ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
竹原慎二の快挙から15年
今から15年前の今日95年12月19日は竹原慎二が後楽園ホールでWBAミドル
級王者のホルヘ・カストロに判定勝ちして日本人初の世界ミドル級王者になった日
である。
これまでミドル級は世界王者どころか挑戦すらできなかった伝統ある階級で、
挑戦した王者のホルヘ・カストロは‘蒸気機関車’の異名を持つタフなファイター。
1年前の8月にレジー・ジョンソンに判定勝ちしてタイトルを奪取すると、2度目の
防衛戦では一方的にやられながら9Rに大逆転KO勝ちするなど勝負強く これが
5回目の防衛戦だった。
なにせ竹原戦を迎えた時点で105戦を戦って1度もKO負けどころかダウンすら
ないというタフな王者だったのだ。
ただ個人的には竹原が186㎝の長身を生かしたボクシングをすればひょっとした
ら・・・と思っていたのだが、世間一般は竹原の勝ち目はないという事でTV中継も
TV東京が関東ローカルで夜中の録画中継にしていたのだ。
いざ試合が始まると竹原が長身を生かしたボクシングを展開しジャブから
オーバーハンドライトをヒットさせるなど好調な立ち上がりを見せ、3Rには左フックの
脇腹打ちでカストロからキャリア初のダウンを奪ったのだ。
これを機に試合は壮絶な打ち合いとなり5R以降はカストロからインファイトに持ち
込まれ、押され始めるが打ち合いの最中に打ち込むボディブローが度々ヒット
するとカストロは怯み完全なペースの掌握にはならない。
場内の竹原コールの中、最終ラウンドの終わりがけから観客はスタンディング
オベーションを送り判定は3-0で竹原の勝利に場内の興奮は最高潮に達して
いた。
歴史を作った竹原だったが残念ながら翌年6月に行われた初防衛戦で1位の
ウィリアム・ジョッピーに9RTKOで敗れ、その後 網膜はく離が判明して引退して
しまった。
一方ジョッピーは竹原からタイトル奪取した後に通算8度の防衛に成功し3度も
王座に就いているし、敗れたカストロもLヘビーやクルーザー級で世界挑戦を含
めて40戦をこなしていたのだから凄い連中とグローブを合わせたという事で
日本で こういう本物の強豪を見る事ができたのは幸運だった。
この快挙の影で汚点を残したのは竹原の試合を中継して
いた亀田チャンネルが、竹原に勝ち目なしと見て中継すら
しなかった事だろう。
伝統あるメジャーなクラスの世界戦を中継するという栄誉を
自ら放棄した形になったのだから。
級王者のホルヘ・カストロに判定勝ちして日本人初の世界ミドル級王者になった日
である。
これまでミドル級は世界王者どころか挑戦すらできなかった伝統ある階級で、
挑戦した王者のホルヘ・カストロは‘蒸気機関車’の異名を持つタフなファイター。
1年前の8月にレジー・ジョンソンに判定勝ちしてタイトルを奪取すると、2度目の
防衛戦では一方的にやられながら9Rに大逆転KO勝ちするなど勝負強く これが
5回目の防衛戦だった。
なにせ竹原戦を迎えた時点で105戦を戦って1度もKO負けどころかダウンすら
ないというタフな王者だったのだ。
ただ個人的には竹原が186㎝の長身を生かしたボクシングをすればひょっとした
ら・・・と思っていたのだが、世間一般は竹原の勝ち目はないという事でTV中継も
TV東京が関東ローカルで夜中の録画中継にしていたのだ。
いざ試合が始まると竹原が長身を生かしたボクシングを展開しジャブから
オーバーハンドライトをヒットさせるなど好調な立ち上がりを見せ、3Rには左フックの
脇腹打ちでカストロからキャリア初のダウンを奪ったのだ。
これを機に試合は壮絶な打ち合いとなり5R以降はカストロからインファイトに持ち
込まれ、押され始めるが打ち合いの最中に打ち込むボディブローが度々ヒット
するとカストロは怯み完全なペースの掌握にはならない。
場内の竹原コールの中、最終ラウンドの終わりがけから観客はスタンディング
オベーションを送り判定は3-0で竹原の勝利に場内の興奮は最高潮に達して
いた。
歴史を作った竹原だったが残念ながら翌年6月に行われた初防衛戦で1位の
ウィリアム・ジョッピーに9RTKOで敗れ、その後 網膜はく離が判明して引退して
しまった。
一方ジョッピーは竹原からタイトル奪取した後に通算8度の防衛に成功し3度も
王座に就いているし、敗れたカストロもLヘビーやクルーザー級で世界挑戦を含
めて40戦をこなしていたのだから凄い連中とグローブを合わせたという事で
日本で こういう本物の強豪を見る事ができたのは幸運だった。
この快挙の影で汚点を残したのは竹原の試合を中継して
いた亀田チャンネルが、竹原に勝ち目なしと見て中継すら
しなかった事だろう。
伝統あるメジャーなクラスの世界戦を中継するという栄誉を
自ら放棄した形になったのだから。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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国際プロレス初期の「チャピオンは我々が作る」と言い放ち、ルー・テーズに強烈なしっぺ返しを喰らった出来事の際の振る舞いと言い、まったくこのTV局はスポーツ番組に対する姿勢がなっとらん!それこそ「喝!」だろうがよ、と思いますね
実は、テレ東はこの試合の4年前にカストロの試合を放送してました。
井岡が柳明佑に勝って2階級制覇を達成した試合の直前の時間帯に、テリー・ノリス(レナードを引退させた選手)に挑戦した試合を30分のダイジェスト番組で放送していたのを覚えてます。
この試合を観て、カストロは韓国人のファイターにスタイルがソックリだと思ったので、東洋タイトルでしょっちゅう韓国人と戦っていた竹原とは、上手く噛み合うのではと思いました。
とはいえ、本当に勝つとは思いませんでしたけど。
しかも、ラッキーパンチによるKOではなく、打ち合いの末に明確な判定勝利だったのは意外でした。
テレ東とは対照的に、日本王座を獲得してから竹原の試合をずっと中継していた亀田チャンネルの見る目の無さに呆れますね。
あの局は、カストロ戦直前の李成天戦でダブルノックダウンの貴重なシーンを中継したのですけどね(笑)。
ファイトマネー3000万だったのですか。
でもチャンピオンベルトがお土産になったワケですね。
白井義男の敵を討った形になりますかね。
>吉法師様
まったく‘喝’を看板にしているクセに、自分こそと突っ込みたくなる所業ですよね。
デシマ-畑中に ついては来年が20年目なので扱いたいと思います。
>猫なべ様
91年頃はWOWOWも始まって間もなかったので海外の好ファイトはTV東京でしか見られなかったですよね。
コチラは93年からようやくTV東京が見られるようになったので、写った時は嬉しかったですよ。
ボディブローでダウンを奪ったときは結果は分かってましたけど、感動しましたよ。
亀田チャンネルのセンスのなさは平成に入ってから
ですよね。
昭和の頃(白井義男氏が解説をしていた頃)は、こんな事はなかったのですけど。