏休みに筑波の叔父さん宅に遊びに行っていたところ、茨城大会の決勝で選抜出場の土浦日大と対戦してまして‘昨年までは土浦日大のユニが青で取手二は白だったのですが今年は反対です’とアナウンサーが言っていたのを覚えてます。
恐らく78年に初戦敗退したので白は封印したのでしょうかね。
ちなみに84年は箕島が打倒PLの一番手と考えていたので初戦の取手二戦は箕島だと思ってましたし、3回戦の相手が福大大濠になった時に‘簑島だったら勝ち目はないが、取手二だったら付け入るスキはある’と思っていたら毎回ランナーを凌いだ大濠が5回裏にワンチャンスで先制すると直後の6回に取手二打線が火を噴き終わってみたら1-8の快勝だったので驚きましたよ。
福大大濠は森山がエースだった81年のチームが最強でしたけど、残念ながら初出場で経験不足という奴か(ならず者揃いのプレッシャー)鎮西から負けたのですね。
だから出場する度に小粒になっていった感の強い大濠ですが、91年春以降は進学に力を入れてしまいましたし
監督も‘卒業してからの方が長い’という事から野球バカの育成には反対なようです。
ちなみに84年のサブマリン・八野こそ選抜向きの投手ですし、スタイルですから夏はパッとしなかったのも分かります。